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未来の会

災害に強い病院で地域住民を守る ~高度急性期・中核病院として機能の完全化へ~

災害に強い病院で地域住民を守る ~高度急性期・中核病院として機能の完全化へ~
内潟 安子(うちがた・やすこ)1951年石川県生まれ。77年金沢大学医学部卒。81年金沢大学医学部大学院医学研究科修了、富山医科薬科大学医学部第1生化学講座を経て、83年米国国立衛生研究所(NIH)Visiting Fellow次いでVisiting Associate。87年東京女子医科大学糖尿病センター・内科学(第3)助手、92年同講師、96年同助教授・准教授、2004年同教授。11年同糖尿病センター・内科学(第3)講座教授・講座主任兼センター長(第4代)。15年東京女子医科大学病院副院長。17年糖尿病センター長を定年退任し、東京女子医科大学東医療センター(現・足立医療センター)病院長に就任(現職)。兼東京女子医科大学看護専門学校長。日本糖尿病協会理事(ペイシェントサポート委員会小児ヤング糖尿病委員会委員長)。著書『小児・ヤング糖尿病—のびのびしっかりサポート』(シービーアール)、ネット連載「いま、1型糖尿病は」等。

2025年に向けた地域医療構想が進められる中、建物の老朽化により苦戦を強いられて来た東京女子医科大学東医療センターは22年1月1日、足立区からの誘致を受け、岩本絹子理事長の強いリーダシップの下、東京女子医科大学附属足立医療センターとして移転オープンした。東京の区東北部2次医療圏(荒川区、足立区、葛飾区)の地域災害拠点中核病院として、地域の医療ニーズにより一層応えて行く事が期待される。糖尿病の専門家であり、同センター病院長の内潟安子氏に話を聞いた。

——糖尿病をご専門とされた経緯や切っ掛けについてお聞かせ下さい。

内潟 金沢大学附属病院での臨床の傍ら始まった研究は内分泌領域のもので、ここからホルモンにハマりました。学位論文完成後、全国規模のカンファレンスで岡本宏先生(当時富山医科薬科大学医学部第2生化学教授、その後東北大学医学部生化学教授、東北大学名誉教授・監事、ベルツ賞・紫綬褒章・学士院賞受賞)の講演を聴き、膵臓β細胞内のインスリン生合成の面白さに目覚めました。当時の教授にお願いし、岡本宏先生の生化学研究室で2年弱、インスリン生合成の研究にどっぷりと浸かりました。当時助教だった山本博先生(現公立小松大学学長)に、実験の基礎からみっちりと学びました。ネイチャー誌のセカンドオーサーを含め論文3本が掲載され、膵β細胞破壊の生化学的発症機構モデル「Okamoto Model」へと続く実験をさせて頂き、真実のベールをめくるような楽しい年月でした。その後、岡本先生にご推薦頂き、メリーランド州ベセスダの米国国立衛生研究所(NIH)のA.L.ノトキンス博士のラボに1981年12月に移り、糖尿病と自己免疫の研究に従事しました。3年半をNIHで過ごし、どうにか第一著者の論文3本になりました。ノトキンス先生にプレゼンの仕方を直接指導してもらい、出掛けたカナダでの学会で東北大学の豊田隆謙先生から東京女子医科大学糖尿病センターのセンター長の平田幸正先生を紹介して頂き、そのご縁で東京女子医科大学に奉職する事になりました。私にはここに至るまで何人もの恩師がいますが、平田先生も人生を一変させた恩師でありメンターです。

日本一の糖尿病治療施設で臨床経験を積む

——糖尿病センターで臨床を始められた訳ですね。

内潟 金沢でも1型糖尿病の患者さんを診ていましたが、本格的に多くの患者さんの診療に当たるのは東京女子医科大学糖尿病センターに赴任してからです。臨床では延べ千人程の患者さんを診療していました。糖尿病センターは当時は糖尿病患者数が1万人強で、関東圏の約10分の1、1型糖尿病も全国の10分の1位の患者さんを拝見していました。

——糖尿病センターの特徴について、教えて下さい。

内潟 初代センター長の平田先生は、0歳から高齢者迄、小児科から内科から老年科迄、合併症が有ろうと無かろうと、受診して下さる限り診療する事を理念に糖尿病センターを開設されました。平田先生は臨床と研究の場を一緒に活動するグループをいくつか作られました。若年発症糖尿病グループの他に、腎症、心臓病、神経障害、肥満、妊婦、足ケア、それに糖尿病眼科(現在は眼科に統合)グループが有り、皆で切磋琢磨しながら、センター内のチーム医療体制で治療に当たっていました。腎グループはシャント作成から透析導入まで可能であり、網膜症が進んでもセンター内でオペとなります。他病棟入院の糖尿病患者さんのコンサルテーションに出向くのも糖尿病センターの業務でした。私は若年発症糖尿病グループに属し、若い糖尿病患者さんの研究とインスリン自己免疫症候群(平田氏病)の研究に携わりました。

——糖尿病の合併症の診断から治療がワンストップで行えるという事ですね。

内潟 合併症が発症して来るのは、早くても高校卒業後、20歳前後です。発症時から罹病期間と合併症発症との関係、糖尿病センター受診開始後の罹病期間と合併症の関係も深く検討出来ます。そうすると、どうすれば合併症を予防する事が出来るか、どの時点迄にどうすればいいのか、という課題について糖尿病と血糖管理の関係をピュアに調査する事が出来て、その介入治療も可能となってきます。患者さんから教えて頂く事ばかりです。

——平田先生との思い出について、お聞かせ下さい。

内潟 糖尿病の基礎から臨床まで網羅した単独執筆の『糖尿病の治療』(全963頁:文光堂)を出版され、追補、改訂版と重厚な3冊の著書が手元にあります(3冊目は1500頁余り)。退官を迎える最後の1年間で『糖尿病の治療』初版を作られ、医局員に退官記念として配られました。今でも我々のバイブルです。診療第一優先の先生でした。定年後は福岡に戻られましたが、半ば定期的に上京され、最近の話題を希望されて各グループ長が順番に面談するのです。ところが、平田先生の方が最新の情報をお持ちで、当方など逆に教わる事が度々で、逆に教えてもらう事になって申し訳ありませんと申し上げると、「皆さんは臨床で多忙だから、それでいいんですよ(笑)」と慰めてもらいました。

鉄壁の防御を構えた新センター

——2022年1月に移転した附属足立医療センターの現状と、次のステージへの目標は。

内潟 本学理事長の岩本絹子先生の強いリーダーシップによって新病院が完成し、足立区への移転が出来ました。病院の老朽化、コロナ禍、移転等病院運営には不利な要素が多かった中、大学経営陣、事務方には本当に助けて頂きました。移転後1年4カ月が経ち、患者数も、手術件数もコロナ禍前に戻って来たところです。移転によって通院が難しくなった患者さんもおられますが、足立区の皆さんが多く受診して下さるようになりました。以前は建物が古く、現在の諸々の施設基準に適合しない等多々有りましたが、建物が一新された事で上位の施設基準を取得出来ました。ようやく病院機能評価を受審する準備が整い、本年12月に受審を予定しています。来年は更に上位を狙います。現在、日本の将来を見据え、各地で地域医療構想に向けた体制作りが始まっています。そうした中で、我々は高度急性期病院を堅持し、高度先進医療と地域医療を両輪として発展して行く方針は今迄と全く変わりません。当院は加えて、47都道府県のランクキングなら27番目に相当する137万人の人口を抱える区東北部2次医療圏唯一の地域災害拠点中核病院(都内10施設のみ)です。東京都の大規模災害時には常磐道を通って上京するDMATチームの受け入れ拠点になります。移転後充実した拠点中核病院の役目を目に見える形で果たして行きます。

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