心臓外科手術巡り混乱
国立国際医療研究センター病院(東京都新宿区)で行われた心臓外科手術を巡り、学会を巻き込んだ不可解な動きが注目を浴びている。病院は院内事例検討会を開催し、外部の専門医3人による意見書も作成する等して来たが、遺族側はこの事例が医療事故調査・支援センターに報告されていない事を疑問視。日本心臓血管外科学会やメディアを巻き込み、結局、病院側が「医療事故」として調査・支援センターに報告する事態となった。この混乱は何故起きたのか。
「手術が行われたのは、2020年12月10日の事です。70代の男性患者が、国立国際医療研究センター病院で僧帽弁閉鎖不全症の手術を受けたが術後に心筋梗塞を発症し、搬送された大学病院で翌21年2月に死亡したのです」(医療誌記者)
僧帽弁閉鎖不全症とは、左心房と左心室の間の僧帽弁がきちんと閉じない病気。手術を担当したのは同院の心臓血管外科診療科長で、術式は通常の開胸手術ではなく、右胸の肋骨の隙間に小さく穴を開けて胸腔鏡や特殊な器具を入れて僧帽弁を修復する低侵襲心臓手術(MICS)が採られた。
ところが、手術は難航。途中から僧帽弁の修復ではなく人工弁を置き換える方法に切り替えたが、手術時間は延び、大動脈を遮断して人工心肺を使う時間は5時間に上った。患者は術後、心筋梗塞と低心拍出量症候群を発症し、人工心臓による管理が必要となった。対応が可能な大学病院に転院したものの、約2カ月後に死亡。患者の遺族は、「比較的簡単な手術と説明を受けていた」と訴え、病院側に原因究明を迫った。
病院は21年2月に院内事例検討会を開催し、議事要旨を3月に遺族に送付。遺族は診療記録や手術中のビデオの開示も求め、病院側もこれに応じ、文書や対面による遺族への説明を数回に渡って行ったという。更にその後、外部の専門医3人に資料やビデオを提供し、意見書も作成させた。解剖の結果、死亡した男性の心筋は広範囲で壊死していたが、専門医らの意見書では「手術は概ね妥当」との結論だったという。3人の専門医が誰かという事や詳しい意見書の内容については開示していない。
遺族は更に、今回の事案を医療事故として医療事故調査・支援センターに報告する様求めたが、病院は「心筋梗塞は予期された」として予期せぬ死亡事故を調査する医療事故調査制度の適用に該当しないと拒否。この回答は、遺族が納得出来るものではなかった。
髙本氏による論文掲載で急展開
「現在の医療事故調査制度は、事案を報告するかどうかの判断は病院側に委ねられており、遺族側から調査・支援センターに報告する事は出来ない。そこで、遺族は日本心臓血管外科学会名誉会長の髙本眞一・東大名誉教授に検証を依頼。漏れ聴くところによると、亡くなった患者が医療者だった様で、そこから〝重鎮〟である髙本氏に繋がった様だ」(同記者)
その髙本氏は、遺族から提供を受けた手術記録等を基に、22年9月発行の「日本心臓血管外科学会」学会誌に論文を寄稿した。この論文で髙本氏は、①心臓手術では心筋を保護する為に保護液を20〜25分間隔で注入する必要があるが、件の手術では最大46分間空いており、心筋保護液の投与間隔が不適切だった、②保護液の注入部位には空気が入り込み易く、注入時にこの空気を排除しなければならないが、それが不十分であった||等の問題点を指摘。広範囲の心筋の壊死は、長時間に及んだ手術の中でこうした不適切な対応が有った事により引き起こされた可能性が高いとした。更に髙本氏は、「医療事故の可能性が高いにも拘らず、患者中心の医療を無視する作業を行った」と術後の病院側の対応についても苦言を呈した。
論文の内容等が報じられると、病院側は同年10月、一転して医療事故調査・支援センターに今回の事例を報告。病院内で調査をし、その結果を遺族と調査・支援センターに報告する予定だ。だが、この一連の動きに疑問を呈する医療関係者も多い。
都内の心臓外科医は「髙本氏の論文には目を通したが、保護液を20〜25分間隔で注入する必要が有ったのは昔の話。現在はもう少し時間が開いても問題無いとされている」と語る。空気の排除についても、「論文で指摘されている通り、確かに大動脈根部に空気が入り込み易いのは事実で、手術中は空気の排除に努めるが、残念ながら排除出来たかどうかの確認は困難。どれだけ排除に努めたとしても、空気が入り込む事はあり得る」というのだ。
別の外科医も「今回の事情はよく知らないが」と前置きした上で、「こうした医療事故調査の世界ではまま有る事だが、〝重鎮〟と言われる人達は現場の手術に殆ど携わっていない。知識が古かったり、机上の空論で責められたりする事も多いので、第三者による調査は誰に依頼するかで結果が変わる」と話す。又、論文が出た日本心臓血管外科学会についても「日本循環器学会、日本冠動脈外科学会など心臓外科医が所属する学会は複数在り、日本心臓血管外科学会もその1つ。入っていない医師も多いだろう。心臓外科医の標準的な学会という位置付けではない」という。
専門家の意見も分かれる中での報道に疑問
髙本氏の医学的分析の是非は素人には分からないが、仮に手術の腕が未熟であったとしても、術後の心筋梗塞は一定の確率で起きると複数の専門家は口を揃える。であれば、今回の心筋梗塞は「予期出来た」という事になり、医療事故調査制度の適用にはならない事例だ。病院側も当初から「予期出来た」と説明しており、対応は正しかった事になる。
手術にリスクが伴うのは当然とは言え、元気になって退院するのを待っていた遺族にとって死亡という結果は受け入れ難いのは当然だ。全国紙記者は「病院側が遺族に寄り添った支援を出来ていたか等、検証の余地は有るだろう。とは言え髙本氏の論文が出た後、今回の事例が『医療事故調査制度』との関連で大きく報じられたのは不思議だ」と語る。論文の指摘を受け、病院が医療事故調査制度に今回の事例を報告する方針を固めると、読売新聞や毎日新聞等がこれを大きく報じた。〝レアケース〟という意味でニュースになるのは理解出来るが、髙本氏はかねてから医療事故調査制度への報告症例が少ない事を問題視していた人物。遺族も髙本氏のそうした背景事情に共感を覚え、手術経過の検証を依頼した可能性が有る。
「医療事故をセンターに報告するかどうかの判断は医療機関に委ねられており、こんな〝圧力〟が許されるのか。そもそも今回の患者は医療関係者に繋がれたから良いが、そうで無い患者は同じ手段が取れない訳で、不公平感も残る」と全国紙記者は首をかしげる。一方で「医療事故調査制度が開始されてから、大病院で昔はよく行われていた死亡症例の検討会が減った。検討会を開くと医療事故だったと誤解され、患者の耳に入る恐れがあるからだろう」(大学病院関係者)と医療界が医療事故調査に慎重になっているのも事実の様だ。
医療事故調査制度に詳しいジャーナリストはこう指摘する。「現状の制度では、個人の責任追及の流れを止める事が出来ない。制度に報告せよと言うより、事実解明と責任追及は両立しない事を周知し、制度設計を見直す事が先だろう」
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