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未来の会

第74回 医師が患者になって見えた事 デジタル医療を推進し病の経験を伝える

第74回 医師が患者になって見えた事 デジタル医療を推進し病の経験を伝える

東京慈恵会医科大学 准教授 脳神経外科学講座
先端医療情報技術研究部(兼任)
高尾 洋之/㊦

高尾 洋之(たかお・ひろゆき)1975年東京都生まれ。2001年東京慈恵会医科大学医学部卒業後、同脳神経外科入局。米国カリフォルニア大学留学、厚生労働省医政局などを経て15年から現職

デジタル医療の第一人者が、重度のギラン・バレー症候群で倒れ、4年半が経った。今も毎日リハビリテーションを受けながら、復職して月に1〜2回大学の研究室に通い、オンラインでも指導している。デジタル庁の非常勤の公務もこなす。緩やかながらも、完全復帰への道のりを歩み続けている。

ICTを意思伝達手段に

2018年夏に自宅で転倒して入院、4カ月後にICUで目覚め一般病棟に移ったものの、しばらくは“生き地獄”だった。当初、四肢は麻痺し、自分の意志で動かせたのは目だけ。人工呼吸器を装着され、言葉を発することもできず、意思疎通の術がなかった。認知能力・理解力は変わらずあったが、それを周囲に知らせることもできない。耐え難いストレスから、死を念じたことも1度や2度ではなかった。

目覚めて3〜4週間ほどすると、首が少し動くようになり、ささやかに意志を伝え、頬でナースコールを押せるようになった。ICT(情報通信技術)が助けになるだろうと、目の動きでパソコンを操作し、文字入力ができる装置を入れてもらったが、近眼・斜視のためにうまく扱えなかった。周りには、使い方が理解できていないと思われた。病室に日参してくれる母の手助けで、顔を振って合図することにより、短い言葉なら文字盤で伝えられるようになった。

勤務先である東京慈恵会医科大学附属病院(東京都港区)に8カ月入院した後、気管切開され胃瘻も付けたまま、同第三病院(同調布市)に転院。その後、回復期リハビリテーション施設を持つ病院を、約3カ月置きに転々と移った。 

ようやく呼吸器が外れたのは、発症から1年半後だった。多くの神経難病は進行性だが、ギラン・バレー症候群は、右肩上がりに回復をたどる。それまでに高尾が遭遇したこの病気の患者は、せいぜい3カ月で元の生活を取り戻していった。重症の高尾の回復への歩みは遅々としていた。

日常を取り戻す過程で大きな支えとなったのは、やはりICT機器だった。大学院から精力的に研究を続け、12年に米国カリフォルニア大学で遠隔診断補助システム手掛けた。14年から、厚生労働省(医政局研究開発振興課、経済課)に出向した。病院内で多用されているPHSに替えて、スマートフォンを導入してアプリを活用しようと試みた。スマホの医療機器への影響を考察し、環境によってはPHSより影響がないことを証明した。

15年から慈恵医大の附属4病院に約3400台のiPhoneの導入が決まった。高尾は大学に戻り、先端医療情報技術研究講座の講座長・准教授に就任し、大学のICT推進のリーダーとなった。院内にWi-Fiを巡らせ、ビーコン(Bluetoothによる情報送受信システム)を設置し、医療関係者間コミュニケーションアプリ「Join」を開発、導入した。iPhoneは、医師は1人1台、看護師は当日の出勤者が携帯し、勤怠管理や情報共有、遠隔医療、ナースコールなどの日常の様々な業務を効率的に行うようになった。「Join」は16年の診療報酬改定で、施設基準の緩和の要件に採用された。脳卒中ケアユニット入院医療管理料算定には、それまで経験5年以上の医師の常駐が必要だった。しかし当該医師が院外にいても、常時連絡して精細画像や検査結果を含めた診療情報を直ちに送受信し、迅速に診断できる仕組みがあれば、院内の医師の経験は「3年以内」に緩和された。この情報の送受信は「Join」で行う。

おなじみのiPhone、そしてiPadには、視覚障害に加えて、身体機能をサポートする「アクセシビリティ」という機能が搭載されている。病前の高尾には無用であり、なじみもなかった。しかし大学関係者に勧められて使用してみると、音声やスイッチのコントロールと組み合わせ、自らiPadやiPhoneを操作しやすいように設定することができた。声だけで、テレビのチャンネルを変え、電話をかけることもできるようになった。

神経の麻痺では色々な不具合が生じる。腹圧がかからないので尿を押し出せなくなり、入院中に、一時尿路感染症などを起こすこともあった。20年の春以降は新型コロナの流行で、家族の面会も容易にできなくなり、入院も長引いた。

医学知識があったことは、自分の疾患についての理解を助けた。しかし、むしろ絶望を覚えることもあった。意思伝達が円滑でないことも加わり、医療スタッフにいらだちを覚えることもあった。「医師なので、このくらいは分かってほしいと思ってしまったのかもしれない」。

3年半の入院生活を終え自宅に

リハビリの甲斐あって、腕が動き、電動車椅子で移動できるようになった。ゆっくりだが発語もでき、一口大に切ってもらえれば、口から食事も取れる。障害者護認定を受け、自宅に介護用電動ベッドや電動車椅子を購入し、21年6月、実に3年半以上に及んだ入院生活にピリオドを打ち、退院の日を迎えた。

大病で、「それまで築いてきたことは、すべて失われた」と感じる。反面、病から得たこともある。患者と医療者のコミュニケーションの重要性だ。フルタイムの勤務は叶わないが、研究・教育の意欲は衰えていない。自分のミッションも見えた。手軽に手に取ってもらえる教科書を書くことだ。

口述筆記により、2年がかりで22年春に、『患者+医師だからこそ見えた デジタル医療 現在の実力と未来』『闘病した医師からの提言 iPadがあなたの生活をより良くする』(後者は編著、共に日経BP)の2冊を上梓した。とりわけ後者は、自らの体験に基づき、「当時者だけでなく、直接恩恵を受けない人にも知ってもらえれば、世の中が変わる」と、強い思い入れがある。

高尾は引き続き必要とされていた。大学の研究員をウェブ会議システムで指導する。東京都医師会の東京総合医療ネットワークの運営委員も継続している。デジタル庁に乞われ、21年9月からアクセシビリティ担当プロジェクトマネージャーにも就任した。開発していた救命・健康サポートアプリ「MySOS」は、東京オリンピック・パラリンピックのPCR検査の結果通知や、厚労省の入国者健康確認センターでも用いられた。突然予期せぬ病に見舞われた経験から、PHR(パーソナル・ヘルス・レコード)を携える重要性を認識してもらい、普及させたいと考えている。

日々の生活は家族や大学関係者に支えられながら、「したいことを諦めない」と、目標を立てながら生活している。長らく臥床していたため、全身の筋肉が拘縮しがちで、毎日自宅で訪問リハビリを受けている。自在にコンピュータを操ること、車椅子に自力で乗ること、その先には、歩くという目標もある。「やり残したことを、少しずつできればいい。回復の過程で体験したことも伝えていきたい」。(敬称略)

〈聞き手・構成〉ジャーナリスト:塚嵜 朝子 

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