歴代厚労相がWHOに「嘆願書」年明けに結論の可能性
世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局の葛西健事務局長が同僚に人種差別的な発言をしたとして、昨年8月から停職処分を受けている。10月には歴代厚生労働相がWHO本部に「嘆願書」を送る等、その対応を巡って政府・与党内に波紋が広がっている。期待のホープとして送り出された葛西氏の今後は——。
「World Health Organization Director-General Dr. Tedros Adhanom Ghebreyesus」。10月4日付けで出された書簡の書き出しはこう始まり、WHOのテドロス事務局長に宛てられたものだと分かる。ここからは日本語訳を紹介する。
「私達は日本の国会議員として、グローバルヘルスやWHOと密接な関わりを持って来ました。私達は、WHO西太平洋事務局長の葛西健先生に対する疑念に対するWHOの対応について懸念を共有する為に、この連名で書簡を送ります」と冒頭で紹介している。
連名で書簡を出したのは、田村憲久・元厚労相▽塩崎恭久・元厚労相▽根本匠・元厚労相▽後藤茂之・前厚労相▽武見敬三・元厚労副大臣▽古川俊治・自民党参院議員▽橋本岳・元厚労副大臣▽丸川珠代・元厚労政務官の8人だ。自民党が政権を取り戻した2012年以降の厚労相経験者は現職を除いて全て含まれており、将来有望な厚労族議員も含まれ与党の力の入れ様が窺われる。書簡の作成で中心的な役割を果たしたのは、武見氏と見られる。「私たちの関連機関の見解を反映するものではありません」と個人の立場として書簡を作成していると記されている。
葛西氏がどの様な人種差別的な発言をして停職処分を受けたのか、処分の内容含めて詳細は明らかになっていない。分かっているのは、今年1月に同僚に人種差別的な発言をしたとする内部告発があったという事だけだ。その後、8月に停職処分を正式に受けた。AP通信によると、葛西氏は会議でフィリピン人女性職員を罵倒したり、太平洋地域で新型コロナウイルス感染症の感染拡大は「十分な教育を受けた人材の不足」が要因と述べたりしたと伝えている。新型コロナワクチンの機密情報を日本政府に漏らしたと指摘されているが、葛西氏はAPに対し、こうした行為を否定した、と報じている。厚労省関係者は「葛西氏は仕事に厳しい人なので、厳しく叱責した可能性は有るが、人種差別的な発言をする様な人物ではない筈だ」と擁護する。
葛西氏とはどんな人物か、略歴を振り返る
書簡には続きが有る。「私達はこの疑惑について直接知っている訳ではないので、特にコメントしません。しかし、葛西健先生を長年知っている私達にとって、これらの疑惑は真実から遠く離れたものでしかありません。私達の経験では、彼は常に最高のプロフェッショナリズム、誠実さ、そしてコミットメントを持った公僕でありました。特にCOVID-19のパンデミック時には、Lancet Commissionの報告書に有る様に、WHO西太平洋地域にとって極めて重要な役割を担っておられる事が分かっています」と葛西氏に対して最大級の賛辞を送っている。
葛西氏とはどんな人物なのか。略歴を振り返りながら紹介したい。葛西氏は1965年生まれの57歳。慶応大学医学部を卒業後、岩手県庁に入り、救急センターや宮古保健所等での勤務を経て、旧厚生省に入省。大臣官房厚生科学課や統計情報部に勤務した後、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院熱帯医学及び衛生学課程を修了。再び、旧厚生省保健医療局結核感染症課国際感染症専門官として働いた。
その後は、WHO西太平洋地域事務局感染症対策医官として、SARS等の対応に尽力。厚労省の大臣官房国際課課長補佐として戻ると、宮崎県福祉保健部次長に転じて地域の医療や感染症対策等に貢献し、その後WHO西太平洋地域事務局に舞い戻り、感染症対策課長に就任する傍ら、岩手医科大学高次救急センター研究員も兼任。WHOではその後、健康機器管理部長に昇格した。2018年には、政府・与党を挙げた支援を受けると、選挙を勝ち抜いてWHO西太平洋地域事務局長に就任した。特にグローバルヘルスに力を入れる武見氏や塩崎氏らが熱心に支援したとされている。
ローカルからグローバルまで保健福祉分野の事を知り尽くした人物と言え、厚労省幹部は「これ程の経歴を持った人物は他におらず、将来的にWHO本体の事務局長を担うべき人材だった」と明かす。
地域委員会に内部調査と情報開示を要求した
書簡は核心部分に迫る。「葛西先生は、地域委員会から推薦され、執行委員会から任命される選良です。彼はWHOのスタッフの1人ですが、WHO西太平洋地域の加盟国が当地域に最も相応しいと選んだ地域ディレクターの職務、機能、仕事を変更する場合、正当な統治機関のプロセスが必要である事を懸念しています。従って、我々は地域委員会がIOS報告書、GAC勧告、及び葛西先生の反論を慎重に検討すべきであると考えます。地域委員会が、内部調査が徹底的に行われ、結論が実証された証拠に基づいて論理的かつ信頼に足るものであると納得して初めて、メンバー国は情報に基づいた判断を下す事が出来るのです。22年9月1日に開催された地域委員会の情報会議において、加藤勝信厚生労働大臣が、西太平洋地域委員会における十分な情報開示と正式な議論を求める意見を表明された事を承知しています。私達は、大臣の要望を全面的に支持します。しかし、残念な事に、私達の知る限り、この要望に対して、これまで具体的な行動がとられていない様です」と求める。
事態がこじれた要因は日本政府の対応にも……
慎重な言い方を採用している為、やや回りくどい説明になっているが、要は調査結果がきちんと公表されておらず、葛西氏の言い分をきちんと聞かず内部告発を根拠に一方的に処分を決めるべきではない、という事を主張している。末尾では「結論として、我々は、加盟国が主導するガバナンスの完全性とWHOの評判を守る為に、葛西先生のケースに関する今後のいかなる決定も、公正かつ正当で、デュープロセスを十分に尊重する事が最も重要である事を強調したいと思います」と結んでいる。
ここまで事態がこじれている要因はWHOの情報開示が進んでいない点も有るが、日本政府の対応が後手に回った事も大きい様だ。政府関係者は「特に外務省の動き出しが遅かった。当事者意識に乏しく、外交面で完全に後手になった。今になってようやく動き出しているが後の祭りだ。外務省が全く機能しなかった」と吐き捨てる。
更に、WHO内の思惑もうごめいているという話もある。毎日新聞の報道によると、一昨年9月にアフリカ・コンゴ民主共和国でエボラ出血熱の対応で支援した職員らが、現地で性的暴行に及んでいたとされ、その処分が甘かったという批判が欧州を中心に寄せられていたという。関係者の言葉を引用し、この批判をかわす為の材料として使われたのではないか、という見方を紹介している。その裏には嘗てエチオピア政府の保健相や外相を務めたテドロス氏が、将来的に国連事務総長に立候補するのではないか、という驚くべき推測にも触れている。
この話の真偽の程は分からないが、関係者の間ではまことしやかに囁かれている事だという。複数の関係者も「テドロス氏について同様の話を聞いた事が有る」と証言する。10月末の会合でヤカブWHO副事務局長が当面、葛西氏の任務を代行する事になった。関係者の話を総合すると、早ければ年明けにも何らかの結論が出る可能性が有るという。葛西氏の処遇はどの様になるのか、注目される。
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