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未来の会

私の海外留学見聞録⑨ 〜ほろ苦い挫折とそこはかとない郷愁〜

私の海外留学見聞録⑨ 〜ほろ苦い挫折とそこはかとない郷愁〜

長堀 薫(ながほり•かおる
国家公務員共済組合連合会 横須賀共済病院 病院長
City of Hope研究所(ロサンゼルス)

もし、もう1度味わうことが許されるなら、みなさんは人生のどの時期を選ばれるだろうか。私は迷うことなく、アメリカへ留学した2年間を選びたい。

サイエンスで名を成すという野心は木っ端みじんに砕かれ、才能の乏しさに身をつまされ、「努力すれば結果を出せる」信仰が崩れた。身に染みたのは、本当に好きなことで、ちょっぴり運がないと成果は出ないということ。

一方で、生活は純粋に楽しんだ。日本での外科医人生だけだったなら、家族と触れ合う時間を十分には取れなかったろう。また、多様な個性と振幅の大きい人生に触れ、自分の悩みなぞかわいいもんだと、遠くから眺めるもう1人を持てるようになった。

横浜市大卒後に入局した第2外科で、どうしても肝臓を切りたいとダダをこねていたら、土屋周二教授が、泰斗の菅原克彦・山梨医大第1外科教授のもとへと修行に送り出して下さった。与えられた研究テーマが「ミトコンドリアDNA」。ん?と思ったものの、始めてみたらゲノムに強く興味を惹かれた。オーベンの山本正之講師から留学を勧められ、佐久間貞俊・明治乳業ヘルスサイエンス研究所所長から紹介していただいたのは、City of Hope研究所 Biochemical Genetics研究室の吉田昭ディレクター。

アメリカでトップを張る日本人はみな強烈な個性の持ち主で、吉田先生も例外ではなかった。東大で助教授に誘われた際、自分を教授にしないとイヤだと宣われ、フランス、アメリカに活躍の場を求められることとなった。

与えられたテーマは「ABO血液型を決定する遺伝子のクローニング」。血液型を決めるのは、赤血球表面に存在する糖鎖抗原末端のたった1個。ターゲットと定めた糖転移酵素は血中に極わずかで、カラムクロマトグラフィーの蛋白抽出やマウスハイブリドーマを駆使する難しいアプローチとなった。冷蔵室で毎日何十リットルものFFPと格闘し、時に混じるHIV陽性血に慄いたが、クローニングは叶わなかった(涙)。

吉田先生は1つの実験に全身全霊を傾けるタイプで、叩き込まれた万全の準備は、外科の手術に活きた。

佐久間所長から贈られた言葉は、「Open mind」。ユダヤ教のシナゴーグで知り合ったPaul Bellan氏は、30代でカリフォルニア工科大学の教授となったプラズマ工学の俊英。祖父はロシアからユダヤ人排斥運動ポグロムによりカナダへ着の身着のまま移住するが、その長男を医者にした。Paulが、学位を取ったプリンストン大学で知り合ったのは、今はNASA研究者のJosette。彼女は、父がルーマニアでチャウシェスク政権に工場を没収され、移住したパリでソルボンヌ大学を出た。激動の世界史が息づく。2000年国家が無いにも拘らず、存続し続けた民族の底力を感じる。

カリフォルニア工科大学Paul Bellan教授邸で。プラズマ工学の専門家。

道端で友達になったおっさんのStewart M. Price氏は、イタリア人とロシア人の移民の子。いつも楽しそうで、夢はあるけれど血筋なのか怠け者で、事業に手を出しては必ず失敗する。そうすると、2つの仕事をかけもちする奥さんが健気に尻拭いする。しかし、こちらが困った時には全力で支えてくれ、深淵な眼差しで相談に乗ってくれる。社会的に成功しなくても人生は楽しく過ごせると教えてくれた。

サイエンスに限れば底辺だったけれど、間違いなく人生の幅を広げてくれた2年間であった(肩書は当時)。


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