医療現場では患者や家族とのトラブルが避けられない時が有る。特に患者が亡くなった時は、如何に医師が手を尽くしても、家族から「何故助からなかったのか」と責められる事も珍しくない。難しい症例や特異な状況が在ったケースでは、医療体制に問題が在るのではないか、医師に重大な過失が在ったのではないか、とマスコミに大きく取り上げられ、社会問題に迄発展した事も過去には有る。もし医療事故が起きた時、病院や医師は解決に向けてどう対応すべきなのか、又、医療過誤の疑いを持たれない様にするにはどうすべきなのか。医療トラブルに詳しく、弊誌創刊時から「経営に活かす法律の知恵袋」を連載されている弁護士の井上清成先生に講演して頂いた。
原田 義昭氏「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)井上先生は『集中』が創刊された2008年から法律に関する連載を続けておられます。法律の中でも医療は特に難しい分野です。医師や病院側もしっかり勉強して行く事が大切です。
三ッ林 裕巳氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団代表(元内閣府副大臣、自民党衆議院議員、医師)日本は欧米諸国に比べ死因究明の体制が遅れていると言われています。自民党では死亡検証の問題に取り組んでいます。死因究明は不慮死の予防が目的であり、しっかり取り組んで行きたいと思います。
東 国幹氏「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(自民党衆議院議員)医療過誤には様々な要因が有りますが、対策の1つとして医療の労働環境の整備が求められています。自己犠牲的な長時間労働の抑止や、医療事務の改善や働き方の見直し等にも取り組む必要が有ります。
尾尻 佳津典「日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)医療に携わっている以上、医療過誤の問題は避けられません。更にこれからは医療界も労働法への対応が求められます。この様な時こそ、法律を知っていれば、強い味方になる筈です。
講演採録
医療過誤における医療機関の対応について
■医療過誤が大きく報道される理由とは
最初に2016年に乳腺外科医が準強制わいせつ容疑で逮捕、起訴された事件を取り上げます。刑事裁判は1審の東京地裁で無罪となりましたが、2審の東京高裁で逆転有罪となり、上告審の最高裁は今年2月、医師の唾液とされる付着物のDNA鑑定についての審理が尽くされていないとして、有罪判決を破棄して高裁へ審理を差し戻しました。今後、高裁で差し戻し審が行われますから、細かな論点については差し控えますが、本来は手術直後の覚醒時の譫妄が有ったかどうかが争点となる所、一般的な術後譫妄の話として捉えられて裁判が進んだ事に問題が有り、それが高裁で判断が覆った原因になったと感じています。
裁判官は決して医療の専門家では有りませんから、医療の専門家とは認識にずれが生じたのだと思います。又、この様な刑事事件で無罪を主張する時に難しいのは、被害者の主張にあまり反論すると、「被害者を責め過ぎではないか」「加害者を守りたいが為に被害者を攻撃しているのではないか」と言われ兼ねない点です。今回は「被害者は譫妄で幻覚を見た」という主張ですから、被害者への配慮も欠いてはならないという所に難しさが有ります。
最高裁判決では、譫妄の可能性が有るとした上で、決め手はDNAに有るとしました。しかし最高裁では鑑定結果について判断する事なく、再検討を高裁に委ねました。実はここが、私から見て今後の裁判で心配な部分です。弁護方針として覚醒時の譫妄の可能性を突き詰めれば、DNA鑑定の結果を待たずに勝てるのではないか、無罪を勝ち取れるのではないかという考え方も有ります。ただ、今回弁護団は「譫妄の可能性が有り得る」という事が認められたので十分ではないかと考え、後はDNA鑑定の正当性に絞って争うという方針に決めた様です。この辺りは専門家同士でも議論が分かれる所です。
この裁判は医療過誤の事案ではありませんでしたが、仮に医師が逮捕され、大きく報道されてしまうと、例え無罪を主張していたとしても本人は表に出られなくなり、職を失う等して生活にも支障が出ます。こうした事が起きない様対策を講じる事が大切です。
最近は、術後死亡率の高さが取り沙汰された、嘗ての群馬大学病院事件の様な形で医療過誤が大きくマスコミに取り上げられる事も減って来ましたが、昨年、石川県の市立輪島病院での医療事故が大きな話題となりました。次にこの案件について背景を説明したいと思います。
私も公立病院の顧問弁護士をしていますが、こうした医療事故が起きた時に先ず考えるのは、「出来れば公表しない。公表して報道されるにしても、イメージが悪くならない様にする」という点です。隠すのではなく、事案をしっかり調査して原因を解明し、今後の医療の改善に役立てられれば、それ以上大きく取り上げられる事は無いのではないかと考えます。出来るだけ病院や医師へのダメージを緩和するのが私達弁護士の仕事だからです。
今回の輪島の医療事故は、産科の医師が常位胎盤早期剥離に気付かず、処置が遅れた為に新生児が死亡したという事案です。医療事故は21年6月に起きましたが、今年の5月6日に病院が公表して謝罪しています。この事故が大々的に報道された要因をインターネットで検索した所、様々な背景が報道されている事が分かりました。1つ目は、分娩を担当した医師が、周辺の2市2町で唯一の産科医だったという事です。能登半島の奥能登と呼ばれる地域ですが、そこに産科医が1人しか居なかった。
こうした話を聞くと、私は06年の福島県立大野病院事件を思い出します。帝王切開手術で妊婦が死亡した事を巡り、主治医が業務上過失致死で逮捕されるという大変ショッキングな事件でした。
産科医が不足しているのは、何も奥能登の地域だけに限られる訳では無く、全国的な問題です。大野病院事件でも、産科の医師が病院に1人しか居ないという背景が取り上げられましたが、今回の事件でも、産科医が足りないという点がクローズアップされてしまいました。
他にも、担当医が途中で有休を取得したとか、助産師との関係が良くなく、助産師から医師に異変が伝えられなかったという事も有った様です。こうした事が現代の医療現場の問題として切り取られ、報道されてしまったのが今回の特徴です。
病院が発表したお詫びの文書を見ると、医師が常位胎盤早期剥離を見逃し、早産だと判断してしまった様です。言わば「医師の見立て違い」で、薬剤の投与も不適切だった。その点を見れば、「医療過誤」「医療事故」と言われても仕方が無い面は有るでしょう。ただ、特異な事案という訳では無く、残念ながら分娩では起こり得る事案です。それならば、産科医が少ないとか、有給取得とか、事故と直接関係の無い部分は切り捨てて純粋に医療の問題に絞って再発防止策を講じ公表すべきだったと思います。
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