内外を揺さぶる重大事案が相次ぐ2022年。ロシアによるウクライナ侵攻も新型コロナウイルスも収束が見通せず、世相を暗雲が覆っている最中、北海道知床半島沖では痛ましい観光船の海難事故が起きた。株価は乱高下を繰り返し、円安も負の側面を強めて、国民生活に陰を落としている。冷えた国民マインドの中で、岸田文雄内閣は権力基盤固めを狙う参院選の公示日を迎える。
例年より一足早い桜の季節が終わりつつあった4月23日、東京・永田町は騒然としていた。北海道知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」の海難事故が起きた為だ。
騒ぎになったのは発生場所がロシアに至近の北海道である事が遠因だった。
「まさか、ロシアが?」
未確認情報が飛び交う中、憶測は広がり、話にどんどん尾ひれが付いていった。根拠の無い噂を大きくしたのは、岸田文雄・首相が熊本での日程を変更して当日夜に自衛隊機で官邸に戻って来るとの情報だった。「ただ事ではない」と永田町雀が飛び回った。
「事故と確認出来ていると、何度言い聞かせても疑いの目で見る奴が居るんだ。全く、どうかしている」
自民党幹部は当時の様子を振り返る。
「ウクライナ侵攻と新型コロナの影響で、皆の感覚が正常でなくなっている。猜疑心が強いというか、ゆとりが無い。緊張感は必要だが、敵愾心は不要だ。こういう時代は、冷静沈着で正しい判断をする事が肝要なんだ」
騒ぎは間も無く沈静化したが、丁度この日、林芳正・外務相が洋上で米軍の空母を視察していた。様々な偶然が重なり、心が乱れる条件が揃ってしまった様だ。
騒ぎには、政府・与党が準備を進める観光振興策への悪影響というもう1つの側面も有った。
「地元から、『このままでは温泉街が消滅する。何とか振興策を打って欲しい』と毎日陳情が有る。今年の大型連休は何とかなると期待していた矢先だけに事故の影響が心配だ」
中国地方の観光地を地盤とする自民党中堅は、事故を契機に国民の観光マインドが冷える事を懸念していた。岸田首相始め政府関係者の迅速な対応も、今後の経済振興策への影響を考慮したからだった。
首相官邸には忌まわしき過去が有る。01年2月、米ハワイ沖で日本の高校生の実習船「えひめ丸」が、米海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、9人が死亡した「えひめ丸事故」だ。
親ロシア派の森喜朗・首相の時代だった。森首相は第1報が入った時ゴルフ場におり、連絡はSP(シークレットサービス)の携帯電話を通じて入った。衝突で日本人多数が海に投げ出された事や、相手が米海軍だった事も判明していたが、森首相は第2報の後、第3報が入る迄1時間半プレーを続けた。危機管理意識の欠如と問題視され、これが「首相の資質」を問ううねりとなり本格的な「森降ろし」に繋がって行った。
自民党幹部が語る。
「海難事故は鬼門なんだ。神奈川で潜水艦『なだしお』と遊漁船が衝突した事故もそうだった。下手を打つと取り返しの付かない事態になる。素早く取って返した岸田首相の判断は正しかった。要らん噂を流す奴らのせいで、少しざわついたが危機管理能力の有る事は示せた筈だし、参院選に向けて国民を安心させる事にもなったんじゃないか」
その参院選は6月22日公示、7月10日投開票が有力視されている。内閣支持率は比較的高く、国民の評価も安定しているが、自民党内には不穏な空気も漂っている。以前、この欄で紹介した衆院選挙区の「10増10減」案がその原因だ。
小選挙区の区割り変更巡る不穏
同案は、総務省が昨年6月25日に公表した20年国勢調査速報値を踏まえた試算から導き出された。これを受け、政府の衆院選挙区画定審議会は今年6月25日迄に「10増10減」の為の区割り変更案を岸田文雄首相に勧告する予定になっている。参院選の日程と被るのだ。
勧告を受け、政府は間を置かずに公職選挙法改正案を国会に提出する。自民党以外の各党は「勧告通り粛々と実施すべきだ」との立場を取るが、区割りが変わる議員は悲鳴を上げる。選挙区が減る10県は、自民党の現職が多く、議席を失う現職が生まれる可能性も有る。
同案が勧告された時点で、自民党内の反対論が激化するのは確実。参院選と同時進行の「権力闘争」に進展する恐れが有るのだ。注目されているのが山口県と和歌山県だ。安倍晋三・元首相と二階俊博・元幹事長という党内有数の実力者の命運と直結するからだ。
山口県では安倍元首相の4区と、林外相の3区が区割り変更されると見られている。林外相は参院からの鞍替えで「次期首相候補」を自認している。両区が統合されて新たな小選挙区となれば、元首相と首相候補の公認争いが勃発する事になる。
和歌山県は現在の3小選挙区から2小選挙区に変更される。3区は二階元幹事長の地元だ。83歳と高齢の二階元幹事長は次期衆院選で引退し、三男に選挙区を譲る考えと見られる。しかし、こちらも地盤が重なる世耕弘成・参院幹事長が「首相を目指す為、次は衆院に鞍替えする」と明言し、〝二階・世耕戦争〟が避けられない情勢になっている。
事情を複雑にしているのは3権の長の1人である、細田博之・衆院議長が「10増10減」案に否定的な考えを重ねて表明している事だ。議会が決めた案を議長が否定するのだから、ルール逸脱なのだが、細田衆院議長は東京都で3増、新潟・愛媛・長崎各県で3減とする独自の「3増3減」案まで提起。「地方を減らして都会を増やすだけが能じゃない」と発言し、地方選出の衆院議員のシンパシーを集めているのだ。
もちろん、野党も黙っていない。立憲民主党の馬淵澄夫・国対委員長は、自民党の高木毅・国対委員長に「(細田議長の言動は)国会を無視する発言だ。看過出来ない」と抗議。「10増10減」実施を文書で確約しなければ信頼関係は成立せず、国会運営に影響が出ると伝えた。維新の会や国民民主党、共産党も「発言撤回が必要」と抗議しており、与野党対立の火種にもなっているのだ。
「細田さんの発言には哲学は有る。人口比だけ、つまり数だけが民主主義なのかという根本問題の提起だから。数で全てを割り切って良いのなら、少数者は全て切り捨てて良いと言う事に成り兼ねない。しかし、疫病と戦争の、この時世。内紛でもたつけば国民に嫌気される。参院選にも悪影響が出る」
自民党選対関係者はそう言って事態の行方に気を揉んでいる。
クールフェイスの裏側
岸田首相はというと、例によってクールフェイスの対応。「勧告に基づく改正案を粛々と国会に提出する」と淡々と表明している。
「『10増10減』で安倍元首相や二階元幹事長が窮地に追い込まれれば、党内の権力構造はかなり変わるだろうな。麻生太郎・副首相兼財務相も高齢で引退間際だよな。参院選で勝てば岸田首相の権力基盤は盤石になるだろうから、岸田独歩高の状況に近付く。上手く乗り切れば、岸田1強に成るかも知れないな。逆ももちろん有るが……」
自民党長老はクールフェイスの裏側をそう分析して見せた。
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