国家プロジェクトとして進められている医療AI構想の現状と課題
IoTや人工知能(AI)は既に私達の生活の中で大きく役立っている。例えば、お掃除ロボットはAIによって障害物を避けながら掃除をする事が出来るし、スマホにもAIが搭載され、音声アシスタントとして機能している。更には、ほぼ使わない日は無いインターネットの検索エンジンにもAIが活用されている。そして今、AIは医療にも変革をもたらす事が期待されている。
米国では、2018年に食品医薬品局(FDA)がAI技術を搭載した診断装置を販売する許可を民間企業に与えた。 又、都市部と山間部で大きな医療格差がある中国でも、その必要性から医療AI技術への投資額は年々増加している。日本では現時点では医療AIが十分活用されているとは言えないが、近年その動きは国家プロジェクトレベルで活発化している。そこで本稿では、内閣府を中心に推進されている「AIホスピタル」の現状と問題点を概説する。
AIによって広がる未来
18年度の内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期において、医療分野におけるSociety 5.0の実現に向けた課題として「AIホスピタルによる高度診断・治療システム」研究が採択された。この研究の目標は、AIやIoT、ビッグデータ技術を用いた「AIホスピタルシステム」を開発・構築・社会実装する事により、高度で先進的な医療サービスを提供し、医療機関における効率化を図り、医師や看護師等の医療従事者の抜本的な負担の軽減を実現する事にある。
AIホスピタル事業の内容は多岐に渡るが、22年度末の到達目標として次の4点が挙げられている。①セキュリティの高い医療情報データベースシステムの構築・医療有用情報抽出技術の開発、②AIの診療現場への導入による、医師—患者アイコンタクト時間の倍増と医療従事者の50%がかなりの負担軽減を実感できること 、③AIを利用した遠隔画像・病理診断、血液による超精密診断法の開発、④10医療機関での「AIホスピタルシステム」導入モデル病院の運用開始、である。
この計画に基づいて、既に行われている具体的な取り組みを挙げたい。先ず、各病院に保管されている医療記録をクラウド上で保存し、将来国全体の医療ビッグデータとして解析可能な形にまとめる「セキュリティの高い医療情報データベースの構築」が進められている。情報通信総合研究所が中心になり、将来の医療情報統合データベース作成の為の基盤技術として、秘密分散・秘密計算技術の医療応用についての研究開発が実際に進行中である。
このデータべースが完成すれば、様々な事に活用出来る。一例として、データベースから生存率や再発率等の治療成績を簡単に算出する事が出来、又、予後因子の同定も可能になる。これらのデータは治療成績の改善に取り組む医療従事者にも有用だが、それだけではない。インフォームドコンセントにおいて患者にこれらのデータを提供する事により、患者も安心して治療に取り組める。実際に、がん研有明病院と慶應義塾大学病院では既に試験的な取り組みが行われ、患者からは非常に好評であったと言う。
それに加えて、このデータベース構築は災害対策にもなる。毎年のように日本各地で大規模災害が発生しており、被災地では医療サービスが多大なダメージを受け、各医療機関に保存された医療個人情報へのアクセスが困難になる事がある。しかし、クラウド上に保存されるようになれば、非常時には外部からでもアクセスが可能になり、健康被害を最小限に食い止める事が出来る。
又、医療者の記録業務を効率化する為に、「音声カルテ入力技術の開発と実装」が進められている。更には、造影CT検査のような定型化された同意説明について患者デジタル同意システム(eConsent)の導入も行われており、検証試験では確認テストを用いた理解度は100%、医師の負担を98%低減した事が報告された。この技術は、Withコロナ時代の非接触型インフォームドコンセントにおける有用性も示唆されている。その他にも、外来待合からの呼び出し通知や、AI自走車いすを用いた患者の搬送システム、検査部門では人型ロボットを用いたコミュニケーション技術や、画像診断支援、電子カルテ情報からインシデントを予測するアラートシステム、薬剤部門では薬剤自動搬送システムや調剤ロボット等も試験運用が開始されている。
これらの技術はどれも医療従事者の負担を軽減する事に繋がり、労働環境改善策として大きな期待が寄せられている。実際、最も患者に近いところで活動する看護師は、勤務時間の約30%(2.5時間/日)を看護記録に費やしていると言うデータがあるが、音声を文章にしてAIが記録を行う事により、相当な負担軽減になる事が示唆されている。医療分野の言葉は一般の辞書には搭載されていない為に、音声認識能力は格段に落ちる事が懸念されていたが、数々の改良により、たった半年で音声認識精度は68.1%から89.7%と飛躍的に改善したと言う。
又、それに伴って、医療従事者と患者のコミュニケーション時間が増加する事により患者の医療満足度が上がる効果も期待されている。特に電子カルテ普及後、医療従事者がパソコン画面ばかりを見て、患者の方を見ない事による医療満足度の低下は大きな問題になっており、この状況を改善する事は患者満足度向上に直結すると考えられている。
人型ロボットによるコミュニケーションももはや空想の世界ではなく、実際に現場で試験運用されている。PET検査では周囲の医療従事者の被ばくが避けられないが、人型ロボットがPET検査に付き添う事によって、医療従事者の被ばく量が63%軽減され、83%の患者が癒やしを感じたとの報告もある。
官民共同の国家プロジェクト
更に、20年には「AIホスピタルシステム」の要になり、社会実装に向けた「医療AIプラットフォーム」構想が発表された。医療AIプラットフォームとは、医療・製薬等医療に関わる業界共通の基盤になるもので、医療に携わる全ての業界が同じプラットフォームを用いる事で、高品質の医療AIサービスを多くの医療機関や民間の検診センター、保険会社等へ廉価・公平に届ける事を可能とする構想だ。この計画には民間5社(日本ユニシス、日立製作所、日本アイ・ビー・エム、ソフトバンク、三井物産)がそれぞれの得意分野で開発・構築に携わると共に、日本医師会が「日本医師会AIホスピタル推進センター」を設立し、ガバナンス機関として機能している。
このプラットフォーム構築によって、健診から外来、入院に至る全てのプロセスが繋がる事になる。収集されるデータは、採血結果、既往歴や身体所見、CTやMRI等の画像データ、ゲノム情報、投薬記録、手術記録等多岐に亘り、個々の患者の診療をより手厚くサポートする事になる。
21年7月より開始された試行運用では、画像診断に関する医療AIサービスがプラットフォームに搭載されており、AIが画像データの取得と医療AIサービスによる分析を行い、その結果を医師へ報告する等、AIを活用した画像診断補助のプラットフォーム運用に向けた技術的検証が進行中である。又、その他、プラットフォーム利用者である医師の登録業務の試行運用、技術的検証と並行して費用の設定や決済方法等の検討も行われている。
医療者・国・患者、3者にメリット
AIホスピタル構想は高齢社会の日本の医療に多くのメリットをもたらす事が期待されている。先ず病院のメリットとして、先に挙げた書類や記録作成の支援を得られる事で、「医療従事者の負担軽減」に繋がる。更にこれらに費やしていた時間を本質的な業務へ充てる事が出来る。又、ゼロにはならない事が既に実証されているヒューマンエラーについても、AIのサポートによる「人的ミスの回避」が期待される。例えば、AIによるモニタリングを実施する事で、投薬ミスを回避出来るかも知れない。更に日々の臨床で得られた各病院の医療情報をビッグデータベースとして構築する事で、「より高品質な医療の提供」に繋がる可能性もある。
国のメリットとしては、今まで病院単位で保有していた医療情報を一元化し、検査の重複等を防ぐ事による「医療費抑制」がある。又これらの事業によって開発された新技術を輸出する事で、「国際的競争力の向上」が期待されている。
患者のメリットとしてもAIの支援による「より適切で迅速な診断と治療」、医療従事者とのコミュニケーション時間の拡大による「医療満足度の向上」、医療の効率化に伴う「療養期間の短縮」等が挙げられる。又、遠隔診療が充実化する事による「都市部と地方の医療格差の低減」も、医療がユニバーサルに提供されるべき基盤的サービスである事を考えると大きなメリットになるだろう。
このように多くのメリットはあるものの、医療にAIを活用する事には、法的・倫理的な問題も存在する。先ずよく言われるのは責任の所在だ。この点については、18年に厚生労働省通知によって、「AIを用いた診断は医師による診断である」との解釈が示されているが、今後AIが更に進化した場合、実質的にAIが診断するようになる可能性もあり、その時に医師が主体性を保てるかどうかと言う問題が出て来るかも知れない。
「知らないでいる権利」も無視出来ない。大量のデータを学習したAIは、思わぬ診断結果をはじき出す事もあり得る。網羅的に検査を行うゲノム医療においては、偶発的発見に関する議論が既になされているが、全ての結果を患者に伝えた場合、患者の知らないでいる権利を侵害する恐れがあるかも知れない。
又、膨大な医療データが収集され、多くの事業者で共有される事は、とても便利な反面、プライバシーの侵害と言う問題も生み出す可能性がある。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、日本の医療サービスの提供力が脆弱化しつつある事が浮き彫りになり、又、医療従事者の過剰な負担も議論になった。今回紹介したAIホスピタル構想のゴールは、「冷たく機械的な医療現場ではなく、心と心が通い合う医療現場」である。医療従事者の仕事をAIが取って代わるのではなく、医療従事者の負担軽減と、それによる医療サービス向上の観点から遂行されている。実装に向けては、技術的な問題や導入コストに見合うか否か等課題はまだ多いが、少子高齢化によりますます負担の増大が懸念される医療が、国家プロジェクトである本計画によって救われるのか、今後の進捗を注視したい。世界の先進を行く医療から取り残されない為にもAI導入は必須だ。
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