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未来の会

「アフガン救出作戦」が遅れた理由は横浜市長選?

「アフガン救出作戦」が遅れた理由は横浜市長選?

命を守る危機管理で失態が続いた菅政権

「危機管理」とは、災害等の不測の事態を想定して事前に準備をしておき、いざという時には被害を最小限に抑える対策を講じる事。国民の生命・財産を守るべき政治の要諦とされる。

 アフガニスタンの首都カブールがイスラム主義組織タリバンの手に落ちた8月15日、日本政府はすかさず日本人大使館員12人を退避させ、同17日、英国に頼んでカブール国際空港から英軍機でアラブ首長国連邦(UAE)へ「命からがら」(外務省幹部)の状況で出国させた。

 しかし、日本国として保護すべきは国家公務↘員だけではない。政府はカブール陥落から8日後の8月23日になってようやく自衛隊機3機の派遣に踏み切ったが、カブール空港まで辿り着く事の出来た日本人1人と、米国の依頼でアフガニスタン人14人を隣国パキスタンに運んだだけで同31日に撤収した。

 当初、アフガンに残る日本の民間人と、大使館や国際協力機構(JICA)等で働いていたアフガン人職員・家族ら最大500人程度を救出する作戦だった。結果としてこの500人は日本国の保護を受けられなかった。

 危機管理の失敗は明白だ。米軍のアフガン撤退によって情勢が悪化する懸念は国際的に共有されていた。「米国すら予想しなかったスピードでカブールが陥落した」(外務省幹部)とは言え、最悪の事態を想定して備えるのが危機管理である。

救出実績は「日本1人」対「韓国390人」

 日本大使館は、カブール陥落を8月末の米軍撤退後と想定し、現地スタッフらを民間チャーター機で同18日に退避させる計画を立てていたという。しかし、カブール陥落が想定より半月早まり、↖陥落当日に民間機で出国させた在留邦人1人の他は現地に残したまま大使館は閉館した。

 日本人大使館員が無事に退避出来たのは幸いだった。問題は、取り残された現地スタッフらを退避させる次善の策が遅れた事だ。

 なぜ自衛隊機派遣まで8日を要したのか。防衛省幹部は「我々は自衛隊法第84条の4(在外邦人等の輸送)に基づいて、外務省からの要請を受けて行動する立場だ」と外務省の責任を指摘する。外務省が日本人大使館員を退避させただけで良しとしていたとは思わない。だが、アフガンに駐留軍を置く欧米諸国に500人もの人員を移送してもらえると期待していたのは楽観が過ぎる。

 8月14日の段階で外務省から防衛省に自衛隊機派遣の可能性について検討を打診しながら、15日のカブール陥落を受けて「ホールド(保留)にした」(外務省幹部)との説明に至っては、もはや意味不明と言う他ない。情勢が緊迫していたのであれば、なおさら自衛隊機の派遣を急ごうと考えるのが普通ではないのか。

 「JAL(日本航空)に輸送機の派遣を打診して断られたらしい」(政府関係者)との情報が仮に事実だとすれば、カブール空港の情勢を見誤ったか、それとも危険なミッションを民間に押し付けようとしたのか。

 日本政府の失態を際立たせたのが韓国政府の「ミラクル」作戦だ。韓国もいったんは大使館員をカタールに退避させたが、一部をカブールに戻し、アフガン人スタッフとその家族ら390人を韓国軍機で脱出させるのに成功した。

 韓国軍の輸送機3機が派遣されたのは自衛隊機と同じ8月23日だった。大きく異なったのは、現地での周到な準備だ。22日にカブールに戻った韓国大使館員4人は米国に協力を求め、バス6台を手配して出国希望者全員を収容。バスには米兵に同乗してもらい、タリバンの検問を通過してカブール空港を飛び立ったのは、空港近くで自爆テロが発生する前日の25日。まさにミラクル(奇跡的)な救出劇は、危険な現場で積み重ねた準備あってのものだった。

 一方、日本政府の情報収集チームがカブールに入ったのは8月24日。韓国と同様、米国の協力を得ながらバス等を手配して救出を試みたが、決行当日の同26日、自爆テロの発生によって断念した。翌27日、共同通信の通信員をしていた日本人女性1人をカタール政府手配のバスで空港まで退避させ、これが唯一の日本人輸送実績となった。日本に協力したアフガン人達は取り残され、韓国政府に救出された人々は「特別功労者」として韓国での就労や永住が認められるという。

 「1人」対「390人」という彼我の差を生んだのは、政府チームのカブール入りが2日遅く、救出の決行日が1日遅れた結果だ。それをわずかの遅れだと考えるなら「運が悪かった」(外務省幹部)という見方も出来るのかもしれない。

 しかし、外務省が自衛隊機派遣検討の「ホールド」を解除して再度、防衛省との協議に入ったとされる8月20日は、韓国政府が救出計画の決行日(当初は同24日だった)を対象者に連絡した日だった。菅義偉首相が外務省から自衛隊機派遣計画の報告を受けて了承したのが同22日。韓国大使館職員がカブールに戻った日である。

 8月22日は横浜市長選の投票日だった。菅首相の側近、小此木八郎・前国家公安委員長が閣僚と衆院議員を辞して立候補し、横浜選出の菅首相から支援を受けながら、立憲民主党の推薦候補に敗れた選挙だ。防衛省関係者が「外務省は横浜市長選が終わるのを待っていたのでは」と疑念の目を向けるのは、そうとでも考えなければ外務省の動きの鈍さの説明がつかないからだ。

根拠不明の楽観は「忖度」の産物か

 現職の首相が一地方選挙で特定の候補に全面的に肩入れするのは異例の事。負ければ自民党総裁選を前に「菅降ろし」が始まると言われていた最中、外務省が自衛隊機の海外派遣という重い政治案件を首相に上げるのをためらったのではないかという見方が政府内にくすぶっている。

 いわゆる「忖度」である。もしそうであったとしたら、「首相の機嫌を損ねたくない」という保身の論理を、「500人の命」を保護する国家の責務より優先した事になる。そうでなかったのだとすれば、最悪の事態を想定した準備を怠った上に、楽観的な情勢判断を重ねて国家的な失態を世界にさらした事になる。いずれにせよ、国家としての危機管理の失敗であり、外務省のみの責任に帰せられる話ではない。「忖度」があろうとなかろうと、首相が率先して動くべき事案だった。

 思い起こされるのは、新型コロナウイルスのパンデミックが中国・武漢から始まった昨年初めの政府の初動だ。中国からの渡航者の入国を水際で阻止すべきという声は、習近平・中国国家主席の訪日実現を重視する安倍晋三首相(当時)への「忖度」によってかき消された。安倍氏がそれをどんなに否定しても、「忖度」をするのは官僚側。その後1年半以上が経過した今も続く後手後手のコロナ対応も、アフガン救出作戦と同様、初動の誤りから始まった事を忘れてはならない。

 なぜいまだに、中国はじめ諸外国が設置してきた大規模臨時病床(野戦病院)が整えられないのか。その結果、多くの感染者が自宅療養を余儀なくされ、家族感染が急激に広がってもなお自宅療養を求め続ける政府の姿勢は矛盾に満ちている。デルタ株の爆発的な感染拡大が政府の言う通り「災害級」だとしても、その感染力の強さは以前から指摘されてきた。最悪の事態を想定し、命を守る医療体制を構築するのも危機管理だ。

 コロナとアフガン。根拠不明の楽観姿勢が生んだ危機管理の失敗が続き、菅政権は退陣した。

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