感染状況評価指標の見直し案は「生煮え」のまま
新型コロナウイルス感染症の第5波を受け、政府は大都市圏で逼迫する入院病床確保に向けて入院基準を「基本は自宅療養」へと変更した。更に、感染状況を評価する指標についても見直しを検討している。新規感染者数の重視をやめ、早く緊急事態宣言を脱したいとの思惑からだ。しかし、専門家からは異論も飛び出しており、指標の早期見直しにはメドが立っていない。
ウイルスが格段に強い感染力を持つインド由来のデルタ株に置き換わっていくにつれ、全国の新規感染者数は2万人を超すようになった。緊急事態宣言の対象地域は次々拡大している。東京都は7月下旬から新規感染者数が急増し始め、8月13日には過去最高の5773人に達した。その後も高水準が続く。
こうした状況で政府が着手したのが入院基準の見直しだ。感染急増地域では入院対象を重症者や重症化の恐れが強い人に限り、基本は自宅療養とする方針に転じた。
厚生労働省はコロナの症状に関し、①軽症(せき等)②中等症Ⅰ(肺炎で酸素投与は不要)③中等症Ⅱ(酸素投与が必要)④重症(人工呼吸器が必要)——に4分類している。
「入院難民」が自宅で相次いで死亡
これまで中等症は入院対象だった。ところが春の第4波の際、大阪では中等症患者が病床を占め、入院出来ずに重症化して死亡する人が相次いだ。専門家が「災害時に近い」と評する第5波では、東京等でも「入院難民」となって自宅で死ぬ人が目立ち始め、焦った政府は入院基準の見直しに乗り出した。
当初、8月3日に厚労省が自治体に通知した方針は「入院は重症患者や特に重症化リスクの高い者に重点化する」との内容だった。だが、酸素投与が必要な中等症患者も入院の対象外と受け止められ、野党ばかりか与党からも「治療放棄だ」「自宅で酸素投与等あり得ない」といった批判が続出した。
自民党の下村博文政調会長は翌4日、田村憲久厚労相と会い「国が中等症の人を見捨てたと誤解を招く」と修正を迫った。田村氏も修正を受け入れ、「酸素投与が必要な中等症患者は入院可」「入院の有無を判断するのは医師」といった趣旨の文言が加筆された。
菅義偉首相に近い官僚は「第5波の患者の中心は死亡リスクの低い若者だ。患者の大半を高リスクの高齢者と想定した皆入院の方針を続けるのはおかしい」と言い、入院基準の見直しを正当化している。
とはいえ、見直しは官邸主導で進め、国の対策会議の専門家にさえ諮っていない。頼りのワクチンが不足する中で感染爆発が起き、大慌てで病床数のつじつま合わせをしようとしたのが実情だ。
やはり土壇場でのつじつま合わせは通じず、都内の病床使用率が63%に達した8月23日、厚労省は東京都とともに都内の医療機関に病床確保を要請した。改正感染症法に基づく措置で、正当な理由なく応じなかった医療機関については名称を公表出来る。国が要請するのは、これが初めてだ。
小池百合子都知事は「急を要しない入院や手術の延期等、通常医療の制限も視野に入れている」と踏み込んだ。
しかし、医療スタッフをギリギリ貼り付けている医療機関は少なくない。人手不足は深刻で、要請がどれほど効力を発揮するかはハッキリしない。打つ手が限られる中、入院基準の見直しに続いて、生煮えのまま表面化した方針が感染状況を評価する指標を見直す案だ。
これまで政府は①医療の逼迫度②療養者数③PCR陽性率④新規感染者数⑤感染経路不明割合——を元に、緊急事態宣言等の発令や解除を判断してきた。中でも最も重視してきた1つが「直近1週間の10万人当たりの新規感染者数」だ。25人超で宣言の目安となる「ステージ4」とされている。それが東京都は200人を超す状況が続いており、とても9月12日の期限までに宣言を解除出来る見通しは立っていない。
早過ぎる「出口戦略」に分科会も批判
そこで政府内に浮上してきたのが、ワクチンの接種状況や重症者数を評価指標に加えて宣言の解除や経済活動再開に繋げる「出口戦略」だ。
政府の感染症対策分科会の尾身茂会長も8月17日の記者会見で「重症者数や入院者数等を含めた医療の逼迫度をより重視する事を出口戦略の基本とすべきだ」と語っている。
ただ、感染爆発を無視したご都合主義ともとれる方針に、他の分科会メンバーからは異論が噴き出している。
都内の重症病床使用率が7割前後に及ぶ状況に、あるメンバーは「早過ぎる。入院出来ずに死ぬ人が次々出るかもしれない中で、出口戦略等あり得ない」と吐き捨てる。
別のメンバーも「『新規感染者数を重視しない』という誤ったメッセージを送りかねず、感染抑制が疎かになって更に重症者が増える」と厳しく批判している。
そもそも菅首相が期限通り9月12日の宣言解除を狙った背景には、解除から自民党総裁選告示日(9月17日)までの間に衆院解散の余地を残そうとした事がある。
ただ、政府のコロナ対応は国民にまるで響かず、内閣支持率は20〜30%台に低迷。8月22日の横浜市長選では首相が全面支援した腹心の元閣僚が野党系候補に惨敗した。衆院解散は極めて難しくなっており、「衆院選で勝った後、自民党総裁選を無投票で再選」という首相の基本戦略はすっかり崩れてしまった。
このためもあるのか、首相周辺からは「専門家の意見を聞かずに感染状況の指標を見直す事はない」といった声が出ていた。そこには「拒否され、出せなくなっても仕方ない」との本音も見え隠れしていた。別の官邸関係者も「正式に見直し案が出てくるかどうかは分からない」と発言を後退させていた。
政界には自民党内の若手を中心に「菅おろし」への期待が広がり、首相が頼りにした安倍晋三・前首相、麻生太郎・副総理兼財務相らも明確に支えるとは明言しなかった。首相は自らの再選戦略について、主要派閥の支持を得て総裁選を制し、ワクチン接種の時間を稼いだ上で10月の衆院選に臨む、という方針を立てていたが、総裁選で勝利出来る見通しが立たず、9月3日の臨時の党役員会で総裁選への立候補断念を表明した。
「ワクチン一本足打法」との批判を浴び続けてきた首相は、ワクチンによる予防とともに新たな治療法として注目を集める「抗体カクテル療法」の2本柱で局面を打開する意向とみられていた。確かにワクチンは秋口には接種が広く進んでいるだろう。だが、2つのウイルス抗体薬を混ぜ、点滴で投与する同療法は医療機関でないと受けにくい。医療提供体制が逼迫する中、多くの患者に行き渡る保証はない。
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