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第56回「医師が患者になって見えた事」希少がんになった意味を問い患者と向き合う

第56回「医師が患者になって見えた事」希少がんになった意味を問い患者と向き合う

医療法人悠志会 岸本内科医院(鳥取県八頭郡八頭町)院長
腹膜偽粘液腫患者支援の会 サポート医
岸本 昌宏/㊦

岸本 昌宏(きしもと・ まさひろ)1961年鳥取県生まれ。87年鳥取大学医学部を卒業後、同脳神経内科に入局。同助手を経て、97年に岸本内科医院を開業した。地域医療に打ち込む中、56歳で自らの希少腫瘍を偶然発見した。日本人では年間100万人に約1.5人が発症する腹膜偽粘液腫だ。この疾患と向き合った経験から患者の支援にも力を注ぐ。

 2017年、腹膜偽粘液腫が判明した後、外科治療の第一人者である米村豊を頼って、岸和田徳洲会病院(大阪府岸和田市)を受診した。5カ月半後に手術の日を迎えるまで、気休めと思いつつ、抗がん剤のゼローダを内服したところ、腫瘍マーカーの値は少しずつ低下していった。

 岸本が受ける治療は、原発巣とされる虫垂、転移のある脾臓などを摘出し、腹膜も切除した上で、再発がないよう粘液を入念に除く。根治を目指せるが、腹膜切除はリスクが高く、死亡率は10%台。難度の高さから修得には10年以上の経験が必要とされ、実施医療機関は限られる。

 長男は当時医学部5年生で、病院実習を始めたばかりの病棟で、腹膜偽粘液腫の患者に遭遇したという。対症的な治療では、粘液が他の臓器を圧迫しないよう、ある程度貯まったら抜く。米村によれば、粘液排出はせいぜい5回が限度という。5年生存率が50%程度というのは、そういうこともあってのことのようだ。

根治を目指し8時間に及ぶ腹膜切除術

 岸本にとって生まれて初めての手術。日取りが決まり、そこに向けて万全に体調を整えようと思った。患者のブログなどを読むと、復帰までは1カ月から1カ月半ほど掛かりそうだ。思い切って2カ月の休診を決めた。スタッフや患者が余計な心配を抱くことがないよう、かねて計画していたクリニックの改装を口実にした。院内に掲示し、かかりつけの患者には薬剤を長めに処方し、異変があれば近医に相談するよう言い含めた。近隣の開業医仲間たちには自ら電話し、体調悪化から休診する旨を伝えた。2人の弟には、がんであるという事実を淡々と告げた。

 10月19日、手術前日の入院には妻と子どもたちが付き添ってくれた。米村は「君も50歳を超えているし、1カ月半ぐらいは入院だな」と微笑んだ。全幅の信頼を寄せて、身を委ねた。

 手術は8時間近くに及んだ。ICUで目覚めたのは、夜遅くだった。人工呼吸器を装着され、肺や腹部などに合わせて5本のドレーンがつながれていた。腹部を開いた際のメスの傷跡は33cmにも達し、麻酔が切れると猛烈な痛みが襲った。看護師は頻繁に訪れ、血圧を測定していた。

 術後の夜、長男から「取り切れた」と知らされた。翌朝、米村は「よく頑張った。患者が待っているよ」とねぎらってくれた。手術中の出血は1L近くに達したが、何とか輸血せず凌いだという。

 「これで5年の命が稼げた」。安堵したものの、傷の痛みは凄まじく、オピオイドの投与によって幻覚も生じた。「経験のないひどい痛みで身動きが取れなかったのが幸い。楽になりたい一心で、飛び降りていたかもしれない」と苦笑するほどの痛みだった。

 鎮痛薬の助けも借り、最悪の時を脱した。5日目には尿意を覚え、導尿カテーテルも外してもらった。まだ歩けなかったが、排尿は問題なかった。その翌日、術後担当の若間から「退院してもいいよ」と告げられた。3週間は入院を覚悟していたところに、予想外の吉報だ。家庭を預かる妻に迎えに来てもらうのは、日曜日しかない。10月29日、3時間半の道のりを、子どもたちが待つ我が家へ向かった。腹部に最後まで入っていたドレーンを抜いてもらい、自分でガーゼ交換をすることにした。

 胃腸はそのまま残っているはずだが、消化能力は低下していた。食欲は湧いても、いつも通りの量を食べきれない。ひどい便秘にもなった。体重は5kg近く落ちてしまった。自宅でゆっくり回復を待ち、予定通り休診から2カ月後の12月4日、医院を開けた。しばらくぶりの岸本は痩せてやつれて見え、患者も何か察したようであった。看護師や事務職など、6人ほどいるスタッフには、今度は正直に病を伝えた。「必ず帰ってくると信じていた」が、生還を報告できたことは、幸いだった。

患者の会のサポートで疾患啓発や助言を

 徐々に日常が戻ってきた。外来に加え、夕方からの訪問診療、そして看取りも年間十数件ほどこなす。患者の家族には日頃から、「看取るのは、僕でなく皆さん」と伝えている。深夜や早朝でも家族は慌てず患者を見送り、夕方になってやっと岸本に連絡を入れてくる。信頼関係があるからこそ、落ち着いた行動が取れるのだろう。

 そして多忙な岸本に、もう1つ新たな役割が加わった。「腹膜偽粘液腫患者支援の会」のサポート医師を務めるようになったのだ。初診の際、米村は「医師の患者は君が2人目だ」と言われたくらい希少な疾患だ。会に医師の患者がいないこともあり、岸本は会からの相談や助言を頼まれた。病を公表していなかったため、ためらいもあった。しかし、岸本自身も患者としての経験談を頼みに治療に臨んだ。さらに、腹膜偽粘液腫が疾患として不条理な取り扱いを受けていることに対して、何か力になれればと思った。

 岸本が異変を発見したのは、自ら当てた超音波検査で腹水を見つけたためだ。WHOの国際疾病分類(ICD)では、腹膜偽粘液腫は腫瘍の項目に含められ、悪性腫瘍の腹膜転移と解釈されている。しかし日本では、悪性と良性の境界にある疾患と捉えられ、岸本が受けた「腹膜切除+術中温熱化学療法」はまだ標準治療とは認められず保険適用がない。生命保険会社からは、がん保険の給付も受けられなかった。

 岸本は、患者に向けて講演をしたり、医学的見地から助言を与えたりするのに加えて、会の一員として陳情のために厚生労働省に出向いたこともある。「この病気を知ってもらいたい一心で、病歴もオープンにするようになった」。

 3カ月に1度は血中の腫瘍マーカーを測定しているが、上昇に転じる兆しはない。手術後は便秘薬が手放せなくなっていたものの、経過は良好だった。しかし、19年夏に激しい腹痛に見舞われた。腸閉塞だった。最寄りの鳥取赤十字病院(鳥取市)で捻れた腸管を整復する緊急手術を受けた。腹膜切除術に伴う有害事象として、腹腔内の癒着が激しいことが懸念されていた。しかし、執刀医に尋ねると、「お腹の中はきれいでしたよ」と言われた。こちらも4日の入院で早々に退院できた。

 サバイバーとして節目の5年まで、あと1年となった。5人の子どもたちの成長は何より生きる糧となっている。医師として研修中の長男とは、少し深い話ができるようになった。

 ICUで耐え難い痛みが続く不安と孤独感に苛まれている時、看護師から「具合はどうですか」と掛けられた言葉が今も心に響いている。「人を前にして、素通りせず顔をのぞいてあげること」。それが医療の原点ではないかと改めて思い知った。顔の見える患者、患者会でつながっている人々、どちらにもより親身になりたい。「それこそが、自分がこの病にかかった意味だと思える」。(敬称略)


【聞き手・構成】ジャーナリスト:塚﨑 朝子

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