たまに週刊誌をめくると、「コロナ対応、医師会はこれでいいのか」といったタイトルが目に入る。ここで「医師会」と記したのはひとつの例で、医学部教授や臨床医の名前がそこに入っていることもある。コロナ対応に限らず、医師の私生活のスキャンダルが写真つきで取り上げられている記事さえある。
良い意味でも悪い意味でも、コロナ禍で医療従事者への注目が高まり、感謝や敬意を寄せられる機会も増えたが、批判や好奇心の的になる場面も格段に増えたといえる。
そもそも医療職は、個別の医療事件などを別にすれば、全体としては批判、非難されることが少ない仕事だ。『白い巨塔』のようなドラマはときどき作られるが、それでも「医学部教授のあり方」などが部分的に問題視されるだけで、「医者はみなひどい」と言われるわけではない。
逆に最近は、へき地診療に従事する医者や研修医を肯定的に描いたドラマが増え、その必要性がますます認識されるようになってきたと言ってもよいだろう。
モチベーションを下げる「医師悪玉論」
しかし、コロナ感染症が広まり、なかなか収束しない日本では、ある意味で“責任のなすりつけ合い”のようなことが起こり、「医者が悪い」とする論調も一部で出てきている。
その中で戸惑っている人も少なくないのではないだろうか。「町医者はコロナを診ていない」「医療崩壊は医者のウソだ」などと一方的に非難されたり、不適切な私生活を送っているように報じられたりするばかりでは、「がんばってもこう言われるのはバカバカしい」とモチベーションが低下してしまう人もいるのではないか、と心配になる。
少し前、中国の友人から電話がかかってきた。日本で長く研究生活を送ったあと、故郷の中国に戻って教育大学の教授になった彼女とは、ときどき電話やメールで近況報告をし合っている。「どう? 元気?」といったおしゃべりの後、彼女は言った。
「あなたは医者だから、コロナでいろいろ苦労もあるでしょう? いまは落ち着いたけど、中国の医者たちも大変でした。私の住む南京市からも武漢市に応援に出かけたり、大勢の市民の検査をしたり……。でも、今回のことで医者への尊敬はものすごく高まったのも事実です。ビルに『医者や看護師に感謝します』という文字を映し出したり、それぞれの町で表彰されたり、誰もが『医療従事者は英雄』と思っています。私、あなたのことも尊敬していますよ」
私は慌てて「たいしたことはしてないの」と言いながらも、うれしい気持ちになり、「ありがとう。そう言われたら、またがんばろうという気持ちがわいてくる」と伝えた。
するとそのあと、彼女は中国で多くの人が見ているという何本もの動画を送ってくれた。それらはいずれも、国内で感染の状況が厳しかったときの医者や看護師の奮闘を記録したもので、感動的な音楽がつけられて編集されたその映像を見たら、誰もが「病院でがんばってくれているみなさん、ありがとう」と感謝する気持ちになるだろう。
一部の人たちは、「それが中国の情報統制だ」と顔をしかめる。「批判だって自由な言論のはずだ。それが中国の場合、政府が“医者に感謝を”と言ったら社会はそれ一色になり、少しの批判や疑問も許されなくなってしまう。この動画だってそういう意図を持って作られたものだよ」。中国の女性教授から送られた動画の1本を見せたところ、日本のジャーナリストの知人はそう解説してくれた。
たしかに、それも間違っていないのかもしれない。週刊誌が「“医療崩壊”は医師会のウソ」などと記事にするのも、報道の自由を行使しているといえば、その通りだ。しかし、繰り返しになるが、それで医療従事者のモチベーションが下がったり、医者や医学研究者が「十分な感染対策をしなければさらに拡大する」と呼びかけても一般市民がそっぽを向いたりするのは、多くの人の命を危険にさらすことにもなりかねない。
メンタル不調を防ぐ「ねぎらいの言葉」
そして、本コラムを読んでいる開業医や病院管理職の人たちに、ぜひ伝えたいことがある。
私は長年、災害時の自治体職員のメンタルケアに関わる調査をしているのだが、長期的に考えたとき、過重労働の際に「上司からの配慮、声がけ」があるかないかが、うつ病などの発症を左右する因子になっていることがわかった。
災害時などの緊急事態では「残業をしないで」と言っても不可能だし、たとえば市役所の職員では「避難所での住民の世話」といった通常とはまったく違った業務に携わらざるを得ない。それは避けられないこととしても、そのときに上司や管理者に「お疲れ様。大変だね。助かっているよ」などとねぎらいの言葉をかけてもらったケースでは、「もっとやってくれ。なぜできないんだ」などと叱責されたケースに比べて、その後、メンタル不調に陥る率が有意に低いようなのだ。
これはまさに今回のコロナ禍でもいえる。直接のコロナ診療や検査だけではなくて、発熱相談、ワクチン接種など、多くの医療機関がそれまでとは違った業務をこなさなければならなくなり、職員の負担も増えている。その中で、職場のリーダーである医者は、まずほかのスタッフたちにねぎらいや感謝の言葉をかけ、「いっしょに乗り切ろう」と協調を呼びかけることが必要だ。
ただ、繰り返しになるが、本来ならばそのリーダーである医者もまた、ねぎらいや感謝を必要としている。現場では患者さんや家族からそれを伝えられることもあるはずだが、今回、取り上げたようにマスコミはともすれば冷たい目を向けてくる。それに影響を受ける読者も出てくるだろう。
まさか「町医者はあえてコロナ対策をしっかりやろうとしていない」などと言われたからといって、それだけで今の仕事をやめる人はいないはずだが、それでもやる気は低下する。
もしかすると、長期的にはメンタルヘルスにダメージを受ける人も出てくるかもしれない。本来ならば医師会の会合や研修会などのあと、食事を囲みながらお互いをねぎらい合いたいところだが、今はそれもできない。
では、私たちはどうやって自分の心のケアをすればよいのか。
まずは、せめて自分で自分に「がんばってるよね」とねぎらいの声をかけることだ。それから、できれば家族や親しい友人に、対面が難しければオンラインでもよいので、「この1年、大変だったんだよね」と話を聞いてもらうのもいいかもしれない。
そして、私が中国の友人に「あなたを尊敬します」と言ってもらい、おもはゆさとともにうれしさを感じたように、誰かから「がんばっているね。すごいね」と言われたら、それを素直に受け取ること。それも今は、ぜひおすすめしたい。
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