2019年2月8日に亡くなられた作家の堺屋太一氏の言葉に「規格大量生産」がある。氏は1970年代に世界の文明の規格大量生産は終わったとした。「規格大量生産」の意味は明確ではないが、ここでは、「官主導で規格を決め、それに基づいて高品質のモノを大量に生産すること」と考えよう。
『日経ビジネス』2019年2月12日付 WEB版「堺屋太一氏の遺言『2020年までに3度目の日本をつくれるか』」によれば、「きっかけは、ベトナム戦争でした。ベトナムで規格大量生産の武器で完全武装した米軍が、サンダルと腰弁当のベトコンに勝てなかった。なぜだということが盛んに議論されたんですね。その結論がまさに、規格大量生産の限界でした」。
日本では1980年代のバブルによる一時的な繁栄とその崩壊による凋落から続く長い不況から抜け出せず、近年ようやく回復の兆しが見えてきたものの未だ経済は低迷を続けている。その原因を氏は「アメリカやヨーロッパが文明を転換している間に、日本はひたすら規格大量生産を続けた」と語る。
しかし、そんな中で、医療分野は優れたパフォーマンスを上げていた。なぜこれが実現できたのかといえば、日本人の得意な「規格大量生産」を医療分野でも行っていたからではないか。
医療はサービス業
ここで、反論があろう。医療はサービス業ではないか、日本におけるサービス業の生産性は低く、また製造業ほど生産性が増加しないために、医療も同じではないかと。
アメリカ人の経済学者、ウィリアム・ボーモルはコスト病という概念を提唱している。すなわち、産業構造に占めるサービス産業、中でも対人サービスの比重が大きくなるにつれ、その産業における相対的な生産性の低さのために、1つの国全体の経済成長を鈍化させるという理論である。日本においても代表的な対人サービスである医療介護分野の近年でのシェアの高まりが(図①)、日本全体の経済成長の鈍化に影響を及ぼしているのではないかという考えに敷衍できそうである。
そしてさらに、ボーモルはそれを乗り切るためのイノベーションの重要性を説いている。
筆者は、科学技術万能主義者ではないが、述べてきたようなイノベーションが医療分野で起きることによって、変化が起きてくるのではないかと考えている。
別の見方もある。日本の場合には国民皆保険制度の下に公定の診療報酬制度1)があり、この値決めは実体経済とも生産性ともリンクしていないからだ。
もちろん、この思想が間違っているわけではない、経済学者の故宇沢弘文氏のように、医療のような社会的共通資本を経済の範疇にとどめることは正しくないという考え方があるからだ。
ここでは、医療経済学の助けを借りよう。医療経済学では、医療の評価に3つの軸を用いることがある。この軸は1965年に米ジョンソン政権が導入したメディケアの設計に中心的に関わり、「メディケアの父」とも呼ばれている高名な医師であるキシック氏の主張で「(良い)医療の質、(良い医療への)アクセス、(安い)費用」を満たすのは難しいというもの2)だが、逆にこの3つを医療レベルへの評価として使用する。
日本においては、この3つがかなり高いレベルで満たされているといわれ、筆者も著書『日本の医療、くらべてみたら10勝5敗3分で世界一』で詳細を論じているが、日本の医療レベルが非常に高いことは、その他の研究でも触れられている。
特に、重要なのは生活習慣病対策である。癌も含めた生活習慣病対策は、先進国では大きな課題とされた。図②に示すように、日本でも実際に多くの医療費をこの分野に使っている。
規格大量生産
筆者は成功の理由は、厚生労働省が規格を決めた、日本が得意な「規格大量生産」型の仕組みを、診療報酬制度で後押しし、医師会などの医療関連団体や多くの開業医の協力の下で実現できたからではないかと考えている。
加えて日本人のきめ細かさが医療の質を高めたことは言うまでもない。供給側が日本人の得意な「規格大量生産」(安く、良い医療)であったと同時に、需要側(良いアクセス)については、全国津々浦々に行き届いた病院や開業医、さらに金銭面では国民皆保険制度が後押ししたといえる。
しかし、コロナ禍のように規格を官主導で決めることができない場合に、日本の医療提供体制はもろさを露呈した。さらに他産業で起きた事例と同様に、IT革命が医療分野でも起きようとしている。現状で、この変化にキャッチアップできるのであろうか。
このあたりの対処を誤ると、日本の医療が世界一の座からすべり落ちていくのではないか。
参考文献——————————————
1)診療報酬とは、保険医療機関と保険薬局が保険診療として提供したサービスに対する対価として、全国一律に適用される報酬である。1943年の段階で、当時の厚生大臣が支払い側と診療側の意見を聞いて決定する仕組みが導入されており、以降、現行制度においても政府が関係者の意見を聞いて定めるという形で運用されているのが診療報酬制度である。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/105/12/105_2320/_pdf
2)2021.5.1(土)「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻202号)」
1)診療報酬とは、保険医療機関と保険薬局が保険診療として提供したサービスに対する対価として、全国一律に適用される報酬である。1943年の段階で、当時の厚生大臣が支払い側と診療側の意見を聞いて決定する仕組みが導入されており、以降、現行制度においても政府が関係者の意見を聞いて定めるという形で運用されているのが診療報酬制度である。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/105/12/105_2320/_pdf
2)2021.5.1(土)「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻202号)」
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