研究者2人には 今年のノーベル賞の呼び声も
人類は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)との闘いにまだ勝利を収めたわけではないが、切り札となったワクチンには、最先端のバイオテクノロジーの粋が詰め込まれている。改めてその実力を検証したい。
国内で2月から接種が始まったのは、まず米ファイザーがドイツのバイオベンチャー・ビオンテックと共に開発した「コミナティ」。次いで、米モデルナの「mRNA-1273」も使用が開始された。
1796年、英国の医師、ジェンナーが牛痘の膿を接種したのが、ワクチンの起源だ。それから200 年以上経って、人類の窮地を救おうとしているのは、メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンという大きく進化を遂げたワクチンだ。
従来、ワクチンと言えば、病原体そのものを弱毒化もしくは不活化したもの、あるいは病原体由来の組み換えタンパク質をワクチン抗原として、免疫原性を高めるアジュバントを添加したものが一般的だった。
生ワクチンは、細胞の長期継代培養等により、ウイルスの感染性と免疫原性を残したまま、病原性を弱めたものである。特異的な抗体と細胞傷害性T細胞の双方が誘導されると期待され、誘導された免疫は持続性があり、終生免疫を獲得出来る。
弱いとは言うものの病原性を持つために、稀に感染時と同じ症状を発症するため、妊婦や免疫不全の人には接種出来ない。また、類似の抗原性を有するワクチンを複数回接種する事も難しい。
不活化ワクチンは、病原微生物を科学的に処理し、免疫原性を維持したまま、感染性を失わせたものである。特異的な抗体は産生されるが、十分に免疫を誘導するには複数回の接種が必要な上、誘導された免疫の持続時間が短い。また、不活化ワクチンも遺伝子組み換えワクチンも製造コストが高く、途上国での使用は負担になる。
今回のSARS-CoV-2は、細胞表面にある突起状のスパイクタンパク質がウイルスの受容体と結合して細胞内侵入が進む。スパイクタンパク質を遺伝子組み換えにより合成して、ワクチンとする方法も検討された。
容易に合成出来るのが大きな利点
既存の方法は多くの感染症で実績があるが、ウイルス培養やスパイク合成には手間と時間を要する。そこでmRNAワクチンが脚光を浴びた。ウイルスの遺伝情報であるmRNAをワクチンとして投与すると、スパイクタンパク質が作られる。mRNAは4種類の塩基が連なった核酸分子で、酵素反応で容易に合成出来るのは大きな利点だ。先行した米モデルナでは、2020年1月から開発に着手し、3月にはヒトでの治験に着手していた。
驚くべきスピードだが、mRNAワクチンは突然登場したわけではない。30年前にmRNAを直接体内に投与するアイデアが着想され、基礎研究が積み上げられていた。1990年、米ウィスコンシン大学の研究者らは、ベクターを用いずにプラスミドDNA(pDNA)をマウスに直接筋注したところ、遺伝子発現により筋細胞でタンパク質が作製された事を『Science』誌に報告している。
合成されたmRNAを投与する実験も行われたが、遺伝子発現量はpDNAに比べてはるかに少なかった。細胞外ではmRNAが不安定である事が原因の1つであると考察されている。mRNAワクチンの不安定性には、2つ要素がある。まず、血中や細胞間にあるRNA分解酵素により、mRNAが細胞到達前に分解されてしまう事で、送達システム(DDS)を工夫する必要があった。また、ウイルス感染に備えて細胞がmRNAを察知するので、細胞に到達しても自然免役が誘導され、炎症が起きてくる。
2000年代に入ると、mRNAを脂質の膜で出来た微小脂質ナノ粒子(LNP)で包含する事でDDSの解決の糸口が見つかった。直径100nmのLNPはウイルスとほぼ同サイズで、細胞に取り込まれやすい。
一方、ヒトへの投与を大きく阻む炎症反応の解決は、2005年に起きたブレークスルーによる。ハンガリーから移民し、米ペンシルベニア大学で長年mRNAワクチンの研究を続けてきた女性科学者カタリン・カリコ氏と、同大教授のドリュー・ワイスマン氏の業績だ。
細胞内にある転移RNA(tRNA)では、炎症反応が起きない事に注目し、mRNAウイルスを構成するウリジンを塩基の置換によりtRNAで一般的なシュードウリジンに換える事で、炎症反応が抑制される事を発見した。08年には、特定のシュードウリジンへの置換により、タンパク質が作られる効率が劇的に向上する事も発見した。塩基置換に加えて、mRNAに混在する二重鎖RNA除去も有用で、こうして処理したmRNAを筋肉中のヒト樹状細胞に取り込ませると、合成されるタンパク質の量は約1000倍に増加した。
mRNAそのものがアジュバント活性を備えている。また、mRNAを含め、DNAワクチンは、生ワクチンのように特異抗体と細胞傷害性T細胞を誘導出来る事も特徴である。ただし、生ワクチンとは異なり、抗原となる微生物由来の病原性は発現せず、免疫は比較的長期間持続する。
08年にはビオンテックが創業され、カリコ氏も13年からmRNAワクチンの実用化に携わった。当初はmRNAをがん治療に応用する事を目指していたが、18年からはファイザーと共同でインフルエンザワクチンを開発していた。20年初頭、パンデミックを予期したビオンテックは、中国がいち早くウイルスの遺伝子データを公表していた事から、たちどころにワクチン候補をデザインし歴史的快挙に繋げた。
モデルナのワクチンもカリコ氏らの発見が源流だ。同社は10年、山中伸弥氏がiPS細胞の研究中、mRNAによる導入を試みた事をヒントに、ボストンで10年に創業された。カリコ氏とワイスマン氏は人類への大きな貢献から、今年のノーベル賞の呼び声も高い。
一方、アストラゼネカのワクチンは、風邪ウイルスであるアデノウイルスをベクターとして用いて遺伝子導入をするものだ。ヒトでは感染して抗体保有者が多いため、チンパンジーのアデノウイルスを用いた。開発中の米ジョンソン・エンド・ジョンソンのワクチンもアデノウイルスを用いるが、ヒトの希少な型のウイルスを使う。
日本のワクチン開発は世界から周回遅れ
なお、日本で大阪大学発のアンジェスが開発中のワクチンは、プラスミドをベクターとするDNAワクチンだ。
DNAやRNAの体内細胞導入は、新型コロナウイルスワクチン開発全体の主流となっており、コロナ禍が本格的な遺伝子治療の到来を後押しする事は間違いないと見られている。
欧州の輸出規制を受けて日本のワクチン入手は進まず、開発も周回遅れとなっているのが現状だ。アンジェスをはじめ、塩野義製薬、第一三共、KMバイオロジクス等がワクチン開発に当たっている。塩野義のワクチンは、国立感染症研究所と共に開発した組み換えタンパク質である。KMバイオロジクスは不活化ワクチンを開発中だ。第一三共と東京大学医科学研究所が開発を進めているのがmRNAワクチンである。
国産ワクチンの開発が後れを取った理由には、研究機関の機能や人材が不十分な事、研究費の配分の不足、国内企業の脆弱性等が挙げられている。加えて、欧米に比べて国内患者数が少ないために治験が難しく、海外での治験もハードルが高い。
平時から最先端の研究を継続的に行う体制や治験の環境の整備という、大きな課題が突き付けられている。
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