ターニングポイントを逃し続け、「官邸崩壊」が忍び寄る
新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう中、政府は1月7日に2度目の緊急事態宣言を発令した。昨年4月に続いての宣言となったが、空気が乾燥し、気温が低くなる冬は新型コロナの「感染爆発」が予期されていた。
それにもかかわらず、政府は大した対策を打たないまま冬を迎え、いわば国民が「ツケ」を払わされた形になったと言える。いくつかある↘「ターニングポイント」を逃し続けた菅義偉政権の責任は重い。
「勝負の3週間」で〝惨敗〟
まず挙げられるのは、「勝負の3週間」での対応のまずさだろう。元々「勝負の3週間」は、新型コロナ対策を担当する西村康稔・経済再生相が昨年11月25日の記者会見で「この3週間が勝負だ」と呼び掛けた事に起因する。
営業時間の短縮に協力した飲食店への支援等、ここから集中的な感染症対策を取る「勝負の3週間」が始まった。
しかし、結果は「惨敗」。「勝負の3週間」の最終日である昨年12月16日は、東京都の新規感染者はこれまでで最も多い678人を数え、神奈川県や愛知県、京都府でも過去最高の感染者数を更新。繁華街での人出も大きく減らず、感染拡大に歯止めが掛からなかった。
感染拡大に拍車を掛けたのが、「GoToトラベルキャンペーン」だ。観光需要の喚起策として、菅首相が二階俊博・自民党幹事長とともに、「GoToトラベルキャンペーンが戦犯にならないようにかばい続け、中断するきっかけを失った」(政府関係者)。
有識者で構成する政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」↖は、昨年11月20日に感染状況を指標で示して、4段階中2番目に深刻な「ステージ3」相当の地域については運用中断を求めていたにもかかわらず、だ。
専門家の間では夏頃から「感染を広げる一因になりかねない」と疑問視する声が上がっており、「旅行先で繁華街に繰り出す可能性もあり、感染拡大に結び付きかねない」と指摘していた。
こうした声を受けて中断を求める提言がまとめられたが、政府は頑として応じず、「GoToトラベルキャンペーンと感染拡大に因果関係はない。感染拡大とする根拠はないからやめたら経済的な影響が大きい」(政府高官)と反論し続けたのだ。首相は自ら国会で「これまで延べ4000万人以上が利用しているが、判明した感染者は176人だ」と強調してもいた。
菅首相がようやく全国一斉に停止する事を決断したのは12月14日。「勝負の3週間」が終わる直前だ。
西村氏は「全国的に感染が広がる中で、予防的な措置も含めて全国で止めると判断した」とあくまで過去の感染拡大ではなく、今後の予防という点を強調しているが、その後のGoToトラベルキャンペーンの中断期間を考えれば、その判断の遅れは誰の目にも明らかだった。
ある専門家は「この時期に本質的な感染予防対策を採るべきだったが、GoToトラベルキャンペーンを止めるか否かに全精力がつぎ込まれてしまった」と振り返る。
次のターニングポイントは、東京都に更なる時短営業を要請したにもかかわらず、実現しなかった事だ。つまり、小池百合子・東京都知事との駆け引きに敗れたのだ。
東京都は感染拡大防止の観点から11月28日から、酒類の提供を行う飲食店とカラオケ店に営業時間を午後10時までに短縮するよう求めていた。なかなか効果が現れない事から、東京都は12月14日から更なる延長を決めていたが、政府は午後8時への前倒しを水面下で求めたのだ。
これには、東京都が反発。飲食店への「死刑宣告」になりかねず、夏に都議選を控える都議達には飲食店関係者から「苦情」が殺到していた。東京都関係者は「特に陳情が多く寄せられたのが公明党です。公明党は午後8時への前倒しに反対し、都政運営に苦慮する小池都知事も公明党の声は無視出来なかったようです」と解説する。
交渉は西村大臣に任せたままの首相
緊急事態宣言の発令を避けたい政府は、感染拡大の「急所」とされる飲食店の午後8時までの時短営業で抑えたい、という狙いがあった。それにもかかわらず、年末に差し掛かっても、内閣官房と東京都庁との事務方レベルでの調整は平行線を辿り続けた。
政府関係者が「東京都が何もしない」と文句を言えば、東京都庁関係者は「国はやりたければ緊急事態宣言を出すべきだ」と譲らない構図だった。
交渉は西村氏に任せたままで、菅首相は小池氏の主張に耳を貸さず、調整にすら乗り出さなかった。両者ともに膠着した状態が続いたまま、大晦日に東京の感染者が1000人をゆうに超え、1337人にまで達した。
メディアの世論調査でも緊急事態宣言の発令を望む意見が多数を占めるようになり、徐々に「政府は緊急事態宣言を発令する考えもなく、何も対策を打っていない」とのムードが高まり、菅首相の分が悪くなる。
休日や年末年始も官邸に厚労省幹部らを呼び、感染状況の報告を受けたものの、内実は「やっている振りをしないと世間的に怒られるから」(政府関係者)だったという。
年明けから感染者数が急増し、諸情勢に押し流されるように1月7日に緊急事態宣言を発令するに至った。小池氏への批判はわずかなのに対し、菅首相へは味方であるはずの与党内からも「完全に政府の対応は後手後手に回っている」との声が漏れるほどに。
緊急事態宣言を発令するに際し、菅首相は「大晦日の感染者数を見て決めた」と述べたが、にわかには疑わしい。
大晦日に決断して1週間後の1月7日の発令では病床逼迫度合い等を勘案したとすれば、タイミングとしては遅すぎるという指摘に耐えられないからだ。
首相周辺は「年末年始の段階では宣言を発令したくなかったのは事実だ。年明けに小池知事が神奈川、千葉、埼玉の3県知事と一緒に宣言発令を要望したのが決定的だった」と漏らす。
緊急事態宣言の発令すら主導出来ず、ここでも指導力が問われる結果になっている。
ターニングポイントとは異なるが、決められずに周囲を惑わす菅首相の姿勢が窺えるエピソードがある。2月2日に延長を決めた緊急事態宣言だが、その延長に際し、前日に関係閣僚を集めた会合での一幕だ。
首相はその場で決断をせず、「引き取る。一晩考えさせてくれ」と答えたという。
その後、延長を決めた、と報道されたが、実際は首相が決めたというより、報道で既成事実が固められたという側面があるだろう。
ある首相周辺は「その場で決めてくれないから準備も出来ない。こういう事が多くて困る」と漏らす。
1月1日に政務担当の首相秘書官を交代させたように官邸の機能不全は明らか。「医療崩壊」よりも「官邸崩壊」の方が早いかもしれない。
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