~学術会議任命拒否問題から臓器移植の推進まで~
2次世界大戦終結時の1945年8月生まれで、「日本の戦後は私の人生そのもの」と話す門田守人氏。戦後の日本が大切にしてきたものが踏みにじられたのが日本学術会議を巡る問題であり、経済成長だけを価値として突き進んだ事で生み出されたのが感染症に弱い3密だったと語る。戦後75年を俯瞰しながらアカデミア、新型コロナ、教育、臓器移植について縦横に語って頂いた。
——日本学術会議の会員任命拒否問題について、どうお考えですか。
門田 あれは驚きです。第2次世界大戦中、学問が抑圧された事もありましたが、戦争に向かって行く局面で学界が後押しした部分もありました。1949年の日本学術会議の設立は、それを反省するところからスタートしているわけです。時の政府に対して、独立した第三者の立場から物を言うための機関です。日本学術会議法第3条に「独立して」という言葉が入っています。学術会議が作られた当時の発想からすれば、独立性こそが重要だったはずです。独立してやらなければ駄目だという事で、国が認めたわけです。「任命」という言葉が使われていようと、任命する権利が総理にあるという事にはなりません。日本学術会議法という法律の精神を考えた時、それは全然違うのではないかと思います。
——日本医学会連合は任命拒否問題に対する声明を出しましたね。
門田 はい。10月に「日本医学会連合は、第25期日本学術会議会員候補者6名が、政府により任命を拒否されたことに対する日本学術会議の要望書を支持します。すみやかに要望にお応えいただくことを求めます」という声明を内閣総理大臣宛に出しました。学術会議の要望書は、任命されない理由の説明と速やかな任命を求めています。12月1日には、日本医学会連合、日本歯科医学会連合、日本薬学会、日本看護系学会協議会の4団体の連名で声明を発表しました。「医療に関係する諸学会・団体にとっても看過することができない重大な事案であると考え、日本学術会議の人事を正常化し、独立した活動を可能とするよう」求めています。アカデミアの基本的な精神は常に真理を追究する事です。何が正しいのかという追究であり、得か損かという事は計算に入れません。それが学術の本質です。そして、日本学術会議は独立性を担保した法律に基づいて組織されています。だからこそ学術会議は政府に都合が悪い事でも言う事が出来るし、存在価値があるわけです。日本は民主主義を大切にする法治国家です。戦後の日本は国民を挙げてあの法律を作り、運用してきました。菅政権はそれをひっくり返して、学術会議の会員の任命は行政の人事と同じだ等と言う。学術分野の人間としては納得出来ません。
学問の裾野を広げる事が大切
——2020年は日本のノーベル賞受賞者がいませんでした。少し残念な気がします。
門田 ノーベル賞は取る取らないが問題ではないのです。それよりも、学問の裾野を広げていく方が大事です。幅広く学問が出来るようにする、その環境を整える、という事をしていかなければなりません。その結果として、ノーベル賞を受賞する人が出ればいい、と考えています。ノーベル賞を取るか取らないかという話より、世界の中で日本の論文数が減ってきている事の方が気になります。よほど大きな問題だと思いますよ。
——研究力の低下はなぜ起きたのでしょう?
門田 原因はいろいろ考えられますが、例えば国から国立大学に支払われる運営費交付金は、毎年1%ずつ削られてきました。トータルにしたら、大幅な減額になっています。こうした事も、もちろん影響しているでしょう。少し前に軍事研究の問題が話題になりましたが、軍事に応用可能な研究に対して助成金を出すという防衛省の制度があります。大学への交付金はずっと削られていますが、軍事関係予算は増えていますから、政府は助成金を出すゆとりがあるわけです。一方、運営費交付金を削られてきた国立大学はお金が欲しいという構図です。これでいいのだろうかと思います。
——日本は学問だけでなく経済・産業の分野でも苦戦するようになってしまいました。
門田 新型コロナウイルスの第1波の時、マスク不足で大変な事になりました。国内ではほとんど作っていなかったからです。自動車でも何でも、国外で作る事を進めてきたのは、それが効率的だったからで、効率化の追求で日本は発展してきたと言えます。しかし、そうしたやり方によって生じていたひずみが、コロナ禍で明らかになったという事ではないでしょうか。日本の戦後の復興は大成功で、1990年まではものすごい成長を見せました。しかし、その後の30年間はほぼ止まったまま。それでも政府の戦略は経済成長一本槍です。成長する事は良い事だ、という事で突き進んできた社会には、光の当たる場所だけでなく、影もいっぱいありました。しかし、影の部分には目を向けず、今でも成長だけを目指して突き進もうとしているように見えます。
戦後の経済成長が「3密」を生んだ
——戦後の経済成長を実現した考え方から抜け出せていないのでしょうか。
門田 例えば、小学生の授業に英会話やプログラミングが入っています。そういうところにも、成長するのは良い事だという方向性から抜け出せなくなっている日本の姿が投影されているように思えます。子どもに教えなければならない事は、他にもいろいろ大切な事があると思いますが。
——どうしたら抜け出せるのでしょう?
門田 この30年間で、今までのやり方では行き止まりだという事が分かってきました。そのタイミングで新型コロナウイルスがやってきたわけです。これはピンチと言えばピンチですが、世の中を見直すチャンスかもしれません。例えば「3密」ですが、戦後の日本は、経済成長のために全てを東京に集め、密集してビルを建て、満員電車を生み出しました。経済成長のために3密を作ってきたのです。それを見直すチャンスがやってきたと考えるべきでしょう。
——日本の戦後は先生の人生とほぼ重なります。
門田 私は1945年8月8日に広島県で生まれました。広島の原爆と長崎の原爆の間に生まれたわけです。お七夜が終戦の日。戦後の75年間は、まさに私の人生と重なっています。そういう事もあって、核兵器禁止条約に日本が参加していないのは非常に残念です。批准する国が50カ国に達し、来年1月には発効するというのに、唯一の被爆国である日本が批准しないで、アメリカの核の傘がどうのという話をしている。政治的にはそうなのかもしれませんが、納得出来ません。日本の戦後は、良かった事も悪かった事もありますが、悪かった事に対する反省というのは、どうしても必要だと思っています。
LEAVE A REPLY