世界が注視する米国大統領選は、終盤に来て、トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染し、窮地に立たされる展開。安倍晋三前首相に続き、トランプ大統領も自己管理の不備から政権を退くことになりそうな情勢だ。
安倍政権を継承した菅義偉首相は高支持率で飛び出したものの、日本学術会議への介入で菅流の人事戦術にほころびが生じた。菅首相は「学問の自由への侵害ではない」と抗弁しているが、政権の陰の部分が露わになった形で、イメージ低下の懸念が生じている。
コロナ直撃・米大統領選の見所
10月2日、トランプ大統領夫妻がコロナに感染したニュースが世界を駆け巡った。菅首相が日本学術会議が推薦した新会員のうち、6人の学者を排除したニュースで騒然としていた東京・永田町も対岸からのビッグニュースに揺れた。劣勢が伝えられるトランプ大統領の再選を危ぶむ声が大半だったが、自民党中堅議員の1人が「これで、ますます大統領選が面白くなった」と論評し、異彩を放った。
中堅議員は米国暮らしの経験があり、「ののしり合い劇場」「カオス」と酷評された米大統領選の第1回候補者討論会についても「面白い」と評価し、トランプ大統領に軍配を上げた。その中堅議員が語る。
「トランプ大統領の選挙活動は確実に制約を受ける。傍目には不利です。でも、74歳のトランプ大統領がコロナから元気に回復し、『この通り、私はコロナに打ち勝った』と高らかに宣言して、選挙戦に復帰したらどうだろうか。リーダーに強さと明るさを求める米国人気質を考えると、逆転サヨナラの可能性がないとは言えない」
中堅議員は理性偏重の西洋合理主義に懐疑を抱いてきた。人を本当に動かすのは「理屈を超えた何かだ」という人生哲学があるという。米国のCNNテレビが「米国民の敗北」と総括した第1回の討論会の論評も個性的だった。
討論会は日本でも注目され、NHKが同時通訳付きの特番で同時中継した。中身は惨憺たるものだった。ただでさえ、聞き取りにくい同時通訳の日本語に、民主党のバイデン前副大統領のごもごもした主張と、トランプ大統領の不規則発言が重なり、さっぱり要領を得ない。討論どころか、雑音の洪水だった。「面白い」との論評は不見識と思えたが、中堅議員はこう反論した。
「人間って結局の所、理性的ではないという事なんですよ。皆が理性的に行動するという前提でいると、思わぬ失敗をするのはそのためです。討論会、米国では雌雄を決するディベートの事ですが、これも理性が前提になっている。トランプ大統領はそれを壊してしまった。バイデン前副大統領も最初はうまくかわしていたが、結局、非理性的な対応に陥った。人間社会の根本を再認識する機会でした」
理性的な対応が時として現実から遊離し、空論化することは確かにある。だからと言って、約束事を無視してわがままに振る舞う事が正当化されていいはずもない。司会者から数十回も不規則発言を控えるよう注意を受けたトランプ大統領の失態は明らかだが、中堅議員は「そうとも言い切れない」と粘った。
「僕は討論会に関してはトランプ大統領の勝ちだと思っている。政治には理性だけではなく、パッションみたいなものが不可欠だからです。トランプ大統領は各種調査でバイデン前副大統領に遅れをとっている状況だった。理性的に対応すれば挽回出来なかった。だから、あえて壊しに行った。投票行動は利害で左右される事が多いが、有権者の行動が常に理性的とは限らない。これは歴史が証明している。劣勢が伝えられる中、何としても勝ちたいというトランプ大統領のエネルギーは案外、有権者に伝わったと思う」
思い返してみれば、討論会ではトランプ大統領のヤジ以外に気になる事があった。バイデン前副大統領のカメラ目線だ。トランプ大統領に視線を送らず、カメラの正面を見つめ続けていたのだ。黒目がちで瞬きもほとんどしないから、どこか、地球外生物を思わせた。テレビを見ている国民へのアピールなのだろうが、頑ななまでの真っ直ぐな視線はどこか不自然だった。理性が勝ち過ぎて、面白みに欠けるのだ。
選挙は理性で図りきれない、というのはその通りだろう。日本でも「自民党をぶっ壊す」と言って、自民党長期政権の礎を築いた小泉純一郎元首相のケースがある。「自民党をぶっ壊す」という矛盾した言説で自民党総裁になり、「郵政民営化」の1点張で、国政選挙に大勝した。有権者を沸騰させたのは「郵政民営化」という個別政策の中身ではなく、新しい何かへの期待感だった。
「ケータイ値下げ」「不妊治療の保険適用」と、かつての規制改革担当の課長補佐クラスが掲げそうな目標を重点政策にした菅首相はどうだろうか。困っている人がいる問題だなのだから、国民受けはするのだろう。しかし、人気取りのための政策と言ってしまえばそれまでの事だ。規制改革の推進という点では評価されるのだろうが、その仕事一徹ぶりからはどこか暗いイメージも漂ってくる。
学術会議問題は菅政権の試金石
日本学術会議の1件はその典型だろう。国家予算で運営される組織の在り方に政府が意見を言うのは当然の事だ。ただ、官僚と異なり、学者は国家あるいは政府のために学問の研鑽を積むのではない。政府の見解と異なるからと言って、排除するのなら「独裁政治」と変わらない。野党幹部が語る。
「菅首相の権力の源泉は人事介入にある。安倍政権で問題になった官僚の忖度は当時の菅官房長官の役所への人事介入がもたらしたものだった。官庁では菅首相の愛称『ガースー』をもじって『ガスタポ』と言われている。ナチスの秘密警察『ゲシュタポ』と同じような陰湿なイメージがある」
規制改革には、規制で守られてきた業界や所管官庁の抵抗が付き物だ。役所を押さえ込むには、人事介入が手っ取り早いし、有効だ。ただ、政権の番頭である官房長官として介入するのと、首相が介入するのでは次元が違ってくる。裏で官僚を締め上げる暗い手法ではなく、オープンな議論で道を開く工夫が必要だろう。首相には、仕事が出来るというだけでは務まらない難しさがある。理性的な対応を超えた何か。国民の心を揺さぶる何かがなければ務まらない。政権の離陸直後に見舞われた日本学術会議の問題は、菅首相の試金石となりそうだ。
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