石蔵 文信(いしくら・ふみのぶ)1955年京都府生まれ。1982年三重大医学部卒業、大阪大学循環器内科入局。大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻准教授を経て、2013年大阪樟蔭女子大学教授。17年4月から現職。
第45回
大阪大学人間科学研究科未来共創センター
招へい教授
石蔵 文信/㊦
マスクを常時着ける生活も半年をすぎた。医師や看護師は以前からマスクに慣れているとはいえ、診療中もマスク、電車や買い物でもマスク、さらにはスポーツジムまでマスク、というのはこれまでなかったのではないだろうか。
私は精神科医なので、診察室では基本的に患者さんの話を聞くことが多いが、こちらからも気持ちの持ち方、生活の仕方などを説明する機会が結構ある。
朝はまだよいが、10人、20人と診療を進めるうちに、マスクを装着しながら話を続けていると、なんとなく酸欠状態になってくるのを感じることがある。
もちろん血中酸素濃度が下がるほどではないのだが、息切れのような状態になって、マスクの下で一生懸命、息を吸おうとしてしまう。そのせいか、昼休みや夕方の診療後にはいつも以上の疲れを感じる。
オンラインに生かせないリアル診療のコツ
また、精神科の診察では患者さんの表情もとても大切だが、マスクの下ではそれも読み取れない。それどころか言葉も聴き取れないことがあり、何度も「え?」と聞き返して圧迫感を与えてしまいがちだ。
「なんか最近、思ったような診療ができていないな」と達成感が得られないまま、1日が終わる日が増えた気がする。
「感染が怖いので」と電話での再診を希望する患者さんもいるが、それにもなかなか慣れない。声のトーンや話す言葉だけではどうしても情報が限られているし、テレビ電話システムを使ったところでリアルな診察のようにはいかないだろう。
「もう生きているのもつらいんです」と画面上で語られる希死念慮を、どれほど実感のこもったものとして受け止めればいいのか。もちろん、そういったオンライン診療に関してはマニュアルもいろいろ出ているのだが、それでも“リアル診療で培ったコツ”は生かしきれない。
他のドクターはどうなのだろう。私が勤める診療所には他に同じ科の医師はいないので、なかなか相談もできない。
たまに医師専用のネット掲示板をのぞくが、コロナ対策や経営悪化の対策の話が多く、研修医さながらに「うまく診療ができない」といったあまりに基本的な悩みを打ち明けている人はほとんどいない。
なぜそんな話をするかというと、私は大学教員もやっているのだが、オンライン授業で同じように不安を抱き自信を失っている教員がけっこういることに気づいたからだ。
大学教員はさまざまな学内委員を引き受けなければならないが、私はたまたまオンライン授業に関係した業務をいくつかやっている。
中心となって業務をするのは担当職員だが、教員も委員会で一緒に企画を立てたり方針を決めたりするのだ。私はたまにオンライン授業での授業展開に定評のある教員の模擬授業や、新しいツールのマニュアル作りを提案したりしている。
ところが、先日の委員会で意外な話を聞いた。それは現場の職員のところには、「もっと授業を良くするためにはどうしたらよいか」といった質問はほとんど来ず、「うまくできない」「機材の使い方がわからない」といった極めてベーシックな相談が来ているというのだ。
慌てて、普段から「パソコンは苦手で」と言っている教員にメールで意見を聞くと、「実は模擬授業を見るたびに自信をなくすばかりで」という答えが返ってきた。
私は今さらながら「そうか、もともとネットに興味があるとかオンライン授業に意欲的という教員は、放っておいても自分で工夫してどんどん新しいこともできるんだ。それよりもまず、『困っている』『うまくいかない』という教員のニーズに応えるようなコンテンツを提供しなければいけなかったんだ」と気づいた。
そこで委員会で「匿名でのNG集を作りませんか。オンライン授業でこんな失敗をしたとか、実はここがわかってないとか。意見を寄せる人もそれを読む人もホッとするのでは」と提案したところ、職員たちからも「それはいいですね」という賛同の声が上がった。
そして同時に、「考えてみれば、私はオンライン授業に関してはあまり苦労をしていないが、オンライン診療、いやそれどころか、お互いにマスクしたままのリアル診察でさえ、あんなに戸惑いながら進め、『誰も相談する人がいない』と不安になっているではないか。授業でも同じように感じている教員がたくさんいるはずだ」とようやく気づいたのである。
情報共有で難局を乗り越える
医師や医療関係者は弱音を吐くことは許されず、生涯、学習を続けながら自分の診療をブラッシュアップさせ、クリニックや病院を経営している人であればそれを拡大していく、という責務を負っている。患者さんや従業員の前では、「うまくできなくて」「失敗ばかり」などと言うわけにはいかない。
しかし、このコロナ禍では私のように、「マスクを着けたままだと、普段の診療のスキルが生かせないし、そもそも息苦しくて身体的疲れがひどい」「オンラインで精神療法なんていったいどうやればいいの」といった、基本中の基本のところでつまずいているドクターも実はいるのではないだろうか。
そういった人たちが、「実はこんな基本的なところがわからない」「こういう時はどうしていますか」と気軽に打ち明け、経験や知識をシェアできる場があればな、などと夢想している。
もちろんこの時代、ネットを使ったオンラインサロンなどになると思うが、そんなのができたら私など入りびたってしまいそうだ。
いや、もしかしたらそんなことで今ごろ悩んでいるのは私だけで、世のドクターたちはみな「コロナ時代の医療」にシフトチェンジできているのだろうか。
医師向けの情報誌やウェブを見ると、そういう人たちも多いようだ。しかし、大学で「実は大学のネット用IDもわからないんです」とそっと職員に相談する教員がいるように、医療の世界にも「ついて行けない」「どうしたらいいの」とひそかに悩んでいる人がきっといるのではないか。そういう人たちで情報を共有し、お互いに教え合って、この難局を共に乗り越えていきたい。
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