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第36回 鈴木事務次官体制終焉の背景は……

第36回 鈴木事務次官体制終焉の背景は……
集中出版
鈴木俊彦・前事務次官

厚生労働省の鈴木俊彦・事務次官(1983年、旧厚生省)が退任し、後任に樽見英樹・内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室長(83年、旧厚生省)を充てる人事が、9月4日の閣議で決まり、14日に発令された。7月の幹部人事で既に医務技監が交代しており、全省的に新型コロナウイルスの対応に追われる厚労省では、段階的に人事が行われた。当初は長期政権になるとみられた「鈴木事務次官体制」は2年1カ月余で幕を閉じた。今回は鈴木事務次官交代の背景を探りたい。

2018年7月の幹部人事で事務次官に就任した鈴木氏。人材豊富な「83年入省組」の中でも、保険局長や年金局長等主要な局長を歴任し、重要法案を成立させてきた事から本命とされてきた。しかし、事務次官就任後の道のりは険しいものだった。1年目は旧労働省所管で、毎月勤労統計が不正に作成されていた問題に見舞われ、2年目は新型コロナウイルス感染症への対応で注目を浴びた。「鈴木氏が事務次官として本当にやりたい事は社会保障制度改革」(中堅職員)で、省を挙げての対応が求められた統計不正問題と新型コロナに対する初動はやや遅れた印象は拭えない。大手紙記者は「統計不正は旧労働官僚、新型コロナは医系技官の『シマ』という意識があったのではないか。対応も縦割りだった」と振り返る。

特に新型コロナの対応を巡って、首相官邸がPCR検査の拡大と抗ウイルス薬「アビガン」の早期承認を強く求めたのは記憶に新しい。首相官邸の怒りの矛先は、医系と薬系技官に向けられていたが、鈴木氏の指導力にも疑問符が付いていた。厚労省の2階の講堂に設けられた対策本部には多くの職員が集められたが、「応援に行けと言われたが、何をするかも分からず、大した事もしないまま応援期間が過ぎた」(若手職員)という声も漏れるほど、省内のガバナンスは失われていた。

これまで事務次官として実施した2回の幹部人事も「裏目」に出るケースが多々みられた。ある幹部職員は新型コロナ発生当初の陣容を眺め、「有能と判断したお気に入りの職員を、大臣官房等危機管理部門や自身が重要と思う年金局や保険局に配置し過ぎた。その結果、新型コロナで中心的に対応する健康局や医政局が手薄になった」と指摘する。もう1年続投すれば幹部人事を通算で3回実施する事になり、「2年単位で異動する事を考えれば、気に入らない職員を2回飛ばす事になる」(別の幹部)と懸念する声が上がっていた。

 首相官邸は新型コロナ対応を巡って早くから事務次官と医務技監の交代を求めており、いずれかの時点で鈴木氏が交代するのは既定路線だった。省内の雰囲気も含め鈴木氏が情勢を総合的に判断し、春頃に退任を決意、8月末に新型コロナウイルスの政策パッケージがまとまった事を「区切り」として退任を申し出たという。

 後任は折り合いの悪い樽見氏に譲る事になった。医政局長として首相官邸から批判を浴びた吉田学・内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室次長(84年、旧厚生省)が事務次官に上がれず、推進室長に止まったのが影響した。吉田氏は来年夏の幹部人事で濱谷浩樹・保険局長(85年、旧厚生省)らと事務次官を競う事になりそうだ。 

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