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未来の会

一病息災としてガンマナイフ治療を極める

一病息災としてガンマナイフ治療を極める

林 基弘(はやし・もとひろ)1965年東京都生まれ。91年群馬大学医学部卒業、東京女子医科大学脳神経外科入局。99年仏マルセイユ・ティモンヌ大学留学。2019年から現職。日本脳神経外科学会代議員、日仏医学会理事。


第44回
東京女子医科大学(東京都新宿区)
脳神経外科准教授
林 基弘/㊦

 急性心筋梗塞から生還した林基弘は、ライフワークとするガンマナイフ(定位的放射線手術)を極めることに情熱を注ぎ続ける。

 2012年4月2日、前夜の心筋梗塞の発症から、既に17時間が経過していたが、不幸中の幸いということもあった。狭窄した箇所が、冠動脈の3本ある枝のうち、最も即死のリスクが低い右冠動脈枝だったことだった。

 梗塞がこれ以上広がらないよう、一刻の猶予も許されず、緊急のカテーテル治療が行われた。手のひらの動脈から詰まった冠動脈内までカテーテルを通して広げ、再狭窄することがないよう、血管内に金属製ステントを留置する。かつて、林の父も同じ治療を受けた。

 林は、信頼の置ける同僚である山口淳一に身を委ねたことで、落ち着いて治療に臨んだ。横たわりながらも、局所麻酔のため意識はあり、治療の一部始終が見て取れた。「看護師さん、強心剤の希釈を間違えないでね」と心の中でつぶやく余裕もあった。

壊死した心筋の3分の1は回復せず

 病状は思いのほか重症で、右室梗塞までも併発しており、術後CCU(冠疾患治療室)で48時間厳重管理の後、一般病棟に移った。心室の機能を見ると、左室駆出率(LVEF)が3分の1ほど低下しているとのことだった。一部の心筋は壊死してしまっていた。通常であれば1週間の入院で済むが、林は3週間入院した。

 最後の1週間は、復帰に向けてリハビリテーションや検査を徹底して行った。今回の入院で、血糖値や血中脂質が高めだと同時に判明した。アルコールは機会飲酒で月数回、喫煙歴もない。定期的なプライベートトレーニングも行い、年1回の職場の健康診断もきちんと受け、むしろ健康には気遣っているほうであった。

 1つだけ思い当たる病因があるとしたら、「タイプA」と言われる性格であることだった。Aは、「aggressive」のA、気が短く行動的で、猪突猛進的に物事を成し遂げるタイプだ。そうでない人に比べると、心筋梗塞の発症率は2倍近いとされる。加えて、小さな生活習慣病の積み重ねも悪影響を与えていたようだった。

 退院直後は、自宅から最寄りの駅まで500mを歩くのに、途中で3回も立ち止まって休まなくてはならなかった。

 専門とするガンマナイフ治療は、開頭手術に比べると術者の肉体的な負担は少ないとはいえ、外科医は体力が勝負だ。主治医の山口からは、脈拍数を108以上に上げないような運動であれば良いと助言されていた。そこで、ウォーキングなどの有酸素運動に励んだ。

 一念発起して食品交換表を購入し、食生活の改善にも積極的に取り組んだ。何事も徹底してやるタイプAは、なかなか変えられないようだ。

 休日は、映画やミュージカルの観賞など、発症前にはしたことのない娯楽で、心身をリフレッシュさせるようにした。

 心筋の壊死した部分が回復しないことは、心エコーで見ても明らかだった。落胆はしたが、気持ちを切り替えた。「排気量が2000ccあった車が、1500ccになったと思えばいい。1500ccで凌げるような生活習慣を維持していこう」。 

 療養中、林が担当するはずの診療は、当時の部下が肩代わりしてくれた。治療計画に苦渋している場合は、病室に持ってきてもらい、鼻から酸素吸入を受けながらも、手を入れた。

救えなかった患者を思い完璧な治療目指す

 復帰後は、ガンマナイフ治療に、これまで以上に心血を注いで取り組むようになった。

 患者に寄り添う医師になりたいと思い続けていた。若い頃から、「患者の前では医師らしくなく、医師の前ではより医師らしく」ふるまうように努めてきた。患者と距離を置かず、相談しやすい雰囲気を作っているつもりでいたが、自分が患者になってみると、医師と患者の考えのギャップも見えてきた。

 医師も患者も、治癒を目指していることは同じだ。しかし、患者には、自分が生きたい人生があり、それを過不足なく送ることを求めている。「患者には『納得』と『満足』しかない。それを満たす医療を実践しよう」。一方で、医師の何げない言葉が重く響き、医師の一挙手一投足が気になることがあった。それも、患者と向き合う際にプラスになっている。

 発症から8年余りが経過した。今も、抗血小板薬をはじめ、予防を目的とした生活習慣病関連薬など、複数の薬を服用し続けている。

 幸い、この春の健診でも、エコーや心電図、心不全の徴候を示す血中BNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)の値も、何ら著変はなかった。ストイックに生活習慣の改善にも取り組んだ効果で、主治医から「心臓を患ったお蔭で、かえって大病しなくなる生活になりましたね」と励まされた。

 大学で打ち込んでいたテニス以外に、ジョギングや水泳など、大好きだったスポーツを、思う存分することは叶わなくなった。しかし、心拍数を測りながらであれば筋トレも行えるようになり、医療用のフィットネスバイクも購入した。

 脳腫瘍、脳静動脈奇形、さらには三叉神経痛など、ガンマナイフで縦横無尽に治療をしてきたが、まだ発展途上の治療だと考え、研究にも余念がない。

 初診の外来では、じっくり患者・家族の訴えに耳を傾ける。他の治療法では難しいと告げられて林を頼ってくる患者や、海外から訪れる患者もいる。外科医として、まず外来で行うことは、“心の手術”をして患者を上向かせることだ。すると、ガンマナイフを受ける日には、患者は清々とした顔つきで現れる。もちろん、すべてが完全無比な治療とは言い切れないが、手術室に向かう患者には、「必ず治します」と言い切る。それは自分に言い含めるためのメッセージでもある。

 原発性脳腫瘍は一般に転移しない。しかし、稀に全身に転移するものもある。2015年に出会った青年は、林の治療の甲斐なく、志半ばの27歳でこの世を去った。生きることにこだわり、常に周りに感謝を忘れない彼は死ぬべきではなかった。その無念さは、林にとって尋常ではない。「2度と同じような思いを人にさせたくない。患者さんにとって100%満足いく治療を提供したい」。

 その青年は遺言で、香典のすべてを林が大会長を務めた第12回国際定位放射線治療学会(横浜)に寄付してほしいと望んだ。その思いに突き動かされた林は強い使命感を抱き、それが新たな研究に打ち込むきっかけとなった。青年の写真はカバンに入れて常に持ち歩いている。

 55歳を目前に控え、残り10年の目標を見据えた。新たな技術として、重粒子線をメス代わりに用いる「カーボンナイフ」の開発を目指し、量子科学技術研究開発機構との共同研究が始まった。医療者だからこそ、闘病経験から得たものは大きい。「医療とは何をすべきなのかが、しっかりと見えてきたようだ」。 (敬称略)

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