国内で新型コロナウイルスの感染が始まってから半年余り。この間、国は様々な感染症対策を講じ、第1波の抑え込みには一時的に成功したものの、それを評価する声はあまり聞こえてこない。聞こえてくるのは、クルーズ船対応、アベノマスク、緊急事態宣言発出の遅れ、PCR検査態勢等、問題点を指摘する声ばかり。政府の対応の舞台裏を、保健医療分野に詳しい武見敬三氏に聞いた。
——新型コロナウイルスの感染拡大の状況をどう見ていますか。
武見 こういった状況がこれからもずっと続くという事でしょう。その時々の政府や社会の対応が早ければ、あまり高い山にならずに済み、手遅れになればオーバーシュートしてしまう。そういう状況をしばらくは渡り歩く事になります。思った以上に手ごわい病原体である事は、もうはっきりしているのではないでしょうか。
——政府の対策は、クルーズ船対応にも、アベノマスクにも、緊急事態宣言の遅れにも、PCR検査の態勢にも批判が出ています。
武見 批判があるのは当たり前だと思います。SARSやMARSの流行時、日本はさほど深刻な状況に陥りませんでしたが、専門家会議が重要な提言をしていました。政治がそれをきちんと受け止めず、感染症有事の態勢整備をしてこなかったのです。これは我々が深く反省しなければなりません。政権交代でこうした課題が引き継がれなかったのが残念です。新型インフルエンザ特措法は我々が野党時代に作られた法律で、政権交代が起きて今の政権に代わった時に、自分達が作った法律ではなかったので、将来に向けてそれを活かそうという動機が希薄だったのでしょう。しかし、この6カ月で、準備しておくべきだった課題が浮かび上がってきました。デジタル化の遅れや情報システム整備の遅れ等が、社会にどういった事をもたらすのかが、明らかになってきたのです。これを機に遅れを一気に取り戻し、世界で最も優れた感染症対策の体制を作り上げていく。その好機と捉えるべきだと思います。
——対策に専門家の意見は活かされたのですか。
武見 内閣の司令塔機能を設計しておくという事を、平時にきちんとやっておかなかったのが問題でした。感染症には厚生労働省が1月から対応し始めたのですが、政府に対策本部が出来たのは1月下旬です。ほぼ同時期に厚労省の中にも対策本部が出来、専門家会議が出来たのは2月半ばでした。本来なら1月時点で専門家会議が機能していなければならなかったはずです。初期対応の意思決定に専門家の意見が活かされるような仕組みは出来ていなかった、という事です。
——緊急事態宣言については?
武見 当初は法律の定めもなく省令で専門家会議を作って運営していました。政府の対策本部も閣議決定で設置したものです。3月中旬に新型インフルエンザ特措法を修正してからは、法律に基づいて政府に諮問する基本的対処方針諮問委員会が設置されました。それにより3月下旬に基本的対処方針を定め、政府が4月7日に基本的対処方針に基づいて緊急事態宣言を発出したわけです。これがギリギリ間に合いました。本来なら、もう少し早く対応してしかるべきだったかもしれませんが、幸い政府の対応が功を奏して、かろうじて医療崩壊を免れる事が出来たと考えています。
コロナ対策の中心が内閣官房に移った
——現在のコロナ対策はどこが中心になって行っているのでしょうか。
武見 新型インフルエンザ特措法が採択された事で、危機管理態勢が組み替えられていきました。それ以前は厚労省の対策本部とその中の各班が中心となって、政府の緊急対応政策が決められていたのですが、特措法採択後は総理の指示で担当大臣が任命され、その担当大臣を補佐する事務局として、内閣官房内に新型コロナウイルス対策室が出来ました。そこの事務局が、閣僚レベルの政府の対策本部の事務局をやり、基本的対処方針諮問委員会の事務局をやり、専門家による分科会の事務局もやっています。内閣の重要な意思決定に関わる重要な組織の事務局を一手に仕切り、西村康稔・新型コロナ対策担当大臣の直轄する事務局として、全省庁的な調整を行う体勢になっていったわけです。以前はテレビ等でも加藤信勝・厚労大臣が出て説明していましたが、政府のスポークスマンとしての役割は西村担当大臣に変わりました。政府の危機管理の体勢が変わった結果として、そうなったわけです。総合調整部門が厚労省から内閣官房に移ったという事ですね。
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