今回は前回に引き続き、日本のコロナウイルス対策が奇跡と言われるほど優れた成果を出したという点について、日本の医療制度という視点から国際比較をしてみたい。
医療崩壊という言葉に厳密な定義はないが、ここでは「患者が医学的な必要に応じ入院できないことなど、また医師による適切な診断・治療を受けられないこと」を指すと定義しよう。そして、その原因は医師が不足していたり病院(病床数)が不足していたりすることである。前回は日本の病床数が多いことに起因する医療キャパシティについて話をしてきた。
日本の病床数
日本の病床数はなぜ多いのだろうか。正確には減少する途上にあるといった方が正確である。図表の通り、日本は諸外国に比して病床数が多い。
韓国は日本に似た医療体制を持つが、今回の新型コロナ対策では日本とは異なり、集中的な管理を行った。結果的には、日本同様に人口当たりの死亡者数が少ない。
筆者は医師でもあるので、新型コロナウイルスが指定感染症で感染者が入院できる病床が限定されていることは承知している。しかし、急性期病床でなくても、人工呼吸器を付けることは可能である。新型コロナウイルス感染者のために結核病棟を使っているケースもあるが、集中治療室のように高度な医療を行っているわけではない。ただ、病床数が不足する国のように、ホテルを病院に転用をするといったことに比べれば、好条件であることは間違いない。
一方、医師数と比較して病床数が多い。これが医師の過重労働の原因の一つにもなっており、厚生労働省の地域医療構想では病床数の適正化が意図されている。
現在、日本の人口1000人当たりの病床数は世界一になっている。病床数が多過ぎるのもおかしいが、あまり減らし過ぎるのも良くないのは、新型コロナウイルスの感染拡大で明らかである。
ドイツやイタリアとの比較(表)
同じ欧州連合(EU)の国として似通った医療体制を持つイタリアとドイツを比べてみよう。ドイツは医療崩壊を免れ、イタリアは医療崩壊したといわれる。
イタリアとドイツの決定的な差が何になるかと言えば、やはり病床数と医療のレベルということになろう。ドイツに比して、イタリアは病床数が半分以下である。そして、付随的には対国内総生産(GDP)比当たりの医療費もイタリアは8.8%に対しドイツは11.2%である。医師などの待遇や病院の設備がドイツはイタリアより優れていると考えられる。
病床の利用率や平均在院日数にはあまり差はないので、病床余力としても大きな差はないと思われる。正確に言えば、このような急性期の治療を行うための急性期病床数の差ということになるが、ここにおいてもドイツとイタリアの病床数差は大きい。
病床率の差が、医療崩壊の定義である「患者が医学的な必要に応じ入院できないことなど、医師による適切な診断・治療を受けられないこと」に直結したと思われる。
次いで、医療レベルである。筆者はイタリアに直接病院や医療関係の調査に行ったことがないので医療のレベルを正確に判断する立場にはないが、一つの例として脳卒中の死亡率を取り上げてみたい。この差を見ると、やはりドイツの方が医療レベルは高いとみた方がいいであろう。
今後の展開
さて このように考えると日本の制度が良かったという話であるが、もちろん問題点もあった。特に非常に高度な医療である ICU(集中治療室)治療、あるいは ICU におけるECMO(体外式膜型人工肺)の使用、このあたりについては、日本の場合、充実しているとは言い難かった。
しかしながら、医療者の機転もあり、ICU でなければやれないことは ICU で 、HCU(高度治療室)や一般病床でもできることはそちらで、といった対応で乗り切ってきている。
考えなければならないのは、やはりこういった高度医療に対しての診療報酬での償還の金額であろう。ICUかHCUかで診療報酬の点数は変わるわけだが、その分ICUの要件を取るには厳しい基準を満たさなければならない。
もう一つ大きな話題として上がってくるであろうことは、地域医療構想に伴う病床の集約化という議論であろう。2019年9月末には公立公的病院を中心にリスト化が行われ、集約化の方向が示されたが、やはり感染症といった疾病対策は公立や公的病院が中止になるケースも多い。
旧来日本では診療報酬の下ですべての病院が同じであり、設立母体についての議論は株式会社立病院が新たにできない、といったことを除けば少なかった。もちろん、赤字補填の税金の投入といった点で、公私のイコールフッティングという話題は昔からあるし、それに伴って政策医療とは何か、行政医療とは何か、といった議論がなされてはきたが、十分であったとは言い難い。今回のコロナの問題で改めて設立母体の意味についても考えなければならないであろう。
もちろん、あまりに大量に税金が注ぎ込まれていることは問題ではあるが、不採算医療が何かといった考え方でもある。特に今回のコロナウイルスのような経済学的に負の外部性、つまり他人に感染させたりするという特徴があり、まさに古典的な意味での社会保障の対象になるような疾患が多く発生した場合、個人の行動変容や投薬が中心になる生活習慣病、あるいは高齢者の認知症といった疾患とは、対応策がかなり変わってくる。
次回は、高齢者施設での感染の問題を取り上げてみたい。
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