大型客船の「有事対応の国際ルール」を作るべき
最高級の宝石をまとったきらびやかな“王女”も、日本政府にとっては災厄そのものであったかもしれない。700人以上の感染者を出し、世界中から「日本政府の失態」と指摘された豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の新型コロナウイルス集団感染。英国が所有する日本生まれの船体、米国の運航会社に所属する船長、多国籍の乗員、乗客……と責任の所在が不明瞭なまま、乗船した医師による〝場外乱闘〟まで繰り広げられた今回の事例は、国境なき現代の象徴といえる。果たして日本政府の対応は国内のみならず世界から批判されるほどの悪手だったのか。改めて振り返る。
乗員乗客約3700人の大型クルーズ船が横浜港に到着したのは2月3日の事。同船には56カ国・地域の乗客が乗っていたが、最も多かったのが日本人。乗客の多くは日本で下船する予定だったが、その下船に待ったがかかったのだ。
「1月25日に香港で下船していた男性が新型コロナウイルスに感染していた事が判明した。そこで、他にも感染者がいないか上陸前に調べる必要が出てきた」(厚生労働省担当記者)。
しかし、国立感染症研究所(感染研)と地方衛生研究所を中心とした日本の検査体制では、約3700人もの感染の有無を一斉に調べる事は出来ない。「そこで、体調不良の乗客や症状がある人、その濃厚接触者に検査を行う事にした」(同)。
数字が一人歩きしてイメージ悪化
ところが、横浜到着から2日後の2月5日、検査によって乗客、乗員31人中、10人の感染が判明した。全国紙の政治部記者は「政府にとってこれほどの感染拡大は想定外だった」と明かすが、乗客に感染が広がっている事を示唆する結果が出た以上、乗客を日本に上陸させるわけにはいかない。ウイルスの潜伏期間を考え、乗客に対して船室内での14日間の隔離が行われる事になり、高齢者や持病がある人も対象に加え、順に検査が行われたのである。
ところが、これが良くなかった。船内の検査陽性者は6日10人、7日41人、8日3人、9日6人、10日65人……とどんどん増えていったからである。「結果が出たらすぐ公表する姿勢は正しいが、検体を取ってすぐ結果が出るわけではないし、潜伏期間があるため感染時期は検査よりも前のはず。ところが、それがうまく伝わらなかったため数字が一人歩きして、船内で感染が広がり続けているイメージを持たれてしまった」(同)。
クルーズ船にはレストランや劇場等、多くの人が集まるスペースが多く、窓がない客室も存在する。ライブハウスや屋形船等、換気が悪く体液が飛びやすい環境で感染が広がりやすいというウイルスの特性はまだ知られておらず、船内では乗客の自室隔離が始まった5日以前は多くの人が集まるイベントが頻繁に行われていた。感染研のまとめでは、感染者の多くは隔離が始まる前に感染していたとみられる。ところが、毎日増え続ける感染者の発表は、隔離に効果はない、感染は無限に広がっている、というイメージを全世界へ発信してしまったのだ。
さらに、この悪いイメージを一気に世界に発信したのが、2月18日にユーチューブで公開(その後削除)された神戸大学の岩田健太郎教授の動画だ。感染症の専門家である岩田教授は、元厚労省医系技官で沖縄県立中部病院の高山義浩医師の紹介でクルーズ船に乗った。専門家として問題点を指摘するも数時間で降ろされる事になり、船内の感染防止対策の不備や指示系統の不満を動画でぶちまけたのだ。
神戸大教授の船内動画告発が火に油
岩田教授を紹介した高山医師や船内で指揮を執っていた橋本岳・厚労副大臣らが慌てて火消しするも後の祭り。動画は拡散され、海外メディアが日本政府の対応を非難する格好のネタとなってしまった。
岩田教授を知る全国紙記者は「岩田先生は2014〜15年の西アフリカでのエボラ出血熱流行の際にはWHO(世界保健機関)の専門家としてシエラレオネに派遣される等、この道の専門家で熱い人だ」と評価する。岩田教授の一連の行動について、親しい医師の1人も「途上国の感染拡大防止の現場を知る日本の専門家として、不備が目についたのは仕方がない事。ただ、海外から日本がバッシングされる事は本意ではないだろう」と動画削除に至った心情を推し量る。
だが、岩田教授の振る舞いは国内外からの批判のネタになっただけでなく、多くの医療関係者をも敵に回した。クルーズ船の患者を受け入れた神奈川県の医療機関関係者は「当院は患者受け入れだけでなく、船内で活動するDMAT(災害派遣医療チーム)にも医師を派遣していた。人手不足に加えマスクや消毒液等の物資不足の中、職員は感染しないよう細心の注意を払い一丸となっていたのに、一方的に責め立てる動画の内容はあまりに自己中心的だ」と怒り心頭だ。
豪華クルーズ船で旅行する乗客は、高齢で金銭的に余裕がある人が多い。外国籍の患者を受け入れた医療機関は、言葉や医療制度の壁もあり患者の要求に四苦八苦した。さらに、患者が増えるにつれ、周辺の医療機関はパンク寸前となった。ただでさえ医療資源に余裕のない中、患者の搬送先を手配する事になった神奈川県の黒岩祐治知事は後日、「本来は国がやるべきだった」と不満をぶちまけた。だが、国が率先して動くわけにはいかない事情もあったのである。
海事業務の専門家は「巨大クルーズ船の登場は2000年代に入ってから。過去、これほど多くの乗員乗客を抱えた船舶の検疫が行われた事はない」と指摘する。「ダイヤモンド・プリンセス」の船籍は英国のため、公海上では英国が主権を持ち、船内においては船長があらゆる権限を持つ。つまり、船が入港した2月3日まで日本政府はこの船に対する権限を何ら有していなかった。
接岸後も船会社や船長の意向を無視するわけにはいかず、乗員・乗客に対する指揮命令系統は曖昧だった。3000人超を受け入れられる隔離施設がない中で、感染の有無も分からないまま下船させるわけにいかない。日本政府は「船内でなるべく他人との接触を控えるよう要請」し「DMATや検疫職員が船内に入って健康管理や重症者を搬出する」方法しか採れなかったのだ。
国際社会の批判が集まった今回の一件だが、その後、米国でも米国籍のクルーズ船で集団感染が起き、米政府は乗客を船内で隔離する方法を採った。国際社会が批判した通り日本政府の対応が間違っていたのだとしたら、米政府は同じ対応を採らなかっただろう。
ダイヤモンド・プリンセスには日本人の乗客が多く、日本が高度な医療を提供出来る国だったからこそ、対応が出来た。だが、接岸した国が批判も含めて全責任を負う事を求められるとなれば、今後、クルーズ船の受け入れを拒否する国が相次ぐ事も考えられる。各国に求められるのは対岸からの批判でなく、大型客船の有事対応の国際ルールを率先して作る事である。
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