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未来の会

第186回 患者のキモチ医師のココロ 入院の経験から学んだ「小さいけれど大きなこと」

第186回 患者のキモチ医師のココロ 入院の経験から学んだ「小さいけれど大きなこと」

 「経験に勝るものはない」とよく言われるが、自分の話で恐縮ながら、今回はそんな話をしてみたい。

 昨年の12月に骨盤腹膜炎になり勤務先の診療所から総合病院に救急搬送され、緊急手術を受けて8日間入院した。外科手術を受けた経験はあるのだが、救急搬送や緊急手術ははじめてだ。

 巷には「医者が病気になったとき」といったタイトルで、医師自身が医療を受ける側になった際の体験を語るインタビューやエッセイなどが数多く出ている。今回、入院する直前にも、解剖学者・養老孟司先生の『養老先生、がんになる』(エクスナレッジ社)を面白く読んだばかりであった。

トイレのリモコンの位置が私を苦しめた

 手術や入院を経て、私も遅ればせながら「患者の立場になってはじめてわかったこと」をいくつか経験した。その中でいちばん印象に残っているのは、実は直接、医療に関係したことではなかった。しいていえば、アメニティの問題、人間工学的な問題となるだろうか。

 「医療」という点では、受け入れ先の中堅市立病院は文句のつけようがなかった。昼休みの時間帯に救急搬送されたにもかかわらず、ドクターやナースたちはイヤな顔ひとつせずに対応してくれ、それぞれの検査や処置の説明は簡潔かつ必要十分であった。

 検査データがひと通りそろってから婦人科医から「虫垂も腫大しているので外科医に相談しますね」と聞いたときは、「婦人科、外科どちらの科が主導するかでコンフリクトが起きるかも」という危惧の念を抱いたが、すぐに「両方の科が入って合同オペになりました」と連絡が来た。そしてすぐに外科医も「オペに入りますのでよろしく」と顔を見せておだやかにあいさつしてくれたのだ。院内の各科がすぐにコミュニケーションを取れる環境ができているので、患者は安心して自分を委ねられる。一瞬、激痛を忘れるほど感激した。そのような経緯で、病院に到着してから6時間も経たないうちに、腹腔鏡下での両側の子宮付属器や虫垂の切除術、排膿術は無事に終わった。

 ところが問題はその後だった。幸いにして腸の強い癒着までは起きていなかったのだが、炎症の影響なのか、サブイレウス状態となってしまい、お腹の張りがなかなか収まらなかったことだ。絶食での大量の補液とともに抗生剤の点滴が続いたが、その影響でいわゆる“しぶり腹”と下痢が生じた。頻回にトイレには通うのだが、いっこうにおなかの張りが解除されない、という状態が続いた数日間がいちばん辛かった。

 入院中、私がいたのはコンパクトなトイレとシャワーがついた小さな個室だったので、他の患者に遠慮なくトイレを使えたのはありがたかった。ところが、そのユニットタイプのトイレで小さな問題があった。洗浄ボタンを押すためのリモコンが壁に固定されていたのだが、そのボタンの位置が体の真横より少しだけ後ろ側にあったのだ。もちろん、後ろといっても真横から5センチほど後ろなだけなので、便器に腰かけたまま躯幹を10度もひねればすぐスイッチが押せる。トイレのスペースはとても狭く、前方の壁にはトイレットペーバーホルダーなどがそなえつけられており、やむなくリモコンは少し後ろ側につけたのだろう。

 そうはわかっているのだが、おなかが張って強い痛みを感じている私にとっては、少しでもからだをひねろうとする動作が泣けるほど辛かったのだ。「またおなかが痛む。トイレに行かなくては。でも水を流すために体をひねると、さらに強い痛みに襲われる……。」一時期はそのことで頭がいっぱいとなったほどだった。

 また、それとは別の“医療以外の問題”があった。術後の数日、寒気と熱感が交互にやって来たため、看護師に相談すると「寒気がひどければ電気毛布をお貸しできます」と言う。すぐに頼んだのだが、かけてもらったごく普通の電気毛布が重くてたまらない。そういえば昨年秋、胃がんの手術を経験した友人が、「吐血して病院に緊急搬送されたとき、待ち時間にかけられていた毛布が鉛の板のように重かった。体に直接、かからないようベッド柵に一端をかけてほしいと看護師さんに頼もうにも、うまく声が出なくて説明ができず、ずっとうなっていた」と話していた。そのときは「そんなこともあるんだね」と他人事のように聞いていたが、まさか我が身で経験するとは思わなかった。

 ほんの少しからだをひねってトイレの洗浄リモコンを操作する。寒いときに厚手の毛布を使用する。いずれも健康なときは何も考えずに対応していることだが、痛みや吐き気、高熱などいつもと違う状態では、それらが非常な苦痛に感じられるのだ。

 訪室した若い看護師に「これはクレームじゃなくて雑談ですが」と前置きしてこの話をしてみたが、「そうなんですね」と言いながらも困惑したような表情をしていた。私も元気なときに患者さんから「先生、このトイレのリモコン、あと5センチ前に移動してもらえないですかね」とか「この電気毛布の半分くらいの重さの毛布にしてもらえませんか」と言われても、「そういう規格になっているのでご了承ください」としか答えようがなかっただろう。

当事者に話をきくことの大切さ

 話は変わるようだが、いま私が勤務しているむかわ町穂別地区では、博物館新館が建設中であり、私も住民のひとりとしていろいろ勉強しながら話し合いに参加している。その中で知ったのは、博物館や美術館の世界でいまトレンドになっているのは「アクセシビリティ」という概念だ。「障害や病気の有無などにかかわらず、誰もが展示を楽しめる美術館や博物館」を目指すのが常識となっており、そのためには当事者が建設の計画段階から加わるのも一般的になりつつある。先日、公開シンポジウムに参加したところ、車いすユーザーが「美術館の絵や解説は私からは高い位置にありよく見えない」と発言していた。たしかにそれらは「大人が立って見る」ことを前提に展示されており、背の低い子ども、高齢者、車いすユーザーなどはかなり上を見上げなければならない。

 いま多くの医療機関はバリアフリー化されており、ストレッチャー、車いす、歩行補助具利用者への配慮は十分、行われている。しかし、今回、私が経験したように、病室内の設備のちょっとした配置や寝具や食器の重みなど、健康な人にとってはなんの問題もないが、患者にとっては苦痛を感じるものがまだ多くありそうだ。

 どの医療機関でも「ご意見箱」を設置したりホームページなどを通して意見を伝えたりできる仕組みを整えたりして、日ごろから患者の要望や意見は集めていると思う。さまざまな業者も「患者がより快適に使える用具や設備」を日々、開発し続けているだろう。それでも、この「ちょっとしたこと」が患者にとっては大きなバリアとなり、回復を遅らせたり気分を滅入らせたりすることがある、というのを私は今回、身をもって知った。

 「先生、この食事のテーブル、ちょっと高いです」といった患者の声に対して、私もこれまではつい「それは病気とは関係ないから」などと言って取り合わなかったかもしれない。これからはそういう声にも耳を傾け、ミーティングでスタッフたちと共有したいと思う。

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