
友池 仁暢 (ともいけ・ひとのぶ)
NTT物性科学基礎研究所 リサーチプロフェッサー、榊原記念財団附属榊原記念病院 顧問
留学先:University of California, San Diego (1975年6月〜77年6月)
先行きの見通せない世界と留学、憧れが現実へ
医学・医療の研究環境は、ITによる情報量の急増や生成AIによる情報検索及びその包摂力によって、旧来の考え方や手法が一気に陳腐化しつつあります。同じ時期にコロナウイルス感染症のパンデミック化が、研究に止まらず診療環境に地殻変動を誘起し、国内外の社会慣習を激変させ、右傾化さえも助長しています。
医学部卒業前後の半世紀前も、今と同様に激動の時代でした。ベトナム反戦運動、成田空港問題、沖縄返還運動、母校の九州大学には米軍のファントムジェット機が建設中の電算機センターに激突、エンタープライズ寄港反対、インターン制度の廃止、臨床系大学院ボイコット、医学図書館の占拠と封鎖等々、学生運動が最も激しい時代でした。
このような社会情勢の中、私たちの世代は実質的に第1期生となる2年間の初期臨床研修を終えた後、2年間の研究室配属となりました。黒岩昭夫先生(1956年東大卒、2020年ご逝去)のご指導のもと、野瀬善明君(1969年九大卒)と「冠循環に関する動物実験」に打ち込む毎日でした。中村元臣教授(1950年九大卒)は、外来や回診の折に実験室によく来られ励まして下さいました。お2人の会話の中で、「NIH(アメリカ国立衛生研究所)のBraunwald先生の研究室の仕事は凄いな」といつも感心しておられたのが印象に残っています。
研究期間を終えると、米アイオワ大学の留学から帰国されたばかりの竹下彰先生(1965年九大卒、2009年ご逝去)が病棟主任でした。竹下先生は、米国のInternal MedicineとCardiologyの2つの専門医資格をお持ちで、その明快かつ広範な臨床に私達は魅せられました。

学生運動の真っ只中にあっても「留学は卒後修練として当たり前」の風潮がありました。自分には憧れの域を出ていませんでしたが、修練であるならば果たさねばと、教室の先輩達から自薦の手紙の文例をいただき、論文でしか存じ上げない全米各地の教授に手紙を出しました。Braunwald教授と共にNIHからUC San Diegoに移られたJohn Ross. Jr教授(1956年School of Medicine at Cornell卒、2019年ご逝去)にも出しました。「怖いもの知らずにも程がある」と思いましたが、OKのご返事をいただいた時は、急に“世の中が明るく広がったような感じ”がして、嬉しかった事を昨日のことのように思い出します。後にRoss教授が、私の採用について親交のあった岐阜大学の早瀬正二教授(1939年京大卒、91年ご逝去)に尋ねたところ、「中村元臣教授の所の若者なら“一推し”だ」と賛同してくださったのが決め手になったと話してくださいました。
UC San Diegoにおける研究
留学当時、米国の臨床で最大の課題は、死因第1位の心臓病の克服、とりわけ心筋梗塞の致死率抑制でした。フラミンガム研究により危険因子が判明し、全国規模で対策が講じられる中で、NIHはMIRU(myocardial infarction research unit)に続きSCOR(specified center of research)の大型研究を進めていました。私の配属先はDean Franklin先生(Dr. Robert Rushmer、Dr. Robert Van Cittersらと無麻酔動物の生理学研究を確立、世界で初めてドップラー血流計を発明。Medical School at McGill Univ. 中退、2007年ご逝去)が主宰するSeaweed Canyon Labでした。当Labは1965年にスクリップス海洋研究所とUCSDが合同で開設した研究施設で、今流に言えば、垂直統合の実験研究室でした。
エンジニア棟では、電子回路設計から実験計測機器の開発研究・実装が行われ、動物実験室では植え込みセンサーの製作や動物モデルの作成が進められていました。8畳ほどの動物舎が6個野外に並び、テクニシャンもエンジニアも無麻酔下での病態生理研究に懸命に従事していました。MDでは篠山重威先生(1964年京大卒)が左室肥大心と心筋虚血の研究を、Dr. Bertrand Crozatier(フランスからの国費留学生)が霊長類バブーンの無麻酔実験を行っていました。
日本の犬はフィラリアに感染した貧血犬でしたが、ラボ犬は貧血もない大型犬でした。センサー植え込み手術は篠山先生と室長のMr. Daniel McKown(米軍府中基地配属の衛生兵だったとのこと)が行っていましたが、すぐに私が助手を務めるようになりました。手術時間は回を重ねるごとに短縮され、3カ月後には半分の2時間で済むようになりました。Ross教授は内科の教授でしたが、NIHで研究された時には人工心肺モデルを作成できる外科医としても活躍されていました。肺静脈剥離の難しいモデルを作成した際、Ross教授の見事な手技に感銘を受けました。

私の研究テーマは、冠動脈狭窄下の局所心筋機能を無麻酔で観察することでした。冠動脈を囲繞するカフオクルーダーは高価な割にはすぐに破損し、実験を中断せざるを得ませんでした。実験室のベンチでDanが市販品の1/100以下の費用で耐久性抜群の器具を開発し、研究が一気に進捗しました。2年目には、Franklin先生の長年の念願であったテレメトリーを用いた野外での動物実験を担当しました。左室内圧は植え込み型血圧計で測定し、虚血部と正常部の局所心機能は直径2mmのペアによる局所長の超音波計測で評価しました。心電図、冠動脈回旋枝にカフオクルーダーとドップラー血流プローブを装着し、野外実験ではこれらのアンプ、電池、FM送信器をバックパック法で犬に背負わせ、フォルクスワーゲンのバンに受信機を設置して追尾させ、アンプを介してデーターレコーダに記録しました。この仕事はCirculation Researchに投稿し受理されましたが、この論文を含め、筆頭著者としての論文発表は2年間で3報に止まりました。
留学中の1番の思い出は、論文執筆に当たってのRoss教授とのやりとりです。最初は、提出したどのページにも先生の修正が入っていました。回数を重ねると赤ペンは減りましたが、ある時、英文タイプをして下さっている教授秘書が「もうそろそろ良いですよ。何回持ってきても教授は修正されますから」と仰いました。更に勉強になったのは、病態生理の理解の範囲を論文で思い切り広げて書くことで、Ross先生のお考えやご判断を論文執筆過程で確認できたことです。
Seaweed Canyon Labでは、私の後に多くの日本人留学生が研鑽を積み、今日に至っています。皆さん、日本の循環器学に大きな功績を残されています。
感謝
留学中はホスト・ファミリー、日本からの様々な分野の留学生、原子力関係で勤務されていた日本人家族に大変お世話になりました。Ross教授は帰国後も、様々な局面で助けて下さいました。2019年に新研究所(NTT, Medical and Informatics Labs)をシリコンバレーに設立した時は、San Diegoの仲間が励まして下さいました。留学を通じて、国内の友人は加速度的に増え、大学の枠を超えた仕事ができたことを今更ながら有難く思っています。
井上靖の『天平の甍』には青雲の気概に富む留学僧の風景が描かれており、共鳴される方も多いと思います。本稿では、半世紀を経て留学を振り返り、波長の異なる様々の学びに気づきました。執筆を勧めて下さった編集者に御礼。
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