
開学30周年を迎えた国際医療福祉大学は、全国に5つのキャンパスと6つの附属病院を擁し、国際性を目指した特色有る教育プログラムを展開している。2017年には医学部を新設し、留学生を積極的に受け入れると共に、海外研修を含む独自のカリキュラムにより、グローバルに活躍出来る人材の育成に力を入れている。厚生労働省での医務技監の経験を経て、22年に学長に就任した鈴木康裕氏に、新型コロナウイルス感染対応の裏側と同大学の取り組みについて話を伺った。
——コロナ禍で医務技監を務められました。新型コロナウイルスの第一報はどう受け止めましたか?
鈴木 2019年12月頃にWHO(世界保健機関)からのグローバルアラートで、中国で原因不明の肺炎が流行していると発信されたのを聞いたのが第一報でした。当初はヒト−ヒト感染には進まないと言われていたので、暫く静観していると、武漢で感染者が急増し、ロックダウンが敢行される可能性が高まりました。安倍晋三総理(当時)から招集が掛かり、当時武漢に居た約700人の日本人全員を帰国させる為の手配が迅速に進められました。全日空がチャーター便を運航してくれた事に今でも感謝しています。
新型コロナウイルス対応の裏部隊で活躍
——その後、ダイヤモンド・プリンセス号の対応でも苦労されました。
鈴木 私の知る限り、この時ほど全省庁が一丸となって対応した事は無かったでしょう。ダイヤモンド・プリンセス号は、米国法人が運営する英国籍のクルーズ船ですが、防疫という観点からも、日本が全責任を負って誠心誠意、対応しました。私の後に医務技監となり、当時、国立保健医療科学院院長として中国からの帰国者の対応で責任者を務めていた福島靖正氏に連絡を取り、クルーズ船での臨船検疫の指揮をお願いしました。検体の採取に当たる医師や看護師が足りず、自衛隊にも協力して頂きました。自衛隊は普段から生物兵器対策も行っていますから、完全装備での対応が可能で、その後のワクチン接種でも非常に頼りになりました。それに比べると我々は軽装備で、省内から1人感染者を出してしまった事が悔やまれます。
——日本の対応に各国から注目が集まりました。
鈴木 船内の感染対策のガイドラインが存在しない中で、当時の菅義偉内閣官房長官や赤羽一嘉国土交通大臣を始め、各省庁の幹部らとの協議の末、乗客と乗員に船内に留まって頂くという苦渋の決断を下しました。乗客と乗員を合わせて3711人が乗船していましたので、特に欧米のメディアからは監獄状態だと批判も有りました。只、既に感染していた人は別ですが、乗客の中からは新たな感染者は出ませんでした。乗員は複数人部屋で風呂・トイレ共有でしたから、感染が少し広がってしまいました。
——病院は、感染者の受け入れに積極的でしたか。
鈴木 国際医療福祉大学成田病院(千葉県成田市)は20年4月1日に開院予定でした。当時の加藤勝信厚生労働大臣が高木邦格理事長に電話をして開院の前倒しを要請しました。幸い機器類は殆ど入っていて、患者は未だいない状態でした。同じく4月に開院予定の藤田医科大学岡崎医療センター(愛知県岡崎市)にも受け入れを要請し、患者を収容しました。その他は空きの有る施設を探して収容して行きましたが、殆どは消極的でしたね。治療法が無い中で、他の重病患者が多数入院している院内に感染が広がる可能性を考えると理解は出来ますが、受け入れの調整には苦労しました。
——指揮は安倍元総理が執られていたのですか?
鈴木 総理は元々社労族でしたので、病院の限界もきちんと把握された上で助けて頂きました。当初は分からない事が多かったので、決断が難しい場面も多々有りました。治療薬もワクチンも無い中で唯一可能だったのは、人の流れを変えて接触を減らす事でした。その方策の1つが緊急事態宣言だったのです。医療システムは大きなタンカーの様なもので、急激にキャパシティを増やす事は出来ません。限られたベッドと人手で、入院患者を急に増やしたり患者を振り分けたり等、直ぐに出来るものではありません。或る新聞で、イギリスは全病床の20%を新型コロナウイルス用に展開したのに日本は5%しか展開していないと批判されましたが、後にイギリスの研究者の分析によると、20%を展開した事によって、自宅で亡くなったがんや心臓病の患者が増加したそうです。
——未曾有のパンデミックを経験し見えた、日本の医療体制の強みと課題をお聞かせ下さい。
鈴木 強みはやはり、厳しい状況にも拘らず、医療従事者が自らの犠牲を顧みずに見せた底力です。課題は幾つか有ります。1つは自治体が自主権を握っている事です。地方分権が進み、全国で統一する対策を行い難い状況になりました。例えば東京都と厚生労働省で重症者の定義が違うといった問題も起こります。今後、有事下での地方自治の限界についても考える必要が有ると思います。データの収集方法にも課題が有ります。マスコミからは連日感染者数を尋ねられましたが、都道府県のデータを自動的に集計出来る仕組みが無い中、手作業で集計して報告していました。それからマスク等の衛生用品が不足しましたね。経済産業省とも相談したのは、石油と同様に、輸入が途絶えても対応出来る様に最低限3カ月分の備蓄をするか、国内で生産出来る体制を整備する必要性でした。
——PCR検査の試薬が不足しました。
鈴木 実は09年の新型インフルエンザの時にも試薬の取り合いが起こりました。当時厚生労働省が纏めた反省本の中に、保健所の機能の整備と診断に必要なPCR検査薬の確保も含まれていましたが、残念ながら生かされませんでした。その後に発生した東日本大震災への対応に追われた事や、人事異動等の理由が有るものの、今となっては重大な反省点ですね。今回の轍を2度と踏まないというのは、皆が身に染みて感じている事です。
——「3密」はよく守られ、高い成果が有りました。
鈴木 欧米は、濃厚接触者を特定する事で新たな感染を予防していましたが、日本はこれに独自の手法を加え、発生源を追いました。そこから札幌の雪祭りのテントの中や大阪のライブハウスといった感染場所が特定され、密閉された空間で飛沫が飛び交う様な場所で感染が広がる事が分かりました。ロックダウンという方法を採らずにある程度コントロール出来たのは、そうした綿密な分析結果を国民に示す事が出来たからだと思います。
国際人を養成する独自カリキュラムを展開
——医務技監を退官後、国際医療福祉大学の学長に就任された背景についてお聞かせ下さい。
鈴木 退官したらヨット三昧の余生を送るのも悪くないと思いながらも、36年間国家公務員として従事して来たので、次は民間で働いてみようかと考えていたところに、声を掛けて頂きました。医療系の大学で、尚且つ次世代の人材を養成出来るところに遣り甲斐を感じています。
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