
中高所得者は自己負担増の急激な伸びに注意が必要
医療費が高額になった場合に患者負担を一定に抑える高額療養費制度の見直し案が昨年末に固まった。今年8月から2027年8月に掛けて段階的に引き上げる方針だ。16年末に纏まった前回の見直しは、その方針を巡って政府・与党内で対立が生じ、一大騒動に発展した。だが今回はさほど波風が立たなかった印象だ。前回と今回でこれ程迄に違うのは何故なのか。
高額療養費制度は、窓口負担が上限額を超えた場合に、その差額を健康保険組合等から給付される仕組みだ。年収や年齢によって上限額は異なるが、保険診療の範囲内なら所得が低い人でも高額な医療費の掛かる治療を受けられる為、「医療のセーフティーネット」とも呼ばれる。
今回の見直し案によれば、主に見直されるのは70歳未満の人達だ。8月には現行の所得区分のまま上限額を2・7〜15%引き上げる。その後、所得区分を5区分から13区分に細分化し、26年8月と27年8月に見直す。
影響が大きいのが、約4120万人が対象となる平均所得層(年収約370万〜約770万円)だ。25年8月に上限額を8万100円から8100円上げて8万8200円とする。その後、3区分に分け、段階的に引き上げる。年収約370万〜約510万円の区分は8万8200円で変わらないが、年収約510万〜約650万円の区分は来年8月に10万800円、27年8月には11万3400円に上がる。年収約650万〜約770万円の区分はさらに上昇し、来年8月に11万3400円、27年8月は13万8600円まで上がる。
来年8月以降に新設される一番高い区分(年収約1650万円以上)では、27年8月に44万4300円まで上がる。その一方で、住民税非課税だと3万5400円から3万6300円に微増されるだけだ。こうしたメリハリの有る見直しにしたのは、所得の有る人に負担を課す応能負担の考えに因るものだ。厚労省幹部は「少子高齢化で社会保障費が増大する中、所得の有る人には多少我慢をしてもらって負担を分かち合ってもらう為だ」と理解を求める。
とはいえ、中所得〜高所得の人は上限額が大幅に上がる印象は否めない。一番高い所得層は最終的に約1・8倍となる。これ程大きな見直しの割に、与党内で反対する声も少なく、今のところ野党も大っぴらに批判もしていない。
根底に有るのは、少子高齢化に伴う社会保障費の増大を食い止める為には、利用者負担を増やして一定の抑制をしなければならないという事情だ。現役世代の保険料負担も軽減させなければ、持続可能性を担保出来ない。政府が掲げる全世代型社会保障では、応能負担を掲げており、今回の見直しもその路線を踏襲している。
「全世代型社会保障構築会議」の改革工程で布石
その上で政府は慎重に見直し作業を進めていった。布石は23年12月に公表した政府の「全世代型社会保障構築会議」の改革工程だ。28年度迄に高額療養費制度の見直しを盛り込んでいる。改革工程でも「給付は高齢者中心、負担は現役世代中心となっている社会保障の構造を見直す必要が有る」と記している。こうした記述に依って政府・与党内では、高額療養費制度の見直しは最早既定路線だと周知された。
或る大手紙の記者は「改革工程には、ケアプランの有料化や医療・介護保険の現役並み所得の対象拡大等が盛り込まれていたが、この並びで高額療養費が列記されれば、先ずは高額療養費制度から手を付けるのだな、というのが直ぐに分かった」と明かす。
更に首相官邸の意向で、24年夏に決まった骨太の方針には見直し方針を盛り込まなかった。これは自民党総裁選や衆院選の悪影響を及ぼさないようにする為で、厚労省は骨太の方針に書き込むよう要望していた。だが、水面下では着実に見直しが進められていたのだ。
何故ここまで慎重に見直しを進めるのかは、前回の苦い記憶が有るからかも知れない。前回は見直し方針を巡り、自民党と公明党が対立した。厚労省は70歳以上で一定の収入が有る高齢者の毎月の上限額を1万2000円から2万4600円に引き上げようとした。これに公明党が高齢者の受診控えに繋がるとして猛反対したのだ。自公間の調整で「バナナのたたき売り」(厚労省職員)の様に上限額が下がり、最後は茂木敏充政調会長と石田祝稔政調会長(何れも当時)の協議に縺れ込み、1万4000円まで下がった。
特に公明党には、石田政調会長の他、高木美智代氏や桝屋敬悟氏等、福祉現場に詳しく高齢者福祉に一家言有るベテラン議員がいたのも大きかった。当時を知る業界紙記者は「当初の厚労省案は上限額がそもそも高すぎた。特にアナウンスもせずに11月末になって与党関係者に急に根回しし始めたので、驚いた関係者も多かった様だ。公明党は高額療養費制度の生みの親を自負しており、特に慎重に対応すべきだったのに、当時の保険局は根回し下手な印象を受けた」と明かす。大揉めに揉めた結果、厚労省が当初考えていた落としどころよりも大幅に譲歩する様な中身になったのだ。
今回、こうした経緯が教訓として生かされたかは不明だが、慎重な運びとなったのは事実だ。管義偉元首相の首相秘書官を務めた鹿沼均保険局長は首相官邸を中心とした権力構造を知っており、根回しにも長けている。賃金や物価が高騰しているのを理由に上げ幅を確定させる等、一定の根拠にも基づく形で議論を進めた。石田氏や高木氏、桝屋氏ら公明党のベテラン議員が軒並み引退したり、昨秋の衆院選で時代を担う議員が落選したりした影響も有っただろう。自民党の部会等でも特に異論無く、一任を取り付けている。
中高所得者に厳しい来年以降の自己負担増
只、最終的な仕上がりは3段階で大幅に引き上げられる内容となっている。8月段階での見直しは賃金上昇の範囲内で引き上げられているものの、その後の引き上げは中高所得者にとっては厳しい内容だ。所得区分が細分化された影響で、例えば、年収約650万〜約770万円の人はこれ迄8万100円だった上限額は27年8月から13万8600円に上がる。年収約1040万〜約1160万円だと16万7400円から25万2300円といった具合だ。負担能力が有り、段階的とはいえ、急激な伸びと言わざるを得ないだろう。ユーチューブの解説動画でも「結構な負担増になる」と紹介されている。いざ負担する段階になって「こんなに支払うの?」と驚く人も出て来るかも知れない。
大手紙記者は「厚労省は年収区分が大まかだったので、なだらかにしたいという意図が有った様だ。負担が急激にならない様に引き上げに3段階を設けたが、一部の所得区分の人で負担が大幅に増加する見直しとなった」と解説する。
約2万5000人のがん患者とその家族で構成する「全国がん患者団体連合会」の天野慎介理事長は、1月8日にウェブに掲載されたNHKの記事に、「高額療養費制度は我々にとって正に命綱。ぎりぎりの範囲で仕事をしながら治療を受け続けている人もいて、負担額が増えれば治療を諦めたり、生活が出来なくなる人もいると危惧している」とコメントを寄せている。
社会保障制度の持続可能性を高める為に応能負担はやむを得ない面は有るだろう。しかし、政府には引き続き、持続可能性を高める取り組みを進めると共に、一部の国民が不利益を被らない様な配慮を求めたい。国民に不公平感を与える事は政治的にも大敵だ。
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