アメリカの大統領選が終わり、トランプ氏の返り咲きが決まった。
現在78歳のトランプ氏は就任時には78歳7カ月になりバイデン氏の最高齢記録を5カ月上回ることになるそうだ。テレビ画面で見るトランプ氏は健康そうで、選挙戦の間も全米中を飛び回って集会では長時間の演説をこなしていた。
またトランプ前政権の時に、真っ向から大統領に対抗していたナンシー・ペロシ氏という女性の下院議長がいたのを覚えている人も多いだろう。現在も下院議員として活躍している彼女は、すでに84歳である。
年齢に比して元気なのは、アメリカの政治家だけではない。日本の10月の衆議院選挙では、15回目の当選を果たした麻生太郎氏は84歳、小沢一郎氏は82歳。トランプ氏より高齢であるが、いずれも与野党の重鎮として大きな影響力を持ち続けている。石破茂氏もすでに67歳、会社員なら定年を迎えている年齢だが、はじめて総理大臣という要職にチャレンジするわけだ。他にも50代をとうに超えているのに、青年のような若々しさを保っている政治家は枚挙にいとまがない。
なぜ政治家はいくつになっても若く、アグレッシブでいられるのか。政治の世界に詳しい人は言った。
「権力こそ最高の“若返り薬”なんですよ。近くで見ても、政治家はみんなイキイキ、ギラギラしてますよ」
政治家が陥る「傲慢症候群」
これはいったいどういうことだろう。大臣経験もあるイギリスの政治家で医師でもあるデヴィッド・オーウェンという人が、かつて2冊の興味深い本を書いた。どちらも残念ながら邦訳はされていないのだが、1冊目は2012年の『The Hubris Syndrome: Bush, Blair and the Intoxication of Power』、そして2冊目は20年の『Hubris: The Road to Donald Trump: Power, Populism, Narcissism』。どちらも権力者の「Hubris」、つまり権力者特有の傲慢さを「傲慢症候群」という一種の社会的な病と見なして論じたものだが、1冊目の副題に注目してもらいたい。そこには「ブッシュ、ブレア、そして“権力への中毒”」という言葉がある。
オーウェンはこの2冊の本で、権力を手にすることにはこの独特の中毒性があるとする。そして、その座につくまでは常識的で善良だった人が、次第に横暴な振る舞いをしたり周囲の人たちの助言にも耳を貸さなくなったり、自分のために便宜がはかられたりするのを当然だと考えるようになるという。
オーウェンはイギリスの政治の中枢にいて、こういった権力者の変化を目の当たりにすることでこれらの著作を記したわけだが、おそらくそこには薬物や特定の行為への中毒、依存症にも共通する脳内メカニズムも関与しているだろう。
ギャンブル依存症や買い物依存症では、何種類もの脳内神経伝達物質が関与しているといわれる。たとえばその行動を行なわせるドーパミン、持続させるノルアドレナリンが過剰に分泌され、一方で行動を抑制するセロトニンの分泌は低下していることがわかっている。さらに、興奮状態を高めるエンドルフィンの過剰分泌も確認されている。こういった物質の相互作用により、前頭葉がいくら理性の力でそれをやめさせようとしても、あたかも脳が勝手に暴走しているかのように、ギャンブルや買い物にまた手を出し、続けようとしてしまう。
それらのうち、エンドルフィンは以前から「脳内麻薬」と呼ばれており、痛みの抑制や免疫細胞の活性化にもかかわっていると、一時期よく話題になった。最近では「若返りホルモン」としても注目されているようだ。またドーパミンは、誰もが知るように気分の高揚や興奮に深く結びついた化学物質である。
おそらく選挙で当選したり要職に指名されたりした政治家たちは、脳内でそれらが一気に分泌されるという経験をし、まさに「権力酔い」の状態を味わうのであろう。そして、「もっとその状態を味わいたい」という気持ちにとりつかれ、権力の高みを目指したり選挙で当選するための活動に奔走したりするようになる。その間も一種の興奮状態にあるので、表情もはつらつとし、動きも機敏になることが多い。そのことが実年齢よりも政治家を若く見せるのだと思われる。
ただ、先のオーウェンはこの「傲慢症候群」を「若さを保つコツ」として賞賛しているのではない。周囲の助言にも耳を貸さず、「自分がいちばん」と思い込み自己陶酔している権力者がいる組織は、それが政府であっても会社であっても必ず破綻することになる、とオーウェンは警告するのである。
たしかに、いくらアンチ・エイジングに効果的とはいえ、それが「もっとほしい、まだ足りない」と際限のない権力欲求にとりつかれての結果だというのは、必ずしもノーマルなことではないだろう。とくに「権力酔い」をしている人物の周囲にいる側近あるいは家族は、その犠牲になることを強いられる場合が多い。また、引退などで権力から離れて一気に老化が進む政治家や経営者などもいる。
「権力酔い」していないかのセルフ・チェックを
もちろん、権力を追及し続けてそれにより若さを保ちながらも、他人の助言にも耳を傾け、家族を尊重し、社会貢献活動をしている、天才的なバランス感覚の持ち主もいる。おそらく彼らの場合は、ドーパミンやエンドルフィンへの渇望につき動かされてではなく、前頭葉で理性的に考えながら次の行動を決めることができるのだろう。最近、欧米の経営者に流行っている「マインドフルネス」という瞑想も、「権力酔い」を覚ましてくれる一助になると考えられる。
このコラムを読んでいるドクターたちはどうだろう。脳内化学物質をふんだんに分泌させながら、年齢を感じさせない若々しさを保って「我が道を行く」とばかりに仕事を続けていきたいだろうか。それとも、もう少し周囲との調和を図りながら、自分の力量あるいは年齢に見合ったペースで働くことを望むだろうか。もちろん、選択は人それぞれだし、どちらが良くてどちらが間違っているというつもりはない。ただ、私たちとおそらくはそれほど変わらない身体を持ったひとりの人間が、本当に「78歳にして再び世界最大の国の権力者になり、高揚感のうちに職責を果たしていくこと」などできるのだろうか。世界中がその発言や行動に注目し続けるに違いない。
20世紀前半に活躍したアメリカの政治家ジェームズ・バーンズは、こう言ったとされる。
「権力は人を酔わせる。酒に酔った者はいつか覚めるが、権力に酔った者は、覚めることを知らない。」
医師という仕事も、大なり小なり権力が手に入りやすい側面がある。自分のまわりに「権力酔い」に陥っている人はいないか、あるいは自分も過去にそういう時期はなかったか、ぜひ一度考え、折に触れてセルフ・チェックをしてみてほしいと思う。
もちろん、「いや、権力こそ最高の“若返り薬”だというなら、私はあえて権力を手に入れるための挑戦を続けよう」と思うのであれば、それはそれで止めるつもりはない。ただ、家族や職員などの犠牲の上に手にした権力は最終的にはその人自身も幸福にしない、ということだけはお忘れなく願いたい。
LEAVE A REPLY