増える負担に広がる格差民間保険へのシフト
国民皆保険制度崩壊の危機——。政府がこの6月に取り纏めた「経済財政運営と改革の基本方針2024」(通称:骨太の方針2024)は、そんな危機に瀕する「芽」が隠されている。医療や介護の保険給付の範囲を縮小し、個人負担を増大させる事を仄めかす方針が示され、捉え方によっては国民皆保険制度を崩壊させ兼ねない書き振りで、監視が必要だ。
先ず、「民間保険の活用も含めた保険外併用療養費制度の在り方の検討を進める」という方向性が示された事が目を引く。日本福祉大学の二木立名誉教授は9月に行われた「第12回LMC研究集会」で、この点に強い危機感を表し、「保険外併用療養費制度の枠を超えた保険給付範囲の大幅縮小と、患者負担の大幅増加が予定されている事を意味する」と述べた。
増え続ける社会保障給付費の伸びを抑制する事は、社会保障制度を維持する為に解決すべき喫緊の課題だ。しかし、保険給付費の範囲を縮小し、個人負担を増やすのでは社会的なトータルの負担は変わらない。民間保険はコストが公的保険より掛かる他、加入は任意であるから日本が維持して来た国民皆保険制度を根底から覆す事になり兼ねない。格差の問題も生じる。畢竟、民間保険に加入出来ない低所得者は「イノベーションの進展」の恩恵を受けられない。骨太の方針ではあくまでイノベーションの進展の為に、「有効性・安全性が認められた新技術・新材料の保険導入を推進する」のであり、従来の医療の保険給付範囲を縮小させる意図は無いと思われる。
二木氏は、国民皆保険制度の将来に関して慎重な見方を示し、現状では制度が直ちに崩壊する「地獄のシナリオ」の実現性は低いと分析しつつも、「監視が必要」と指摘する。特に、財務省を筆頭に、経済産業省や規制改革推進会議、更には主要な経済団体等が、保険外併用療養費制度の大幅な拡大を積極的に推進している現状に警鐘を鳴らす。
ビジネスケアラー問題は棚上げに
次に介護の人材確保政策を見てみる。厚生労働省の推計によれば、介護人材は26年度に240万人、40年度には272万人が必要とされている。一方、22年度の介護職員数は約215万人で、ここから約57万人増やす必要が有る。
高齢化が進む日本では、今後介護ニーズが益々増え、その仕事に携わる人材確保策が急務だ。人材不足の原因の1つは、賃金の低さが挙げられる。介護職の賃金は昨年に比べて2.52%の賃上げ率に止まっており、来年度迄2年間の介護報酬改定の賃上げ率4.5%とは乖離が見られる。物価高等で介護施設の経営状況の悪化が続く中、賃上げが今後行われるかは不透明だ。そうなると人材確保は益々困難になり、介護職員ではなく、家族等の近親者が働きながら介護するビジネスケアラーが増加する事が予想される。にも拘らず、骨太の方針ではそこに向けての対応には触れられていない。
昨年11月の財政制度等審議会では、「ビジネスケアラー等の介護者の負担軽減を図る観点から、利用者保護等に留意しつつ、保険外サービスの普及促進を図る」と保険外サービスでの対応を仄めかしており、介護保険では対応しないという宣言にも読み取れる。
一方で評価すべきポイントも有る。実質経済成長率の目標は2%から1%に引き下げられた。第2次安倍政権の「骨太の方針2013」以来、菅内閣、岸田内閣は2%目標を踏襲していた。しかし、「骨太の方針2024」では、「経済・財政・社会保障の持続可能性の確保を図るには、人口減少が本格化する30年代以降も、実質1%を安定的に上回る成長を確保する必要が有る」として、1%を目標とした。
今年7月に開かれた経済財政諮問会議で示された24年度の成長率は+0.9%程度とこれ迄より引き下げた。政府は円安による物価高を背景とした個人消費の落ち込みが背景と説明している。大きな経済成長が見込めない今、2%目標はあまりにも現実とは掛け離れた理想論だ。実際、13〜19年度の7年間で成長率が2%を超えたのは13年度の1度だけで、7年間の平均の成長率は6.7%に止まっている。今回の「骨太の方針2024」は、この様な今迄の無理の有る目標を反省したのだろうか、1%目標はより「現実的」なものとなったと言えよう。
医療職の賃上げは前途多難
医療分野では、「24年度診療報酬改定で導入されたベースアップ評価料等の仕組みを活用した賃上げを実現する」としているが、病院経営は厳しさを増している中でどれだけ実効力を持つのだろうか。
厚労省の調査によると、22年度の一般病院の損益率は新型コロナウイルスの補助金を除くと6.7%の赤字だ。コロナ対策の支援は23年度から縮小しており、同省は23年度には物価高騰等の影響で損益率がマイナス10.3%に拡大すると予測している。二木氏は、骨太の方針で初めて医療・福祉分野の賃上げを明示した事を評価する一方で、財源確保策が明記されていない事を指摘した。保険料負担のGDP比は33年の4.8%から、60年には4.4%に低下し、公費負担は3.8%で一定とされている事を挙げ、「これでは医療・福祉分野等の『持続的な賃上げ』は望めない」と断じた。
医療の人材確保に並行して、医師が都市部等に偏り、地方の病院で不足する「医師の偏在」も深刻化している。医師の偏在とは、地域の偏在だけでなく診療科の偏在の側面も有る。特に、外科や救急科、産科等、夜間も含めた24時間体制が必要な診療科では、必要な医師を確保しにくくなっている現状が有る。中でも産科医療機関の減少は、少子化問題と直結する為、問題は深刻だ。国が幾ら教育や児童手当を拡充しても、場所が無ければ子供を産む事が出来ない。幸い、産婦人科医や産科医は増加傾向にあり、12年から22年迄の10年間で11.1%増加し、約1万1800人となっている。一方、産科や産婦人科を標榜する医療機関は減少の一途を辿っており、12〜22年の10年間で8.4%、116施設が減少した。この傾向は今後も続く事が予想される。
骨太の方針では、「経済的インセンティブによる偏在是正」を掲げて、診療所や病院が密集している地域での診療報酬単価の引き下げをちらつかせているが、二木氏は「制度的・政治的かつ政策技術的に実現困難」とした上で、現実的な手段として「補助金の交付が相応しい」としている。
又、骨太の方針では医療や介護分野のDXについて、「効果的・効率的な提供を進める」と昨年の骨太の方針を踏襲した。しかし、原案では「DXの推進によって医療費を適正化する」としていた。二木氏は、「医療・介護DXにより医療費を抑制出来たとの学術研究は世界的にも無く、『根拠に基づく』事の無い政策の典型だ」と述べた。日本医師会の松本吉郎会長も「医療DXを医療費適正化と結び付ける様な記載となっている事は到底容認出来ない」と強調すると共に、「医療DXの推進を医療費適正化のみの視点から進めるという発想自体が言語道断」と厳しく批判した。確かにDXは業務の効率化や効果を上げる事を目的に進めるものであるから、当然の批判だろう。
骨太の方針には国民皆保険制度の危機を匂わせる「芽」が多く存在する。故に、それが花開く前に摘み取る必要が有る。しかし、9月の自民党総裁選では、社会保障の議論が深められたとは言い難い。10月の衆院選でも社会保障政策を前面に出した候補者は多くなかった。専ら耳にするのは「減税」「賃上げ」だ。候補者は、票欲しさに有権者に耳触りの良い言葉ばかり投げ掛けて来るが、社会保障関係費は国家予算の3割以上を占める事を忘れてはならない。石破茂首相は「国民を守る」を掲げるが、医療や介護の問題に逃げずに正面から向き合い、抜本的な政策を打ち出さなければ国民を守る事は疎か、共感も得られないだろう。
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