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未来の会

知力を尽くして選挙を戦う参謀役
未来を担う有能な政治家を育てる

知力を尽くして選挙を戦う参謀役未来を担う有能な政治家を育てる
藤川 晋之助(ふじかわ・しんのすけ)1953年大阪府生まれ。国士舘大学卒業後、山本幸雄衆議院議員(自民党)秘書。91年大阪市議会議員。自民党離党後、新生党に参加。民主党合流後は保守党を始め第三極等の各選挙で参謀や事務局長を歴任。22年藤川選挙戦略研究所設立。

今年は日本と米国で、国の今後を左右する大きな選挙が行われた。選挙は候補者同士の戦いと見られがちだが、実は陣営同士が総力を挙げてぶつかり合う組織戦でもある。そうした選挙の戦いの中で、公約を練ったりPR戦術を立てたりするのが選挙プランナーと呼ばれる人達だ。選挙では「風が吹く」というが、如何に陣営に有利な風を吹かせ、どう風に乗るのかを考えるのもプランナーの重要な役割となる。今年、東京都知事選挙で善戦した石丸伸二氏や、自民党総裁選を戦った高市早苗氏の参謀を務めて注目を浴びた藤川晋之助氏に、選挙運動の裏側や求められる政治家像等について聞いた。


——石丸伸二氏や高市氏への支援で注目されました。

藤川 都知事選には余り気乗りしていなかったのですが、石丸氏の後援会長であるドトールコーヒーの鳥羽博道名誉会長から、直接頼まれてお引き受けしました。石丸氏は最初1人きりでしたから、私の事務所が総力を挙げて応援しました。殆どボランティアでしたが、165万票を獲得したお陰で、私の知名度も上がった。広告料として2億円位の価値が有ったと思っています。都知事選が終わったところで「今度は高市を手伝って欲しい」と鳥羽名誉会長に頼まれた。若い人を応援した次は、初の女性総理を目指すのも悪くはないと思い、お引き受けしました。

——10月の衆議院選挙の結果をどう見ていますか。

藤川 事前の考えでは、与党は苦戦しているものの、最後は自民と公明でぎりぎり過半数を維持すると見ていました。しかし、終盤に自民党が非公認候補側に2000万円の活動費を支給した事が明らかになって、流れが急変した。選挙で負けた石破茂首相は、少数与党で、国民民主党や日本維新の会の協力を得ながら乗り切るつもりなのかも知れませんが、不安定な政権運営は免れないでしょう。アメリカ大統領選の結果も今後の世界情勢に大いに影響を与える事になりますから、そう考えるといくら連立を重ねたとしても「弱い政権で良いのか」と不安を感じます。

——選挙の参謀として活動する様になった切っ掛けは何ですか。

藤川 約30年前、選挙プランナーの三浦博史氏に誘われて、米・民主党の選挙プランナーと食事をした事が有ります。その時言われたのは、「日本の政治家は自分で何でもやるが、それでは駄目だ」という事でした。米国の政治家は、日本の政治家の様に、パンフレットを作ったり選挙戦略を考えたりはしない。それは事務所の事務局長がする事で、政治家は数多くの人に会って、自分の思いを伝えて行かなければならない。それが出来ない様では政治活動ではない。日本は、政治家本人が事務的な作業も一生懸命やっているから、人と会う機会が少ない。だから、足腰が弱い政治家が多い。その様な話を聞いて、感動しました。三浦さんは、その後ご苦労を重ねられながら数多くの選挙に携わり、「選挙プランナー」の第一人者という地位を築きました。対して私は、「選挙参謀」タイプです。

——プランナーではなく、参謀だと。

藤川 極めて科学的に世論調査をして、どの様に戦い、票に結び付けて行くのかといった事を考えるのが選挙プランナーです。私の場合は、陣営の先頭に立ち、相手の陣営を如何に切り崩すか、調略して味方に引き込むかといった戦略を立てます。戦国時代の黒田官兵衛や竹中半兵衛といった軍師の様な位置付けの気概でいます。私は、彼等が単に力任せに戦うのではなく、知力や資金を上手く使い、総合力によって相手に勝つところに痺れます。ですから選挙でも、やや劣勢で、下剋上を狙う陣営に参加して、勝ちに導くといった事が快感なのです。誰でも出来る様な選挙はやりたくない。勿論、劣勢の選挙の現場は厳しく、休む間は有りません。只、そうした現場を数多く経験して来たからか、最近の選挙は、どの陣営も生温く感じてしまいます。


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