今回はいつもと少し毛色の違うテーマ、「医師と創作」について考えてみたいと思っている。
医療はクリエイティブ、つまり創作的で独創的な仕事なのか。実はそうでもないのではないか。とくに今は各疾患でガイドラインが定められており、「個性を発揮して自分だけの治療をする」などということはほとんどできない。
ただ、一方で医師にはクリエイティブな人が少なくない。成績優秀なだけではなく、さまざまな個性、特技、好みを持った人たちがいる。そのクリエイティビティ(創造力、独創力)をどう発揮すればいいのかは、実は大きな問題だと思う。好きなクルマを買ったり家庭で創作料理を作ったりだけでは、それを持て余してしまう人もいるだろう。そういう人たちには、ぜひ本格的な「創作」に挑戦してもらいたい、と思っている。それは医師としての深みを増すのに役立ち、患者さんとのコミュニケーションにも必ずプラスに反映されるだろうと考える。
ユニークな創作活動をする医師たち
もちろん、「医師にして創作活動を行う人」は枚挙に暇がない。小説の世界では、森鴎外に始まり、加賀乙彦、北杜夫、渡辺淳一。漫画の世界にはなんといっても手塚治虫がいる。彼らは医業をどの程度やっていたかは人それぞれだが、みな医師免許を有した医師である。演劇の世界ではくるみざわしん、詩では尾久守侑というふたりの精神科医が活躍中であるし、同じ精神科医の高橋龍太郎は現代美術の世界的なコレクターとして知られ、現在、東京都現代美術館でそのコレクションで構成された展覧会が開催されている。
今回はその中でも“異色のふたり”を紹介したい。まずは整形外科医にして漫画家の中原とほる。今年の9月に結果が発表された「ビッグコミック&ビッグコミックオリジナル 第11回青年漫画賞」で「松本大洋賞」を受賞した中原だが、驚くのはその年齢だ。受賞の時点で81歳、現在は82歳なのだという。
中原のひとつの作品はすでに単行本になっており他の作品の医療監修などもしていたが、その名が広く知られているわけではない。それでも漫画家になりたいという夢は断ちがたく、コミュニケーションが苦手な少年が野球に打ち込み、医師である伯父のサポートも得ながらプロ野球のチームに入団し、成長していく姿を62ページの作品にまとめて「青年漫画賞」に応募したのだ。このたびの受賞にあたり漫画家の松本大洋氏は、「軽さと清潔感のある画面、チャーミングさと不思議さのある絵、セリフにも重量があり、読んでいて心に響くものが多くありました」と絶賛した。
そしてもうひとりは、この7月に第171回芥川賞を受賞した朝比奈秋。この数年、各文芸賞を総なめにしている朝比奈は四十代の消化器内科医で、小説家として多忙な日々を送る今も関東の医療機関に非常勤として勤務を続けている。朝比奈が小説家としてデビューするきっかけとなった『塩の道』は津軽のへき地医療を描いた作品で、それ以降の『植物少女』は遷延性意識障害、『私の盲端』は人工肛門、『あなたの燃える左手で』は四肢移植、そして芥川賞を受賞した『サンショウウオの四十九日』は結合双生児と、いずれも医療や疾患が作品のテーマとなっている。
中原と朝比奈は年齢も活動のフィールドも異なるが、大きな共通点がある。それは、医師だからこそ体験できることや持てる視点を存分に生かしつつ、その枠を超えてオリジナルのストーリーを編み出しているということだ。さらに、両者とも医療の厳しさを描いたりそこでの問題点を告発したりする内容ではなく、あくまで中原は野球漫画、朝比奈は純文学として第一級の水準を達成している。だからこそ、直接、医療にかかわったり関心を持ったりしているわけではない層にも大きなインパクトを与えることができるのだ。
このコラムでも何度か、「人の生き死に」という根源的な事態に直接触れる医師は、人文学の素養を持つべきだという話をした。さもなければ、目の前で起きている命をめぐる壮絶な事象を自分でどうとらえてよいか分からなくなり、結果的に「これは自分の人生には直接関係がない職務上のできごとなのだ」と必要以上に距離を置こうとする。これを心理学では「疎隔化」と呼び、一種の自己防衛メカニズムではあるのだが、行きすぎると患者を「ケースレポートの一例」として機械的に扱ってしまうような態度にもつながりかねない。とはいえ、いきなりドストエフスキーを読め、と若い医師に勧めるわけにもいかない。だとしたら、さしあたって同じ医師が書いた小説やエッセイ、漫画などを読んでみるのもよいのではないだろうか。自分が日ごろ診ているような患者さんや疾患をこんな視点で見ることもできるのかと気づくかもしれないし、「自分はこうは考えない」と違和感を抱くかもしれない。この否定的、批判的な観点もそこから思索を深めるのにとても重要である。
作品づくりにぜひチャレンジを
忙しい日々の中ではあるが、ぜひ自分でも「作品を生み出すこと」にチャレンジしてほしい。スポーツ、アウトドア、グルメなどもよいが、文章でも音楽、絵、工芸でもよいので、無から自分だけの作品を作り上げることにも時間を使ってほしい。長く医師として仕事してきた人であればあるほど、これまでの臨床経験は血肉化されており、きっと他職種の人には作れないような作品を生み出せるはずだ。
そして、自分が描いた絵を待合室の壁にかけたり、小説をプリントアウトして綴じて小冊子にしたものを受付の横に置いたりすると、患者さんたちは必ず反応してくれる。日ごろは血圧や血糖値といった数値を介して話すことが多い医師と患者の関係が、作品を介しての対話となると、印象がガラリと変わるはずだ。
「先生の絵、見ましたよ。あれは空想ですか?それとも昔の記憶?」「自分の心を見つめたらああいう構図が生まれたんですよ」などと話すのは、精神科領域で行われている芸術療法にも通じる。芸術療法では、言葉ではない手段で自分の情緒や願望などを表現し解放することが、作り手の心の回復に役立つと考える。また、作品をはさんでの対話が、双方にとって新たな可能性を拓くことも知られている。
ときには、患者さんも創作意欲を刺激され、自作の書や俳句、エッセイなどを持参して、「先生、見てください」とさし出すかもしれない。忙しい外来の合い間にじっくりそれを読んだり見たりするのは難しいだろうが、まずは「その人を作品づくりに向かわせた」ということに意義があると考えよう。そして、診療が終わってから1分でも目を通し、次回の診察のときに「なかなかユニークでしたよ」「いつものあなたとは違う大胆さが現れてますね」などと簡単な感想を伝えたい。それにかかる時間はわずか数秒だろう。しかし、それだけでその人の心は充実し、もし何らかの身体疾患で治療中であったとしたら、がぜん治療意欲もかき立てられるに違いない。
全国のクリニックの中には、待合室に職員あるいは患者さんの作品を飾ったり、ときには「文化祭」と称する催しを開催したりしているところもある。そこでは医師もおおいに創作力を発揮し、自分の心を解放しセンスを磨いて、明日からの診療をひと味違うものにしてほしい。
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