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未来の会

私の海外留学見聞録 ㉝
〜レールの上をまず走り、やがてレールを敷いていく〜

私の海外留学見聞録 ㉝〜レールの上をまず走り、やがてレールを敷いていく〜

浅山 敬 (あさやま・けい)
帝京大学医学部衛生学公衆衛生学講座教授
留学先: ベルギー Katholieke Universiteit Leuven(2011年4月〜14年3月)

ベルギー・ルーヴェン大学留学まで

東北大学の今井潤名誉教授が1986年から始めた「大迫研究」は、私が参画する頃には家庭血圧や自由行動下血圧に関して世界的に知られたコホートとなっていた。共同研究として国内外に大迫コホートのデータを提供し、強固な研究ネットワークが構築されていた。当時、血圧のランダム化比較試験やメタ解析で名を馳せていたルーヴェン・カトリック大学(Katholieke Universiteit Leuven)のJan A. Staessen教授は、大迫研究も含めて自由行動下血圧の世界的なコホート研究成果を統合したメタ解析「IDACO」から新知見を続々と出しつつあった。私は2005年に学位を得て、引き続き高血圧の疫学研究に従事していた。いずれは留学を、と思いつつも、家庭血圧に基づく全国規模の介入試験「HOMED-BP研究」のプロジェクトマネージャとして多忙な日々を送っていた。Janの研究室を留学先として定めたが、HOMED-BP研究の遂行に苦戦しており、当初09年に留学する予定が延び延びとなり、10年はじめの学会でJanから“いつ来るんだ”と言われてしまった。そこでエンジンがかかり、幸い今井教授をはじめ周囲の理解と、臨床薬理研究振興財団からの留学助成を得て、11年3月21日に渡航することとなった。

3・11、東日本大震災が仙台を襲った時、私はベルギーの新居へ船便を発送し、空き家とする仙台の自宅の食料備蓄などをあらかた消費した頃だった。日頃から非常事態には備えていたが、災厄は柔らかい脇腹を狙ってくることを痛感した。周囲の被害が軽微であったのは不幸中の幸いであったが、同僚に一旦売却した車を預かり直して、荷物を限界まで積み込んで家族4人で成田空港まで行ってからの出発となった。震災の混乱下で、よく渡航を予定通り実行できたものだと我ながら感じるが、決断を後押ししてくれた親族や同僚には深く感謝している。

▲ 2014年初春、研究室メンバーと。前列中央が私とJan、私の左側は後輩の原梓・現昭和薬科大学教授。
留学中

ルーヴェン・カトリック大学のあるルーヴェンは、ベルギーの首都ブリュッセルの東30kmに位置し、人口10万、他に学生が4万人ほど居住する大学都市である。ブリュッセル空港にも近く、ユーロスターやタリス等の高速列車でロンドン、パリ、アムステルダム、デュッセルドルフなどに2〜3時間で行ける。ベルギーは関東平野ほどの狭い土地に高速道路網が張り巡らされており、ルクセンブルク付近の丘を除けば平坦で肥沃な土地が広がっている。

大手日本企業の現地駐在員であれば、週末になると各地に出掛け、長期休暇にはヨーロッパの著名な観光地で家族とバカンス……というきらびやかな生活を送るかもしれない(羨ましさからの偏見があるのは容赦されたい)。一方、大学の研究者は貧乏であり、余暇を見つければ研究に没頭する毎日であった。それでも月に1度くらいは家族旅行に出掛けていたと記憶しているが、本稿執筆時に妻に確認すると“季節ごとに1回がせいぜい”との返事であった。実は私自身は学会・研究会等で各地に出張しており、これが自分と家族との認識の差につながっているようだ。滞在中に第3子を授かった妻は、3年間1度も日本に帰国せず、私も子供の幼稚園・小学校への送迎を引き受けるなど多忙な日々を過ごしていたが、妻には帰国後も含めて迷惑をかけ通しである。

もっとも研究に没頭するのも留学後しばらく経ってからの話で、特に最初の3カ月程は、家族の生活のセットアップの合間に震災後の母国を心配する毎日であった。それでも少しずつ、IDACOの解析、家庭血圧のコホート統合メタ解析「IDHOCO」の立ち上げ、Jan達の持つ地元住民コホートの調査の手伝いなど忙しくなって来た。そんな折、日本から抱えて来た執筆途中の論文についてJanと毎晩のように内容の討議、修正(といってもJanの魔法のような修正に圧倒されるばかりであったが)を続けている最中に自分の誕生日を迎えた。連夜の指導への感謝とともに誕生日、これからも引き続き頑張る旨メールすると、研究のアドバイスとともに“You are a brave guy”と返って来た。ようやく研究室の一員になれた気がした、忘れられないフレーズである。

留学2年目、HOMED-BP研究等でお世話になっている日本の先生方に長期出向を呼び掛けたところ、大阪大学から神出計先生、埼玉医科大学から野口雄一先生が、ちょうど重なる形で3カ月弱滞在くださった。Janのもとには各国の研究者が代わる代わる短期滞在に来ていたが、日本からの研究仲間は格段に嬉しく、お2人とも滞在中の成果を一流誌に筆頭掲載し、今も親密な交流が続いている。

留学助成金の受給は2年間であったが、私自身はもっと長くいるつもりであった。この頃には来訪者に“日本から来ている”と自己紹介すると、Janからは“ルーヴェンにいると言わないのか”と悲しそうに口を挟まれるなどすっかり溶け込んでいた。しかし3年目、ルーヴェン大学から俸給を得ていたものの、貯金残高が減っていき、4年目にはマイナスに突入すると正確に予測された。家族のこともあり、またありがたいことに今井教授らから帰国を促されていたこともあり、結果的に3年間の留学となった。本帰国に際し、家族5人分のアエロフロート航空のエコノミー航空券を買って貯金が尽きた。現地での生活を安定させ、もし長期留学あるいは本格移住を決断していたらと考えることもあるが、IDACOとIDHOCOという国際共同研究2つに携わることができ、また共同研究に参画している世界各地の研究者達との知己を得、今も幅広い研究活動に従事できていることを本当にありがたく思う。

留学を終えた後に

帰国後、帝京大学の現講座(大久保孝義主任教授)に入職し、臨床疫学研究にも引き続き取り組んでいる。19年にはルーヴェン大学の客員教授を拝命し、同大学の寄宿舎に3カ月滞在した。この寄宿舎はベギンホフという、ユネスコの世界遺産となっている修道院を大学が活用しているもので、留学当時、一時滞在の研究者達が住んでいた場所に入居できたことが嬉しかった。ただ、帝京大学の本務も徐々に増え、この3カ月の間でさえ日欧を4往復せざるを得ないなど、もう自分だけの研究に何カ月も没頭することはできなくなっている。それでも、今できることもあろうと24年の夏、本学の冲永佳史理事長・学長らを案内する形でベルギーを訪問した。名誉教授となったJanとは、会うたびに公私にわたり交流、あるいは指導いただいているが、ここに経営・教育的な観点も加わり、これからの展開が楽しみだ。

疫学は人を対象とする研究分野であり、人がいる限り研究が続いていく。もちろん資金や人手など課題は尽きないが、大迫研究のように長年続く研究調査では、当初の対象者の子や孫から話を聞く機会も多い。これは、ベテラン開業医が患者さんを家族ぐるみで何世代も診ていく感覚に近いかも知れない。また国内外での共同研究は、相手先の大学や研究組織との、学生・教職員の人的交流の礎でもある。留学の縁を大切に、今後ますます社会に貢献して行きたいと期している。

▲ 2024年夏、Janと冲永理事長 (右端)、中田善規本学教授と。

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