災害時の医療継続と迅速な復旧を目指して
日本は災害大国である。2024年は、元日に能登半島地震が発生、激甚災害にも指定された。夏には南海トラフ巨大地震への注意を喚起する臨時情報が出された。奥能登豪雨も含め、異常気象がもたらす水害にも度々見舞われた。コロナ禍は喉元を過ぎたとは言え、新興感染症はいつもそこに在る脅威だ。加えて、医療機関を狙ったサイバー攻撃が相次いでいる。
こうした大災害への備えで要となるのが、BCP(事業継続計画)である。「Business Continuity Plan」の略称で、自然災害、事故、テロ、感染症の流行等、不測の緊急事態が発生した際に、組織がその重要な業務を中断する事無く、若しくは最小限の中断で速やかに復旧させる為に準備しておく計画を意味する。
BCPが世界的に注目を集めたのは、01年米国の同時多発テロに際して、BCPを策定済みの企業がいち早く再開した時だった。日本でも11年の東日本大震災後を切っ掛けとして、普及が進む事になった。
必要性が高まる一方で策定率に課題
医療機関については、災害拠点病院に於いて、BCP策定が義務付けられている。地域の中核的な医療機関であり、文字通り災害時には迅速な医療提供を行う役割を担う病院であり、非常時対応の体制整備は必須で、災害発生時にも医療機能を維持する為には、一般の医療機関との連携も求められる。
一般病院には、BCP策定の義務は無いものの、災害やパンデミックの有事に医療の継続性を確保する重要性から、国や自治体は策定を強く推奨している。厚生労働省では、18年から医療機関向けの「医療機関等における事業継続計画(BCP)策定ガイドライン」を公開しており、具体的な策定方法や対応手順についての指針を示している。それに先立ち17年度からBCP策定率向上の為、オンラインの研修も実施しており、有識者によるポイント解説も行われている。
同省によれば、全国に776施設在る災害拠点病院では全てがBCPを策定済みとされ、被害想定、災害時の優先業務、患者への対応方法等、多様な項目が盛り込まれている。しかし、一般病院では一向に策定が進んでおらず、18年12月時点で策定済みとしている病院は20%台に留まっていた。
策定に当たっては、独自に被災状況を想定しなくてはならない上、スキルやノウハウを持つスタッフがいない事も有る。その中で、例えば非常電源をどう確保するか、医師が少ない当直時間帯にどう対応するか等、難しい仮定の下で作業を強いられる事になる。更に、策定したBCPが実効性を確保出来ているかについて、国や専門機関がその内容を評価して担保する仕組みも無い。例えば、南海トラフ地震が発生すれば2階まで浸水すると想定されながらも、病院全体として意識が高められないまま、BCPが無いという病院も在る。
BCPの有用性は、能登半島地震でも明らかになっている。地域の中核病院が被災し、機能不全に陥る中でも、BCPにより乗り切った病院が在る。石川県七尾市の恵寿総合病院である。地域は、電気、水道等、ライフラインが途絶する等、大きな被害に見舞われた。同院でも、医療機器が倒れたり物が散乱したりした上に、エレベーターは停止し、職員は階段を使って患者を避難させなくてはならなかったという。それでも、2日未明に分娩に対応。緊急の手術にも、いち早く応じられる様になった。3日には自衛隊の給水車が駆け付けて水道管に応急処置を施し、6日に透析を再開した。4日には、全ての診療科の外来診療に於いて、例年通り仕事始めを迎えている。
07年の能登半島地震の経験も有るが、東日本大震災に於ける大津波の教訓を受けて、同院では、10年掛かりでBCPを強化して来た。液状化対策、建物の免震構造化を図った上で、災害時にもサーバー室が安全に保たれる様、上層階に移動させた。調理設備や水の供給が滞っても、県外業者から提供されたレトルト食品が迅速に配布される。こうした多重防護のアプローチが、速やかな医療の再開・継続に繋がった。
想定・計画・対策・訓練で実効性を確保
一般病院は、現時点ではBCP策定が義務化されていないとは言え、災害大国である事や感染症の脅威を鑑みれば、医療サービスの継続性を強化する為に、将来的に義務化される可能性も有る。災害やパンデミックに備えた計画を策定し、日常的に訓練や体制の確認を行うシステムを構築しなければならないだろう。
策定の手順を、順を追って見て行こう。先ず、BCP策定に於ける目的と方針の設定を、組織として明確にする。次に体制の構築の為、各部門から代表者を出して、緊急時対応の意思決定を行う災害対策本部を設置する。役割分担として、緊急時に於ける対応責任者、代行者、各部門の役割を明確化する。
難しいのが、リスク評価と影響分析だ。対象とする災害毎に発生頻度と影響度を評価して、優先的に対応すべきリスクを特定する。事業影響分析として、災害や緊急事態が発生した際に、各診療科や、救急、ICU、外来といった機能がどの程度影響を受けるかを分析し、回復の為の目標時間を設定する。診療活動の優先順位も決めなくてはならない。緊急時には、どの診療科やサービスを優先的に運営すべきか、又、入院患者や外来患者へのケアを維持する為の対応策を決定する。
続いて、資源の確保と代替手段を計画する。人的資源では、スタッフのローテーションや他の医療機関との協力体制を確立する。物的資源としては、必要な医薬品、医療機器、個人防護具等の備蓄計画を策定する。施設が使用不能になった場合に備え、代替となる他施設や移動可能な設備の利用計画も必要となる。
通信と情報管理も欠かせない。内部では、緊急時に於けるスタッフ間の連絡手段として、電話、無線、インターネットの回線等を確保する。又、外部通信として、地域住民、患者、保健所、消防、警察等の関係機関との連絡体制を構築する。更に、患者情報等の重要データが失われない様、バックアップ体制の強化が求められる。
計画が出来たら、実効性を確保する為にトレーニングをしなくてはならない。定期的な訓練をして、スタッフ全員が緊急時の役割を理解し、迅速に行動出来るようにしておく。又、災害シナリオに基づくシミュレーションを行い、BCPの有効性を確認して改善に繋げる。BCPは定期的に見直す必要が有る。組織の変更や新たなリスクに対応出来ているかを評価し、訓練や実際の緊急事態の経験に基づいて、計画の修正や改善を行う。
以上が基本的なステップだが、医療機関の特性やリソース、地域の状況に応じて、詳細な計画を策定する事が重要になって来る。
医療機関のBCPは、一般の組織に比べ考慮すべき点が多いのも特徴だ。先ず、患者の生命を守る責任が有る事から、命に直結するバックアップ電源の確保は最優先事項となる。感染症対策も重要で、院内感染を防止して、リスクに晒される医療従事者の安全も確保しなくてはならない。患者の避難とケアの継続については、病状の重い患者や生命維持が必要な患者についても検討を要する。更に非常時には、限られたリソースをどの患者に提供するかという倫理的な決定を迫られる可能性が有る。ICUや人工呼吸器が不足した場合、患者の優先順位をどうすべきかのガイドラインも必要になる。
南海トラフ地震は、今後30年以内に80%近い確率で起こるとされる。政府は被害想定を見直しているが、災害関連死だけでも東日本大震災の約4000人を大幅に上回る可能性が有る。平時にこそ、患者の生命を最優先に考えたBCPを検討し、スタッフやリソース、情報管理、地域連携の強化を図らねばならないだろう。
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