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未来の会

2030年・少子化に向けたビジョンを描く
~未来に花を咲かせ、選ばれる大学となる為に~

2030年・少子化に向けたビジョンを描く ~未来に花を咲かせ、選ばれる大学となる為に~
渡邉 善則(わたなべ・よしのり)1957年香川県生まれ。82年東邦大学医学部卒業。84年同第1外科学教室研究生。89年同胸部心臓血管外科学講座助手、97年同講師。2005年東邦大学医学部外科学講座(大森)心臓血管外科助教授(病院)。07年同准教授(病院)。11年同教授(病院)。12年学校法人東邦大学理事・評議員。東邦大学医学部外科学講座心臓血管外科学分野教授。18年東邦大学医学部長・医学研究科長。21年学校法人東邦大学評議員。22年東邦大学医学部特任教授。22年東邦大学名誉教授。24年東邦大学第11代学長。

帝国女子医学専門学校を起源とする東邦大学が来年、創立100周年を迎える。現在は「自然科学系総合大学」と銘打ち、医学部を始め、薬学部、理学部、看護学部、健康科学部の5学部を展開。100年の節目と2030年問題に向けて、その特性を最大化すると共に、独自性を追求し、時代の変化に伴うニーズに対応する為の新たなビジョンを構想している。今年7月に就任した渡邉善則学長に、現在の取り組みと意気込みを伺った。


——先生が医学を志した理由をお聞かせ下さい。

渡邉 実は私は、外傷性肝臓破裂の本邦初生存例です。9歳の時に、崖の上から飛び降りて腹部を杭に打ち付け受傷しました。丁度、済生会神奈川県病院の交通救急センターの開設式典の祝杯を挙げている最中に、1人目の患者として救急車で搬送されました。3回手術を受け、6カ月間入院しました。当時は高カロリー栄養が無く、十分な食事が摂れず低栄養で手足が細くなって寝たきり状態になりました。病室の窓からは手術棟が見え、私の執刀医が手術室から出て来てはパンを齧り、又手術室に入って行く姿をベッドの中からずっと眺めていました。大変な仕事ですが、自分もいつか医師になり、人を救いたいと思いました。退院時にはナースステーションで写真を撮って貰い、「将来の医学博士」とコメントを入れて頂きました。そういった経験から、外科医を志す様になりました。

——第11代学長に就任されました。どの様に選考されるのですか?

渡邉 6年前から全専任教員による選挙ではなく、学長候補者選考委員会による選考に変更されました。学長候補者選考委員会は医学部・薬学部・理学部・看護学部・健康科学部の5学部から代表者が選ばれ、病院長の3名を加えた23名で構成されます。医学部の優位性を避ける為、各学部から均等に委員を選出し、全学的な視点から全体を見渡せる人物を選出する体制です。選考された候補者は順位付けの上理事会に推薦され、理事会で学長予定者を決定します。——ある程度予測されていたのでしょうか?

渡邉 学長を目指していた訳ではありません。私は心臓外科医で現役時代は自宅にも殆ど帰らずに働き、定年を迎えたら東邦大学医学部の同級生でもある妻の内科クリニックを手伝うつもりでした。結婚当初、色々な意味で男性社会でしたから、私が大学に残り妻が開業という将来設計を立てていたのです。しかし「心臓血管外科教授、医学部長を経験したのだから大学に残り貢献すべきだろう」との炭山嘉伸・理事長からのお言葉も有り、22年に特任教授を拝命しました。私は心臓血管外科教授時代、医学部長時代から、常々周囲には「次世代に頑張って貰わねばならない」と話し、叱咤激励して来ました。5学部の先生方から推薦を受け、学長に立候補し、現在に至ります。未来への礎を築き次代に繋ぐ事が私の使命と考えます。

——前学長の高松研先生は慶應のご出身です。必ずしも生え抜きではない。

渡邉 高松先生は慶應義塾大学のご出身ですが、東邦大学出身で慶應に移籍した野口鉄也先生に師事したご経歴から、東邦人であるというお気持ちであると思います。本学は帝国女子医学専門学校が前身だったという事もあり、出身大学に拘らず穏やかで寛容な校風だと思います。私自身、学部長も学長も全て高松先生の後を引き継いで来ました。高松先生から学部の教育から大学全体の見方まで教わりましたので、出身大学に関係無く、ニュートラルな気持ちでいます。

——高松先生と同じく、任期は6年間になりますか。

渡邉 任期は3年間です。現在の規定は、68歳を超えると学長に立候補する事は出来ません。2期目の時には規定年齢を超えていますので、定款が改定されない限り続投は有りません。

学長の役割がコンダクターから責任者へ変化

——近年、大学のガバナンス改革に伴う学長のリーダーシップの強化が求められています。貴大学に於ける学長の機能や権限の範囲についてお教え下さい。

渡邉 10年程前から文部科学省より学長のガバナンスの強化を求められる様になりました。それ以前の学長は各学部を取り纏めるコンダクターであり、あくまで学部長権限が大きく、学長が陣頭指揮を執るという形ではありませんでした。それが高松学長の頃から学長権限が大きくなり、学部長が取り纏めた学部決定は学長の承認が必要となりました。所謂拒否権を持つ事になり、学長の責任は極めて大きいものと言えます。

——貴大学は医学部、薬学部、理学部、看護学部、健康科学部の5学部を擁しています。学部間の連携はどの様に取られていますか。

渡邉 本学では、各学部の教員や学生が一堂に会した学術会議やシンポジウム等を開催しています。学生実習では、教学のルールを全学部に共有する事で、互換性を持った学部教育を行っています。私が18年に医学部長になって間も無く、19年に新型コロナウイルス感染症の流行が始まりました。その時は高松先生のガバナンスの下、全学部で学生教育を含めて対策を行いました。医学部が中心となって全教職員・学生のコロナの検査等で、皆で協力し一致団結する気持ちがより強くなりましたね。コロナが恐ろしいものである事は間違いありませんが、大学全体が1つに纏まる大きな切っ掛けになりました。

——コロナ病床も数多く提供されたのですか。

渡邉 そこは炭山理事長を中心にかなり悩んだところです。コロナ専門にしてしまうと、地域での一般医療を提供出来なくなってしまいます。最終的には大学病院としての使命を考え、出来る限り感染者を受け入れながら、通常の診療を犠牲にしないという体制で臨みました。振り返ってみれば、本学の卒業生が活躍している地域医療機能推進機構(JCHO)の東京蒲田医療センターが積極的に受け入れた事も有り、大田区での役割が分担出来たと思っています。

——3つの大学病院との連携については如何ですか。

渡邉 学長の責務は、医学部の付属病院である3病院も含まれます。大学病院は教職員で成り立っていますので、大学がガバナンスを有する一方、経営面に関しては法人の管轄下に在ります。その為、理事長と学長が常に連携する事が理想ですが、その点、本学は非常に上手く連携が取れていると思います。病院長も法人の理事として経営に関わり、理事長、学長、学部長、その他の理事と共に、円滑な運営を行っています。又、大学病院の臨床系教員の任用評価には学長も主体的に参与し、良い人材を適正に評価して採用する事が出来ています。


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