福本 敏(ふくもと・さとし)
九州大学 歯学研究院 歯学部門 教授
留学先: National Institute of Dental and Craniofacial Research / National Institute of Health
(2000年10月〜02年9月)
国内留学を経て海外留学へ
長崎大学の歯学部を卒業後、小児歯科に入局しながら同大学の医学部腫瘍医学講座で研究を始めました。主任教授の珠玖洋先生にお願いし、当時助教授の古川鋼一先生のもとで糖転移酵素の研究を進めてきました。古川先生の名古屋大学医学部生化学第2講座の教授就任に伴い、国内留学で名古屋大学へ。歯科医師として歯に関する研究をやるべきではないかという思いと、最先端の糖鎖研究に関わるという充実感との狭間で、基礎研究を継続するのか臨床に進むのか悩んでおりました。
同じ頃、1996年にO型糖鎖を有する新規細胞外マトリックスが歯に特異的に発現していることをNational Institute of Dental and Craniofacial Research(NIDCR)/National Institute of Health(NIH)のYoshihiko Yamada先生の研究グループが発見し、Ameloblastinと命名されました。当時、これが私の留学を後押しする重要な研究になるとは思ってもいませんでした。
Yoshihiko Yamada 先生との出会い
長崎から名古屋大学に一緒に国内留学した先輩の宮崎宏先生が、先にNIDCR/NIHに留学されました。NIHはアメリカのメリーランド州(ワシントンDCの郊外)にある世界で最も規模の大きいライフサイエンスの研究機関であり、NIDCRはNIHの中でも3番目に古い部門になります。国内留学を終え、私は長崎大学に戻りましたが、歯の研究をしたいと思い、歯の発生研究で糖鎖に関連する研究室を模索していたところ、Ameloblastinにたどり着きました。
宮崎先生の留学先の2つ上のフロアにYamada先生がラボを構えていました。宮崎先生からラボの情報を聞き、Yamada先生に留学可能かどうかについて手紙を送りました。結果として客員研究員として留学が可能となり、2000年10月よりYamada先生のところでお世話になることができました。
Yamada先生は、II型コラーゲンやラミニンのクローニングや機能解析で有名でした。一方で、NIDCRという施設の特徴から歯の研究も行わなければならず、私はゲノムプロジェクトの後発としてNIHで行われていたオーラルゲノムプロジェクトに参画し、歯の発生研究を行うこととなりました。また、全く機能が未知であったAmeloblastinの遺伝子欠損マウスの解析にも関わることができました。留学初日に与えられた課題は、ある分子の発現ベクターの作成でした。与えられた課題を早く終わらせようと夜遅くまで実験し、1週間ほどで発現ベクターを作成したのですが、実はこの時、私の実力を試していたそうで、結果を見てAmeloblastin遺伝子欠損マウスの解析をさせようと思ったそうです。つまり名古屋大学で鍛えられた分子生物学的手法が役立ったわけです。
留学期間中に、Ameloblastin遺伝子欠損マウスとラミニンα5遺伝子欠損マウスの歯の表現系解析を行い完結することができました。Ameloblastinの論文は、最初Cell誌に投稿し、何度かのリバイスを繰り返しましたがacceptには至らず、Developmental Cell誌にならacceptにするとのコメントをいただきました。しかし、まだ創刊されていない姉妹誌は不安もあり、Yamada先生とも相談しScience誌に投稿し直しましたが、歯以外の表現系があれば掲載できるがそうでなければ難しいとのコメントがあり、また断念することになりました。その数カ月後に、骨の異常と腫瘍ができやすいという表現系を見つけることができたのですが、時すでに遅し。最終的にはJ Cell Biol誌に掲載され、その号のトピックスとして取り上げられ、表紙にも掲載されました。
助け合う仲間たち
NIHには多くの日本人がおり、当時は300人ほどがNIHで研究を行っていました。その多くがNIH周辺に住んでおり交流も盛んで、新しい留学生が来ると、家のセットアップから退去、空港への送迎まで、皆で助け合っていました。先輩の宮崎先生はもちろんのこと、Yamada先生のラボに私より1年前から留学されていた中村卓史先生にも大変お世話になり、安心したアメリカ生活を送ることができました。
Yamada先生のラボは、NIDCRの建物(Building30)の4階でしたが、このフロアには3つのラボが共存していました。マトリゲルの開発者でもあるHynda Kleinman先生、インテグリンで有名なKenneth M Yamada先生がおられましたので、ラボミーティングも3つのラボで一緒に行っており、困ったことを何でもすぐに聞けるこの環境は、アメリカでの研究の大きなメリットだと感じました。私の妻がKenneth M Yamada先生のラボに留学していたので、特にラボ間の交流は公私ともに盛んでした。01年9月10日に友人とともに、USオープンテニスの観戦とマイケル・ジャクソンのコンサートに行くためにニューヨークへ行ったのですが、翌日にアメリカを震撼させた9.11のテロがあり、これをきっかけに生活が大きく変化しました。それでも多くの仲間たちと情報交換しながら、助け合って生活することで、かけがえのない強い一体感と信頼関係を築くことになりました。
東日本大震災を経験して
帰国後は長崎大学に戻って講師となり、04年には九州大学の助教授、07年には東北大学の教授、19年から24年3月までは東北大学と九州大学教授を併任し、今年から九州大学専任で小児歯科の臨床と歯科に関連した研究を進めております。
Yamada先生とは、先生が19年12月16日にご病気で逝去されるまで共同研究を継続してきました。11年の東日本大震災後には、NIHの主任研究員であるOzato先生やYamada先生が中心となって、NIHによる復興支援の一環としてNIH-Tohoku University-JSPS Symposiumが開催されました。
その後もYamada先生は何度となく東北大学にお越しになり、研究スタッフや大学院生を励ましてくださいました。留学中には、「私がNIHでPIとなって投稿してきた全ての論文の、Journalからのコメントと対応の記録をあなたに引き継ぎます」と資料をくださいました。そして最後にお会いした時には、「これまでやってきた歯の研究は全てあなたに引き継ぐので、しっかり進めてください」と。
研究は、自分1人でできるものではなく、また多くの経験と積み重ねがなければ、新しいものを見出すことができません。研究を始めたばかりの時には、その方向性を示してくれる人がいなければ、暗い海に船を漕ぎ出すようなものかもしれません。東日本大震災で全ての研究試料を失った時も、多くの人が助けてくれました。留学は、様々なフィールドの人と新しい交流を作る上で大切な場であり、それが一生の繋がりであり絆になります。この絆と研究者人生の道標を示してくださいましたYamada先生に、この場を借りて感謝申し上げますとともに、御冥福をお祈りいたします。
LEAVE A REPLY