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第44回「精神医療ダークサイド」最新事情 朝日新聞も後押しした隔離収容政策

第44回「精神医療ダークサイド」最新事情 朝日新聞も後押しした隔離収容政策
10月1日に精神医療国賠訴訟判決

この記事が読者の目にふれる2024年10月1日、群馬県太田市に住む伊藤時男さんを原告とする精神医療国家賠償請求訴訟の判決が東京地裁で言い渡される。この裁判が地裁で終わるとは思えないが、非人道的な隔離収容政策を進めた国の責任を問う初の裁判であり、結果が注目される。

精神病院に約40年入院させられた伊藤さんのことは、この連載の第1回で紹介したが、改めてその人生を振り返っておこう。初の入院は16歳の時。継母との折り合いが悪く、家出した末にたどり着き働き始めた親戚の飲食店で、気分が著しく高揚したことがきっかけだった。

この異変の原因は、大人ぶりたくてガブ飲みしたビールと、その時たまたま飲んだ風邪薬だったのだが、親戚に連れて行かれた精神病院で、医師は事情を詳しく聞かぬまま入院させた。伊藤さんを厄介払いしたい親族の一部と、ベッドを埋めたい病院の思惑が一致した結果だったのかもしれない。この時の診断名ははっきりしないが、16歳にしてアルコール依存症とされた説が有力のようだ。滅茶苦茶である。

思春期に隔離収容という強烈なストレスに晒された。やがて「俺は皇室の血を引いている」と血統妄想らしきことを口走ると、精神分裂病(統合失調症)とされた。実は弟が生まれた時、その顔が皇室関係者と似ていたので「うちは皇族の家系かもしれない」と思ったことがある。幼少期のその記憶が、過酷なストレスから心を守るために蘇った。これは防衛的な反応と考えられ、了解不能な妄想ではない。だが、担当のヤブ精神科医には良識の欠片もなかった。

伊藤さんは東京都内の病院を経て、22歳の時に転院した福島の病院で約38年も収容され続けた。「一生懸命働いたら退院できる」と信じて、病院外の養鶏場などで長く働いたが、退院の日は来なかった。川柳の新聞投稿で入選を続けることで、なんとか自分を保った。もし福島第一原発事故による県外避難がなければ、今も福島の病院にいて、連続入院期間は50年を超えていただろう。

精神疾患の患者を病院に閉じ込める方策は、日本では1950年制定の精神衛生法を機に広まった。その際に国が力を入れたのは公立病院の整備ではなく、民間病院の乱造政策だった。民間精神病院の設置や運営に国庫補助を行うなどしたことで、精神病床数は53年の3万床から、65年には17万床へと急増した。

このような流れの中で起こったのが、ライシャワー事件(64年)だった。親日家としても知られた米国駐日大使のエドウィン・ライシャワーが、精神病院入院歴のある19歳の男性にナイフで脚を刺され重傷を負った。ちょうどこの時期は、日米安全保障条約の改定に反対する60年安保闘争が収束し、日米の関係強化が最重要課題となっていた。これに水を差す「変質者」は憎悪の対象となり、隔離先としての精神病床はますます増えていった(ピークは94年の36万床)。

事件直後の朝日新聞「天声人語」はこう書いている。「春先になると、精神病者や変質者の犯罪が急に増える。毎年のことだがこれが恐ろしい。危険人物を野放しにしておかないように、国家もその周囲の人ももっと気を配らねばならない」。

こうしたヒステリックな暴論に後押しされ、国は隔離収容政策を進めた。そして伊藤さんのような人たちまでもが、超長期入院の餌食になった。

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