昨今の相次ぐ未曾有の天災(地震、土砂災害、水害)や列車や飛行機等の大規模事故、新興感染症のパンデミック等により、国や地方自治体は防災・減災対策の見直し・強化を進めている。特に近年、重要性が高まっているのが、被災地で急性期から精神的ケア・サポートに介入し、中長期スパンで対応する専門チームの役割だ。厚生労働省では10年程前から大規模災害の発生時に被災地で精神保健医療ニーズに対応する専門性の高い災害派遣精神医療チーム「DPAT(Disaster Psychiatric Assistance Team:ディーパット)を組織し、班体制によるリレー形式の支援が継続的に行える様整備を進めている。
DPAT のチーム構成は、専門的な研修・訓練を受けた精神科の医師、看護師、業務調整員等3名以上から成る。中でも発災から48時間以内に被災地で活動を開始するチームは「先遣隊」と呼ばれており、その隊の医師は精神保健指定医に限る。先遣隊は、医療機関単位で組織されており、現時点では公立病院で多く、いち早く被災地に入って本部機能の立ち上げやニーズアセスメント(何処に何が必要なのかを評価する)、急性期の精神科医療の提供等、様々な役割を果たす。その後、必要に応じて都道府県が組織するDPATが現地入りし、数週間から数 カ月に亘り継続的サポートに当たるというのがリレー形式による支援の流れだ。
2024年元日に発生した能登半島地震でも、発災後の早い段階からDPAT先遣隊が被災地で活動した事でその役割が一般にも周知され、被災者のメンタルヘルスや支援者の精神的なサポート等、心のケアの重要性が再認識される事となった。
DPAT事務局を運営する日本精神科病院協会(日精協)の発表によると、石川県からの県外DPAT先遣隊の派遣要請を受け、1月31日迄に全国のDPAT先遣隊登録医療機関120施設(23年7月時点)から石川県を含む43都道府県より延べ116のDPAT先遣隊チームが被災地で活動に当たった。「石川県DPATチームは、調整本部や活動拠点本部に於いて被災地で活動するDPATの指揮や調整、関係機関との連絡や調整、被災情報の収集等を担当。県外のDPAT先遣隊は、各本部の業務支援や指揮所の運営、避難所の巡回による精神医療ニーズへの対応、精神科的な緊急性が高いケースの診察やトリアージ、支援者支援等の活動を行った。東日本大震災に於ける“こころのケアチーム”や熊本地震に於けるDPATの活動と比較しても、発災から2日以内の急性期の段階から多くのDPAT先遣隊が被災地で活動出来、派遣調整に於いても全国の医療機関や自治体の協力により、一定の成果を上げる事が出来た」という。
災害時の教訓が活かされるシステムを構築
これを受け、16年からマスメディア向けに開催されている日本精神神経学会主催の記者勉強会も、23回目となる今回は「災害派遣精神医療チーム(DPAT)の活動」をテーマに開催。登壇者の1人である筑波大学災害・地域精神医学准教授兼茨城県こころの医療センター医師の高橋晶氏は、「災害時の精神医療活動」と題し、DPATの活動意義と活動内容について講演した。その際、高橋医師は国内に災害派遣チームが発足された経緯についても言及。日本の災害医療の大きな転機となったのは、1995年1月に起きた大都市直下型地震「阪神淡路大震災」であるとして、次のように説明した。
「当時は国内には未だ救急時に動ける専門医療チームが無く、初期の医療対応が遅れた事で、平時と同等レベルの適切な急性期治療が行われていれば、“避けられた災害死”が500名近く有ったと言われています。これを防ぐ為に、大規模災害・事故の際に48時間以内に起動出来る災害派遣医療チーム『DMAT(Disaster Medical Assistance Team:ディーマット)』が組織され、2005年のJR福知山線脱線事故や11年の東日本大震災に対応しました。特に東日本大震災は津波で亡くなった方が多数おられ、突如として家や家族を失った中で寒く厳しい環境の避難所生活が続いた事で、心のケアや心の復興をサポートする体制の必要性が強く問われる契機となったのです」(高橋医師)
被災地となった岩手県、宮城県、福島県に“こころのケアチーム”が12年3月頃迄に計57チーム、延べ 3504人が派遣された。
「しかし、こころのケアチームは、様々な形態が有り、有志の精神科医を中心としたり、看護師中心であったり、様々なボランティアベースの医療・保健ユニットで、事前の専門的な訓練や準備がされていない事も有りました。又、混乱した状況で災害精神心理対応の調整が困難であり、現地で効率的なコーディネートが出来ず、避難所でのケアに偏りが生じたり、情報が一元化されない事で活動状況の把握が困難だったり、外部からの支援窓口が判り難かったりと、様々な指示系統の問題が生じました。更に、被災した精神科病院からの患者の搬送や人員・物資の支援も困難で、精神科医療機関や避難所等に於ける精神医療ニーズを把握し難い、行政と医療機関との連携も不十分である等の事が、後の検討会で今後の課題がまとめられ、研修体制や指示系統を整備した『DPAT』が13年に創設されたのです」 高橋医師は災害医療の歴史をこう振り返り、 DPATの存在意義を語った。
感染症の蔓延時にも対応を拡充
続いて登壇した神経科浜松病院兼藤田医科大学精神神経科学講座客員講師の福生泰久医師は、「DPAT活動と課題」と題し、過去の災害事例を中心にDPATの活動を振り返る発表を行った。
「この10年でDPATを全国に何処まで組織出来たのか、DPAT先遣隊の登録機関数で見ると、初年度の13年度は僅か11医療機関からスタートし、23年度には120医療機関まで増加。10年で約10倍に拡大しました。都道府県が組織するDPAT隊員数に関しては、17年度からの統計になりますが、1926名から5年間で4279名まで増加。DPATインストラクター制度という研修制度も出来た事で約2.2倍に増え、全国に網羅されて来ました」(福生医師)
又、当初から紙ベースで記載されていた診療記録は、共通の書式が無く、後続隊への引き継ぎ等の際に支障が生じていた。現在はDMAT等の他の支援チームと同じ書式で運用出来るよう、 厚生労働科学研究を通じて、精神保健医療版の書式を作成。心身一体となった運用が可能となり、更に、リアルタイムで必要なデータが提供出来るよう Webベースでアプリも用いた記録方法に変更され効率的な運用になった。
更に、大きな課題となっていた被災した精神科病院からの患者の搬送も、16年の熊本地震の際には発災直後から介入する事でクリア。患者の大量搬送が必要な医療機関12カ所の内、精神科病院は7カ所。転院搬送が必要な患者1417名の内、精神科の患者321名を県内の30病院に、274名を県外(九州4県)の36病院に、合計595名をDPATが転院搬送。当時、DPAT先遣隊の派遣は発災から「72時間以内」の活動とされていたが、この災害対応を機にDMATと同様、発災から「48時間以内」の活動に変更された。
加えて、20年に新型コロナウイルスの世界的パンデミックが勃発した事で、新興感染症への対応もDPAT活用要項に令和4年(2022)に追加され、昨年、先遣隊が災害感染症医療業務従事者として登録された。
「災害ではない初めての感染症対応で大きな戸惑いがありましたが、武漢からの全チャーター便による帰国者に対しストレスチェックを行い、必要に応じて迅速に介入出来ました。ダイヤモンド・プリンセス号では精神症状があるハイリスク者に早期診療を行い、薬剤治療や療養指導に入る事で船内での不安症状の軽減に貢献出来たと考えています。これにより感染症の蔓延時にも精神的に不安定になる方が一定数いる事が判り、今後、新たな感染症パンデミックが起きた際にDPATとしてどう介入して行くか検討を進めているところです」と福生医師は将来的な課題を語った。
災害の対応は想定外を如何に減らすかだという。次の10年を見据えた対策は、専門医療機関に限らず、マスメディアとしても各家庭でも日頃から考え備える時期に来ている。
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