令和6年度の診療報酬改定で、「生活習慣病療養計画書」の作成が義務づけられた。血圧や体重、食事、運動に関する目標や指導内容を記載する中で、患者の生活ぶりを改めて見直し、疑問を抱いているドクターもいるのではないか。
「これだけ必要性を話してるのに、どうして運動してくれないんだろう?時間はあるはずなのに」「まだ飲酒量を減らせず、タバコも続けてるのか。食事の摂りすぎもあるんだろう。これじゃいくらクスリを出しても血糖値が下がるわけがない」
この人たちは理解力が乏しいわけではない。特別に怠惰だったり開き直ったりしているようにも見えない。しかし、いくら説明しても不健康な生活習慣や健康リスクがある行動をやめない人を見ていると、主治医は「この人は健康になりたくないのだろうか」と不思議に思うだろう。実は最近の研究で、この人たちの中に、少なくない割合で「小児期逆境体験」の経験者がいることがわかってきた。
親から守られない、大事にされない子ども
小児期逆境体験とは、小児期や思春期に虐待や暴力、性加害、養育放棄などで、強い精神的・身体的ストレスを受け続けることを指す。明らかな暴力などでなくても、「家族の誰からも大事にされない」「家族同士の仲が悪い」「誰にも守ってもらえないと感じた」といった経験も逆境体験に含まれる。この小児期逆境体験は、その人が大人になってからのその心身の健康に暗い影を落とし続ける。そもそも、これを1998年にはじめて報告したフェリッティは、精神科医や小児科医ではなく肥満治療の専門クリニックの医師であった。
医学的アドバイスなどによる肥満治療から脱落した286名を対象にした調査で、フェリッティは驚くほど多くの患者が子ども時代にひどい経験をしていたことを発見した。そこで彼は、この人たちのシビアな体験の影響は大人になっても続くこと、肥満を招く過食はそのつらさの解決手段であること、などの仮設を立てる。
フェリッティは小児期逆境体験を7項目に分けて、ひとつでも当てはまれば「1」とカウントする簡単なスコアを作成したが(それぞれの項目について関心ある人は、ネットで検索してみてほしい)、スコアが6点以上(つまり7項目のうち6つあるいは7つを経験した人)は、寿命が平均より20年も短縮するという報告がある。またスコア4の人(子どもではなくて成人)は、スコア0の人に比べて、過度な肥満1.6倍、年に2週間以上のうつ気分4.6倍、アルコール依存7.4倍、心筋梗塞3.2倍、なんらかのがん2.2倍、慢性気管支炎または肺気腫3.9倍など、精神および身体疾病への罹患リスクのオッズ比が有意に上昇する。
親やその周囲の大人たちに守られたり肯定されたりせず、何かあったときにも頼ることが許されなかった。それどころか、親たちが暴力や性加害を行う脅威的な存在であった。子ども時代にそういう経験をした人は、たとえ大人になって自立したり自分の家庭を築くことができたりしても、一生の間、前述のような健康被害のリスクと隣り合わせで生きていかなければならないのだ。
どうしてそうなるのか、についてここでくわしく語る紙幅はないが、一言で言えば、彼らが不健康な生活を送り、健康リスクのある行動をやめられないのは、逆境体験によるストレスを振り払い、一時でも忘れるためである。また中には、肝心なところで心身がフリーズしてしまい、医師や教師などから「やりなさい」と言われたことも気軽に行うことができない人もいるのだ。
私は何も、内科などの先生に「小児期逆境体験を経験した患者を救ってやってほしい」と言いたいわけではない。この人たちに対する治療法はまだ精神医学の分野でも確立はしておらず、精神科医や臨床心理士は手探りで対応を続けている段階だ。
それよりも大切なのは、目の前のいくら説明しても生活習慣を改善してくれない患者に対し、ちょっとだけ「この人、子ども時代のストレスを抱えているのでは」という視点から見てほしい、ということだ。実は日本でも、3割以上が何らかの小児期逆境体験を経験している、という調査もある。犯罪レベルのできごとは少なくても、「親に守ってもらえてない」などと感じながら大きくなる子どもは、私たちが予想しているよりずっと多いのかもしれない。
逆境を生きた人に対してできることは
とはいえ、診察時間の中で過去の話をじっくり聞く必要はない。たとえば「生まれたのもこのあたりなんですか?」といった問いかけへの答え方だけからも、「もしかして逆境的な子ども時代であったのでは」と気づくことはできる。「そうなんですよ。このあたりもずいぶん変わっちゃって。昔はこのへんに小川が流れていて、父といっしょにザリガニ釣りをしたものです」となつかしそうに語り出す人は問題ないが、「いえ」とだけ答えて口をつぐんでしまったり表情が暗くなったりする人は要注意だ。
「ご両親は」などと水を向けると、すぐさま「父には本当にひどい目にあわされました」と語り出す人もいるかもしれない。そういうときは「そうだったんですね」と話をいったん受けとめてから、「また今度、時間があるときに聞かせてください」とさえぎってもよい。
「子ども時代に原因がありそう」とわかれば、アプローチの仕方も変わってくる。「このままどんどん体重が増えると心筋梗塞待ったなしですよ」といった脅しは逆効果なのは、あえて言うまでもないだろう。
それよりは、検査結果で少しでも改善された項目、本人なりにがんばったと思われる点などにスポットライトをあてるのがよい。「随時血糖はまだまだ高いですが、ヘモグロビンA1cは横ばいですね。あなたなりにこの1か月、工夫してくださったことがあるんじゃないですか?」といった声がけをすることで、その人は「子ども時代のように怒られると思った。でも先生はそうしなかった」と安堵し、「次はがんばろう」とやる気もわいてくるはずだ。
父親に殴られて育った60代のクミさんは、高血圧などがあり運動療法が必要なのだが、散歩に出るといまだに父親の怒鳴り声が聴こえてくる気がするという。近くにはスポーツジムもないのだが、ネットで探して語り口のおだやかなヨガのインストラクターの動画を見つけた。モニターの前の自分を見ているわけではないのだが、「そうです、それでいいですよー。無理せずに自分にあったペースでやりましょう」というインストラクターの声を聴いていると安心できる。クミさんには「すごい、良い動画を見つけられましたね。ほかの患者さんにも教えてあげます」とその発見は他の人たちの役にも立つ、価値あるものであることを伝えた。
何度言っても助言に従ってくれない。やれるはずなのに生活習慣を改善してくれない。そんな患者さんの背景には、高い確率で小児期逆境体験がひそんでいる。この人たちには脅しや強い口調での指導は、かえって逆効果。子ども時代のことを思い出して、「もう、あの病院に行くのはやめよう」と通院を中断する人もいるだろう。「この人も何かつらい思いをして、その結果、今があるかもしれないんだ」と思うだけで、こちらの表情も口調も変わってくる。ぜひ目の前の患者を「だらしない人」ではなくて、「命からがらたいへんな子ども時代を生き延びた人」として見る姿勢も身につけてほしいと思う。
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