挨拶
原田 義昭氏 「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)ゲノム医療に関しては日本が最先端を走っていると聞いていますので、今日は講演を楽しみにしています。政治の世界では、今、東京都知事選挙の真っ最中で、ポスター掲示板の在り方が議論されていますが、今後、改善が図られて行くと思います。注目されている選挙ですから、有権者の責任でしっかりとした都知事を選んで頂きたいと思います。
三ッ林 裕巳氏 「日本の医療の未来を考える会」国会議員団代表(衆議院議員、元内閣府副大臣)ゲノム医療については昨年6月、国民が良質で適切なゲノム医療を受けられる様、「ゲノム医療推進法」が議員立法で成立し、私も衆議院の厚生労働委員長として関わりました。政府の骨太方針にもゲノム医療が盛り込まれましたので、予算を確保した上で、国民が安心して恩恵を受けられる様、今後も十分な体制作りへの道筋を付けて行きたいと思っています。
古川 元久氏 「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(衆議院議員)私は2007年に施行された「がん対策基本法」に制定時から関わり、今も患者団体との議連で世話人等を務めています。近年、ゲノム医療が益々進歩していますが、パネル検査が行われるのは標準治療を行った後となっている為、患者団体からは「もっと早く検査を受けたい」との声も上がっています。ゲノム医療の活用が更に進む様、取り組んで行きます。
和田 政宗氏 「日本の医療の未来を考える会」国会議員団メンバー(参議院議員)私も家族や親戚をがんで亡くし、「がんは治る病気」になる事を願っています。私の政治の師でもある台湾の故・李登輝元総統は自身もがんを経験した事から、日本のがん治療への関心が高く、「台湾に導入したい」と仰っていました。福島県の南東北BNCT研究センターを視察した事も有ります。私達政治家もがん治療研究を支援して行く事が重要です。
尾尻 佳津典 「日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)2000年に「ヒトゲノム研究に関する基本原則」が作られてから、23年の長い月日を経て、昨年の通常国会で漸く「ゲノム医療法」が成立しました。ゲノム医療が益々発展して、私達が数多くの恩恵を得られる様期待しています。今回は、日本のゲノム医療を牽引する間野先生をお招きして、ゲノム医療の最新の成果について勉強したいと思います。
講演採録
■がんは遺伝病ではない
日本では嘗て脳卒中、心疾患、がんが3大死因と呼ばれていましたが、最近はがんだけが増え続けています。これは脳卒中や心疾患の治療効果が上がり、亡くなる方が減っているからです。日本では年間約100万人が新たに、がんと診断され、年間約40万人ががんで死亡しています。がんを理解するには、先ずゲノムや遺伝子を理解する事が必要です。
遺伝子を英語でgene(ジーン)と言いますが、これはタンパク質を作る単位の事で、ヒトは約2万3000個の遺伝子を持っています。その「ジーン」に、ギリシャ語の「総体」を表す接尾語、オムを付けて出来たのが「ゲノム」という言葉で、或る生物が持つ遺伝子全体を意味します。ゲノム医療では、単一の遺伝子だけでなく、何百個という遺伝子を調べて、患者それぞれに最適な治療法を選択します。
がんは、遺伝子の傷が溜まって起きる病気ですが、遺伝病ではありません。遺伝病と「遺伝子異常によって起きる病気」は明確に区別する必要が有ります。人が生まれる時、精子と卵子が受精した受精卵から1人の体の全ての細胞が出来上がります。つまり、遺伝子異常が精子や卵子に無いと遺伝病にはなりません。がんは精子や卵子に起きる病気ではなく、それ以外の体細胞、例えば肝臓や胃、肺等の臓器のゲノムに、喫煙や過度の飲酒等によって後天的に傷が出来て起きる病気です。つまり、がんは体細胞のゲノムの後天的変異による疾患であり、遺伝子が原因で生じるが、遺伝病では無いというのが基本原則です。
一方で米国の女優、アンジェリーナ・ジョリーさんが予防的に正常な乳房と卵巣を摘出する手術を受けて、話題になった事が有りました。彼女はがんが遺伝した訳ではないのですが、がんになり易い性質が遺伝していました。ジョリーさんはBRCA1という遺伝子に異常が有り、DNAの傷を修復する能力が低下し、乳がんや卵巣がんになり易い状態でした。その為、予防的にがんになり易い臓器を切除したのです。私達の体の中では、DNAが毎日、様々な傷を受け、それを日々治しています。しかし、中にはDNAの傷を治す能力が生まれついての遺伝子異常によって低下している事が有り、例えばBRCA1やBRCA2遺伝子異常だと乳がんや卵巣がんになり易い、或いはMSH2等の遺伝子異常が有ると、リンチ症候群と言って大腸がんや胃がんになり易い事が知られています。
こうした遺伝病と遺伝子の後天的異常の違いは、基本的なリテラシーとして中学の保健の授業等で教えるべきだと思います。
■原因遺伝子の阻害薬が劇的な効果
我々のゲノムには、細胞を増やすという機能を持った遺伝子群が存在しますが、それは、極僅かで数百個、全体の数%です。外部から増殖の指令となる刺激を細胞表面のタンパク質が受け取ると、増殖専用の遺伝子に伝えます。そこから次々とリレーする様にして刺激を細胞核まで伝え、細胞分裂がスタートします。ところが或る時、そのリレーする遺伝子の1つが、刺激が届いていないのに常に増殖のシグナルを核に送り続ける様になります。これによって細胞が無限に増殖し始めるとがんが発生します。この原因は、ゲノムの傷による変異です。但し、増殖専用の遺伝子の1つにこうした変異が起こる確率は実は天文学的に少ないのです。
これ迄のがん治療薬は、この増殖部隊遺伝子をゲノム異常に関わらず抑えるもので、余り効果が有りませんでした。しかし、がんの原因となっている活性化遺伝子の機能を抑える事が出来れば治療効果が上がる筈だと考え、実際の患者のサンプルから、発がん原因となる遺伝子を探し始めました。
そうして見つかったのがEML4-ALKという遺伝子です。EML4とALKという遺伝子は全く別の遺伝子で、通常は2番染色体上で、互いに反対向きに並んでいます。ところが、肺がんの一部でEML4とALKの間で染色体が切れ、逆さに繋がっている事が分かりました。この様な染色体の構造異常でがんが起きるのは、当時、白血病等の血液の疾患では知られていましたが一般のがんには無いと思われていました。しかもALKは細胞を増やす酵素で、EML4と繋がると酵素活性が数百倍にも増え、直接発がんを促す様になります。実験で、EML4-ALKを肺で産生するネズミを作ってみたところ、ネズミには生まれた時から肺腺がんが有りました。更にこのネズミにALKの活性化を阻害する薬を飲ませると、肺がんが消えたのです。この研究から、本質的な発がん原因を特定し、その働きをブロックすれば、がんを治療出来る事が分かりました。
この成果を07年に発表して1年位した頃、たまたま米国の29歳の男性がん患者のブログを見つけました。末期の肺がんだった彼は、ハーバード大学のALK阻害剤の治験に参加して劇的な回復を見せていました。彼は煙草も吸った事が無いのに肺がんになり、化学療法も全く効いていませんでした。そんな時、日本で発見されたEML4-ALKが自分の肺がんに見つかり、ALK阻害剤の臨床試験に参加して劇的な効果を得たのです。
数日後、日本肺癌学会の講演で彼のブログを紹介すると、その日の夜に大阪の医師から「彼に似た患者がいるので、EML4-ALKが有るか調べてもらえないか」というメールが届きました。患者の痰を送って貰い調べてみると、EML4-ALK陽性でした。そこでハーバード大学の知人の医師に治験を受けられないか相談したところ、ソウル大学でも治験をしている事が分かり、最終的にはソウル大学で受け入れて貰えました。
その患者は28歳の男性で、1分間に6リットルの酸素吸入が必要で、心臓の周りのリンパ節が腫れて食道を圧迫し、食べ物が喉を通らないという状態でした。治療は08年11月から始まり、ALK阻害剤のクリゾチニブが投与されました。1カ月後に韓国を訪れると、何と酸素吸入の必要が無くなり、毎日外出して病院の周りを散歩していると言うのです。患者のがんの本質的な原因を見つけ、それを抑える薬を作る事が出来れば劇的な治療効果が得られるという最初の仮説の正しさと、奇跡的な治療効果を目の当たりにした瞬間でした。
一方で、日本の研究者が日本の研究費で、日本人の患者から見つけた原因遺伝子なのに、日本人の患者が国内で恩恵を受けられないのはあまりにアンフェアだと考え、出来るだけの事をして患者を救おうという思いを抱いて帰国しました。
それからEML4-ALKをボランティアで診断するスクリーニングネットワーク「ALK-Lung Cancer Study Group(ALCAS)」を作り、陽性の患者が出次第ソウル大学に送り出す活動を始めました。1000人位の患者を診断した内50人位が陽性で、その半分がソウルに行きましたが、奏功率は100%でした。その後、日本でも臨床試験が始まりましたが、クリゾチニブの臨床試験の奏効率は約6割でした。中には肺がんが心臓に浸潤し、心臓と心外膜の間に水が溜まった患者もいたのですが、ALK阻害剤を飲んで治癒しました。この様に鮮やかな有効性が確認され、間もなくALK活性阻害剤は承認されました。米国での承認は、私達の論文発表から4年後の11年。12年には日本でも承認されました。
その後、私達はEML4-ALKがクリゾチニブへの耐性を獲得するメカニズムも明らかにしました。耐性の原因は、EML4-ALKの中でのアミノ酸の置換でした。耐性が生じ難い第2世代のALK阻害剤の開発が始まり、現在では中外製薬やノバルティスファーマの薬が世界中で広く承認されています。これらの薬はよく効き、奏効率93.5%というデータも有ります。
又、ALKの融合は他のがんでも数多く見つかり、肺がんやリンパ腫、腎臓がん等の一部はALK融合遺伝子によって起きている事が分かりました。そこで、ALK異常によって起きるがんを「ALKoma」と呼ぶ事を提唱しました。ALK異常によるがんの治療にはALK阻害剤が有効です。又、私達は肺腺がんの患者からROS1遺伝子やRET遺伝子の融合も発見しました。つまり、同じ肺腺がんでも、原因遺伝子が異なるがんが有るという事です。こうしたがんにもそれぞれの遺伝子の阻害剤が有効です。
■世界の先頭を行く日本のゲノム医療研究
遺伝子を1度に何百個も調べる検査をがん遺伝子パネル検査と言い、日本では自由診療で行なわれていました。更に、検査を行っているのは殆どが海外の企業で、日本人のゲノム情報が海外に流出していました。そういった状況を受けて、日本でもゲノム医療に積極的に取り組んで行こうという事になりました。17年に「がんゲノム医療推進コンソーシアム懇談会」が開催され、2つの事が決まりました。1つは「がんゲノム医療病院ネットワーク」の立ち上げです。全国11の大学病院等を中核拠点病院とし、連携病院と協力してゲノム医療を進める。現在は、全国264病院でゲノム医療が行われています。もう1つは、ゲノム医療のデータを国内で保全するデータベース作りです。日本の研究者や企業、世界の企業が公正にデータを使える様にし、がん医療の進化をサポートするのが目的です。
今では、日本のゲノム医療は世界で最も進んだ体制を構築しました。世界中の国が、日本に倣ってこのシステムを導入したいと考えています。現在日本では、パネル検査を行うと、ゲノム情報と臨床情報ががんゲノム情報管理センター(C-CAT)に送られ、データが保管されます。C-CATはそのデータを元に1人ひとりに合った保険適用の薬や臨床試験の薬等のリストをC-CAT調査結果として各病院に返送します。
19年にスタートしたC-CATには、既に約7万人のデータが集まりました。肺がん4000例、すい臓がん1万例、軟部組織がん2900例等、多くのデータが有り、その利活用も始まっています。24年6月の時点では、製薬会社を含む94の課題の調査・研究に情報を提供しています。これによって、日本は世界で最も臨床試験が行い易い国になりました。データは希少がんの治験にも利用されています。これがドラッグラグやドラッグロス等の課題を乗り越える日本の最大の武器になる筈です。
質疑応答
尾尻 がんは遺伝病ではないという事に驚きました。C-CATの知的財産権はどうされているのでしょう。
間野 稀にBRCAの異常でがんになり易い家系も有る他、飲酒や喫煙等ががんの原因となる事は有りますが、今は日本人の約半数ががんになると考えれば、殆どの人ががんの家系だとも言えます。又、C-CATについては、一切の知的財産権を放棄しています。多くの人に利用して貰い、がん医療の進歩に役立てて頂きたいと考えています。
竜崇正・医療法人社団健勝会浦安ふじみクリニック院長 膵がんの治療に関して、C-CATを利用した研究ではどの様な見通しでしょうか。
間野 C-CATには、標準治療が効かない難治性がんの患者のデータが集まっていて、すい臓がんのデータも数多く集まっています。それを見ると、乳がんの原因にもなるBRCA2の異常が関係している事が分かって来ました。この為、乳がん治療に使われる薬が効く事も有ります。
織本健司・医療法人社団健齢会ふれあい東戸塚ホスピタル病院長 ALKの融合タンパク質を使った実験のデータを紹介されていましたが、アミノ酸置換でALKを活性化した場合も、やはりがんが出来るのでしょうか。又、パネル検査で遺伝子の変異が複数見つかった場合、どの様な治療を行うのか、標準的な手順等は有りますか。
間野 アミノ酸置換と遺伝子融合でALKが活性化される場合では、活性の強さが違います。融合遺伝子で活性化すると、殆ど間違いなく直ぐにがんが出来て、ALK阻害剤が劇的に効きます。しかし活性化する力が弱いと、他の要因も重なってがんが出来る為、ALKを抑えただけでは有効ではない可能性が有ります。遺伝子の変異が複数見つかった場合の対処は重要な問題で、乳がんでは原因となる遺伝子異常が、2〜3つ見つかる事も有ります。その場合は、がんがそれぞれのがん遺伝子に、どれ位依存しているのかを確認し、依存性の強いものからターゲットにして行くべきだと思います。但しこれは、基礎実験によって依存性に関する知見が固まって行かないと、科学的な判断は難しいかも知れません。
関川浩司・社会医療法人財団石心会第二川崎幸クリニック院長 がんの再発を防ぐアジュバントにも、ゲノム研究は今後貢献するのでしょうか。
間野 ゲノム医療の一種でリキッドバイオプシーという診断手法が有ります。末梢血の中を流れている腫瘍から出てきたDNAを計測し、その多さによってアジュバントの効果を予測しますが、これについてのデータも蓄積しつつあります。データが蓄積するとスタンダードな治療方針が確立されると思いますし、それにはゲノム医療の情報が不可欠になる筈です。
荏原太・医療法人すこやか高田中央病院糖尿病・代謝内科診療部長・教育企画管理部長 がんが遺伝病では無い事を中学校から教えるべきとの事ですが、ヘルスリテラシーの取り組みについてお考えになっている事は有りますか。
間野 がんゲノム医療が保険診療になっている事を考えれば、がんになり易い素因が遺伝する事は有っても、がんそのものは遺伝しないという事は、国民全員が知っておくべきだと思います。そうでなければ、不確かな情報に振り回されてしまう。文部科学省にも働き掛けているのですが、「体細胞変異」と「遺伝子変異」の違い位は、易しい言葉で子供に教えるべきです。又、世界のトップである日本のゲノム医療体制については、医学部や薬学部、看護学部の学生に教えるべきで、それによって日本での臨床試験が盛んになって行くのだと思います。
頴川晋・東京慈恵会医科大学悪性腫瘍リキッドバイオプシー応用探索講座教授 ALKomaの様に劇的な治療薬が有る腫瘍は他にも有るでしょうか。又、C-CATのカウンターパートとなるシステムは海外に在るのでしょうか。
間野 ALKやROS1の様な強いがん遺伝子の場合、変異が比較的少ないので、阻害剤が完全なファーストチョイスになります。しかし、弱いがん遺伝子の場合、多くの変異が見つかる為、どの様な治療を優先するかは、基礎実験の結果を基に、これから順番を決めて行かなければなりません。C-CATについては、日本の様なデータベースを持っている国は他に有りません。米国にはがん学会の研究の為の大きなデータベースが有り、韓国やフランスにも小規模なデータベースが有りますが、日本とは全く異なります。何故なら、日本のデータベースは標準医療に組み込まれていて、全国の患者のデータが万遍無く集められているからです。こうしたデータベースは日本にしかなく、イギリスやフランス、デンマーク、東南アジアからも引き合いが有ります。個人的には、日本のゲノム医療システムを海外が導入する事も有るのではないでしょうか? 日本を中心に国際的な臨床試験を進めて行けます。その様な時代も夢ではないと思っています。
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