同じリスク因子でも疾患により影響度は様々
「酒とタバコは程々に」。古くから様々な病気の注意喚起に、よくこう言われて来た。だが、最近はどちらが体により大きな弊害をもたらすのか科学的に分かって来た疾患も有る。例えば、未だ特効薬が無い「認知症」もその1つだ。脳神経治療に詳しい或る医師によると、「認知症に関しては酒とタバコ、どちらも発症リスクを上げるが、特に注意が必要なのは酒の方」だと言う。
認知症は病名ではなく、記憶や判断力の低下で生活に支障を来す状態を指す。主な原因は脳内血管の老化や神経の萎縮で、認知症の約7割を占めるのが「アルツハイマー型」。所謂アルツハイマー病は、脳に2つの特殊なタンパク質(アミロイドβとタウ)が長期に亘り蓄積される事で前述の萎縮が起こる。ブレイクスルーとなる新薬の開発は世界中で行われているが、依然として根治薬の登場には至らず、現行の標準治療では限界が有る。その為、長寿大国・日本で認知症とどう付き合って行くかは、重要且つ切実なテーマとなっている。研究も盛んに行われており、「薬に頼るだけではなく、日常生活の中で病気の進行を遅らせる、あるいは未病の段階で食い止める事が必要」という観点も重要視されている。
飲酒習慣は「認知症」の脳を萎縮させる
前出の医師はこう話す。「患者さんの中には『3度の飯よりタバコと酒が日々の楽しみ』という方もいらっしゃるのですが、認知症に関しては特にアルコールが悪影響を及ぼします。元気な時の晩酌は問題ありませんが、自分で物忘れが気になり始めたら毎日呑む事は控えるのが懸命でしょう。アルコールは脳に直接ダメージを与え、記憶に関わる神経伝達物質の働きを低下させると科学的に解明されて来たからです」
しかも、1度の深酒よりも、たとえ少量でも〈毎日呑む〉という習慣行為の方が脳に弊害を及ぼす事も明らかになって来た。
「飲酒の習慣は脳細胞の萎縮を着実に進めます。アルコールを分解する肝臓にとっては酒の過剰摂取が〝呑み過ぎ〟となりますが、脳にとっては少量でも〈毎日の飲酒〉が呑み過ぎになるという事です。『最近、どうも物忘れが気になる』という段階でアルコールを控えれば、脳機能が改善するというデータは数多く報告されています」(前出医師)
一方、認知症の発症との関連性が数年前に発表された事で、世界的に注目度が高い「歯周病」も又、酒やタバコとの因果関係が強い。〈アルコールを呑むと顔が赤くなる〉という人は、多くの重篤な全身疾患を引き寄せる「歯周病」の発症リスクが高く、悪化するリスクも高い事が分かっている。だが、歯周病治療の臨床・研究の専門家によると、「歯周病のリスク因子は、酒以上にタバコ」だと言う。詳細を聞く前に、歯周病について少し補足しておこう。
歯周病はとかく〝中高年層が歯を失う病気〟と思われがちだ。しかし、実際は口腔内の悪玉菌(歯周病菌)が原因の感染症の為、年齢は関係無く子供から大人まで誰でも罹患する。しかも進行すると、いずれ歯が無くなるだけではない。認知症や生活習慣病、心筋梗塞、脳卒中、がん、誤嚥性肺炎、骨粗鬆症等、挙げれば切りが無い程、様々な全身疾患への影響が明らかになって来た隠れた国民病でもあるのだ。
何故歯周病が全身疾患を引き起こすのかというメカニズムは幾つか報告されているものの、紙幅の都合上、「歯周病菌に含まれる炎症性物質による慢性炎症」について簡単に触れるに留めたい。前出の歯科医は次の様に話す。
「〈歯茎から血が出るのは歯周病のサイン〉と言うのは、多くの方がご存じでしょう。歯茎から出血すると、歯周病菌は口腔内に留まらず、歯茎の毛細血管から血流に乗って全身を巡ります。この際、歯周病菌に含まれる炎症性物質に刺激された自己免疫が様々な臓器で活発な炎症反応を起こし、慢性的な炎症となります。これが多くの全身疾患の発症に繋がっているのです」
嘗ては歯周病と全身疾患の因果関係は漠然としたものだった。しかし、発症メカニズムが解明されて来た事で、近年は歯周病の人は歯周病でない人よりも「脳梗塞のリスクが2・8倍高く膵臓がんの発症リスクは1・6倍、早産のリスクは7倍も高い」といったデータが出て来ている。更に、歯周病の人は「太り易くメタボにもなり易い、高齢者の死因になり得る誤嚥性肺炎を誘発する、新型コロナウイルス感染症が重症化し易い」といった報告も有る。
タバコは「歯周病」の最大の敵
この様に歯周病が様々な全身疾患を引き寄せる諸悪の根源のような顔を持つ事が見えたところで、酒とタバコの話に戻ろう。
「〈歯周病になりたくなければ、タバコを吸う人に近付くな〉と言われる程、喫煙が歯周病に害をなすのは専門家の間では常識です。自分はタバコを吸わなくても家族や職場の人が吸う場合は受動喫煙となり、喫煙者と同様に歯周病の発症リスクは上がります。しかもタバコの火を消してから1時間程度は、喫煙した人の口から様々なタバコの有害物質が出続けています。もしその人が歯周病なら、この間にキスをすると、お相手は歯周病菌と一緒にタバコの有害物質もダイレクトに貰ってしまう事になるのです」(前出歯科医)
更に、タバコには歯周病菌の働きを二重にも三重にもサポートする作用も有る事が明らかになっている。以下、5つのポイントに纏めた。
①歯茎から出血しなくなる——タバコを吸う度に有害物質(ニコチン)が歯茎の毛細血管を収縮し、歯茎に届く血流量が減る事で「歯茎からの出血」という一番分かり易い歯周病の自覚症状が無くなる。歯周病の進行に気付かない為、重症化し易くなるのだ。歯周病菌は血液中のタンパク質と鉄分を栄養源に増殖する為、本来は歯茎からの出血が無いのは良い事であるにも拘らず、そのメリットを帳消しにしてしまう程、タバコの有害物質は歯茎を弱らせるという。
② 歯茎が脆くなり、歯が抜け易くなる——血液は栄養と酸素を運ぶ役割を持つ。だが喫煙すると、タバコに含まれる有害物質(一酸化炭素)によって酸素が歯茎まで十分に届かなくなる。歯茎に血液も酸素も行き渡らないという状態が長く続けば、口腔内の免疫が下がり、歯茎は更に脆弱化して歯が抜け易い状態に陥って行く。③歯周病の治療をしても効果が出難い——タバコを吸う人は、歯科で定期的にメンテナンスを受けていても、その効果はタバコを吸わない人の5〜6割程、重度の歯周病で行う手術も治癒率は約4割と、かなり低い。脆くなっている歯茎に歯周病を悪化させる恐れの有る金属を埋め込むと歯周病のリスクは更に上がる為、「インプラントの治療も歯周病の喫煙者には御法度」と言う。「何百万円も掛けて入れたところで、数年と持たないケースが殆どです」(前出歯科医)④歯の磨き残しが剥がれ難くなる——歯周病の原因となるプラーク(口腔内の常在菌とその産生物からなる沈着物)が口腔内に長時間留まると、膜の様になり「バイオフィルム」と呼ばれる。タバコの有害物質には、このバイオフィルムを剥がれ難くする作用も有る。剥がれ難いから蓄積し易く、硬く高密度になるという負のループが形成される為、喫煙者のバイオフィルムはタバコを吸わない人よりも厚みが増し、緻密になると言う。毎日の歯磨きでは落ちない汚れの膜を口腔内のあちこちに作ってしまう事も歯周病を進行させる要因の1つだ。⑤歯周病菌に栄養を補給する——タバコに含まれる有害物質は歯周病菌の栄養源にもなっている。タバコを吸う度に歯周病菌にエネルギーが補給され、悪性度の高いバイオフィルムが出来上がる事になる。これが歯周病の最大のリスク因子たる所以だという。
人生を取るか、酒を取るか、タバコを取るか——。価値観は人それぞれだが、何を選ぶかでその人の10年後は全く違うものになる筈だ。
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