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未来の会

ゲノム編集が拓くダウン症候群の治療開発

ゲノム編集が拓くダウン症候群の治療開発

iPS細胞との融合が導くブレークスルー

1866年、英国の内科医Downは、新生児に見られる先天性疾患を、独立した疾患として初めて報告した。1959年にはフランスのLejeuneらにより、染色体異常がその原因である事が突き止められ、独立した症候群として認められた。近年、妊娠女性の高年齢化が進む一方で、新生児医療の発達により患児の生存率が向上し、平均寿命が伸びる等、ダウン症候群を巡る変化が著しい。大阪大学では、日本発のiPS細胞(人工多能性幹細胞)とゲノム編集技術という最新技術の組み合わせにより、病態の解明から治療法開発に繋げようという取り組みが本格化している。

ダウン症候群を取り巻く環境の変化

ヒトの、23対46本の染色体は減数分裂により精子と卵子で半減し、受精により数が回復する。21番染色体は本来2本(ダイソミー)で、それが1本多い3本(トリソミー)である事により生じるダウン症候群は、染色体異常の中で最も多い。染色体異常の多くは流産となるが、21番染色体は最も短い事から、影響を免れて出生に至るケースも多い。

2013年から日本でも、染色体トリソミーを出生前に検出する為、無侵襲的出生前遺伝学的検査(Non-invasive Prenatal genetic Testing; NIPT)が実施される様になった。1990年代半ばに導入された母体血清マーカー検査と比べて、NIPTは感度・特異度とも高い遺伝学的検査で、2022年から実施施設の要件が緩和され、35歳以上という年齢制限も撤廃された。但し偽陽性も有り得るので、最終的な診断の為には羊水染色体査が必要となる。又、出生前診断が出来ても治療法は無い為、ダウン症候群と確定された人の妊娠中断率は86.9%に達する。“生命の選択”という課題が突き付けられる。

ダウン症候群は約700人に1人と頻度が高く、尚増加傾向にある。先天性心疾患や知的発達障害等、多様な合併症が問題となる。これらを引き起こすのが、21番染色体がトリソミーになった為に発現する染色体異常症だ。例えば、21番染色体上に在る遺伝子の1つであるAPP(アミロイドβ前駆体タンパク質)が有り、家族性アルツハイマー病の原因遺伝子として知られる。APPの発現量の増加により、ダウン症候群では高率且つ40歳以降という若年の内からアルツハイマー型認知症を発症する。

ダウン症候群は先天性疾患の代表で、出生時に心臓や消化管に障害が生じるが、その医療的管理は周知される様になっている。嘗ては短命とされたが、周産期管理と外科手術の技術が進化した事で、出生直後の死亡率は大幅に低下し、平均寿命は60歳を超える迄になった。これは、小児からの移行期、成人期、更には老年期迄、ライフステージを見渡して、医療体制を整えて行く必要が有るという意味でもある。

一方、最も重要な合併症とされる知的発達症(知的障害)は、抜本的な治療法が無い上、脳の何処に問題が有るのかさえ長らく不明だった。そこへ、iPS細胞とゲノム編集の組み合わせがブレークスルーをもたらしつつある。

明らかになる疾患のメカニズムと治療への可能性

治療法開発には、先ず疾患のメカニズムを解明する必要が有る。ヒトの脳組織は、ほぼ同量の神経細胞とアストロサイトから構成されるが、ダウン症候群では神経細胞が少なく、アストロサイトは通常の2倍以上存在する。アストロサイトは神経の病態形成と密接に関係する。アルツハイマー病の発症にも重要な役割を果たしており、ダウン症候群の平均寿命が伸びると共に、その90%以上がアルツハイマー病に罹患する事も問題となっている、又、ダウン症候群の知的障害は、1つの遺伝子の変化だけに伴う単一遺伝子疾患でなく、21番染色体の330個の遺伝子の内、変化を生じる組み合わせ等も重要である。

これらを明らかにしようと、大阪大学小児科の北畠康司教授らのグループでは、1人のダウン症候群児の臍帯血から疾患特異的iPS細胞を作製。更にアストロサイトへと分化誘導した。この結果、ダウン症候群では、アストロサイト前駆細胞の段階から増殖が著しく速く、原因は21番染色体上の2つの遺伝子、DYRK1AとPIGPであると同定した。研究成果は、『Community Biology』誌、21年6月14日号に掲載された。

ダウン症候群に特有な21番染色体がトリソミーの場合と、ダイソミーの場合の差異を比較する事が検討された。ここで他の個体の健常細胞を対照群として用いると、配列に違いが生じた場合、それがトリソミーに起因するのか個体差なのかを区別出来ない。そこで、21番染色体がトリソミーであるだけで、それ以外は遺伝的背景が同じ細胞と比較する事を考えた。

ダウン症候群由来の特異的iPS細胞から、ゲノム編集技術により21番染色体を1本だけを除去する、即ちダウン症候群重要領域だけを欠失させる改変が施された。21番染色体を、ダイソミーへ自由に変化させる改変技術を確立したのだ。その後、両者の比較から、16年にダウン症候群のiPS細胞由来の血球で見られる異常の原因遺伝子の絞り込みに成功している。

ダウン症候群の知的障害克服に向けての展望

更に知的障害の解明の為、ダウン症候群患者由来のiPS細胞を、神経細胞とアストロサイトへと分化誘導した。両者を共に培養すると、ダウン症候群ではアストロサイトが異常に増殖していた。アストロサイトは神経細胞に対して保護的に働く筈だが、炎症性サイトカインの過剰分泌が生じた為に、逆に神経細胞のアポトーシスが誘導されていた。この原因遺伝子として突き止められたのが、DYRK1Aである。DYRK1Aが過剰発現すると、神経前駆細胞の増殖が抑制されていた。DYRK1A遺伝子は、数が増えて活性が上がると神経前駆細胞の増殖を妨げ、一方でアストロサイト前駆細胞の増殖を上げる。2つの重要な役割を持つ因子で、これを標的とした治療の可能性が有望視された。

ダウン症候群に於ける知的障害の原因は、正常では2コピー存在するDYRK1A遺伝子が、3コピーと過剰になっている事だ。一方で、DYRK1A遺伝子が1コピーしか無い事で起こる疾患もあり、重度の知的障害、小頭症、自閉症スペクトラム等を発症する。DYRK1A阻害剤を用いると、この遺伝子の作用が低下し過ぎて障害を招く。DYRK1A遺伝子を正常に作用させるには、1つだけをノックアウトして2コピーにしなくてはならないのだ。in vitroの実験では、3つの内1つを欠失させると、アストロサイトの増殖が正常に戻る事を確認。正確にDYRK1A遺伝子にコピーにする事が知的障害の治療になると見られ、ダウン症候群のモデルマウスを用いた実験の準備が進められている。

ここでは、遺伝子を自由自在に操作出来るゲノム編集技術の進歩が有用で、とりわけ、大阪大学発のベンチャー・C4Uが開発した、国産技術であるCRISPR-Cas3が効いて来る。米国の研究者らが開発したCRISPR-Cas9の発見は、簡便性が革命をもたらし、20年のノーベル化学賞に繋がった。ゲノム編集は、DNA配列へと導くガイド役のRNAと、DNAを切断するハサミであるCas酵素を組み合わせたシステムである。遺伝子の一部を改変し、疾患の原因となる遺伝子の修正が出来る。課題としては、標的とする遺伝子とは異なる箇所を編集してしまうオフターゲットが有る。認識出来る塩基配列の数はCRISPR-Cas9が20なのに対して、CRISPR-Cas3は27塩基と多く、オフターゲットが起き難いとされる。又、CRISPR-Cas9はDNAの2本鎖を同時に切断するが、CRISPR-Cas3は2本鎖を解いて別々に切断する為、大規模な編集を行う事が出来る。遺伝子の特定箇所を編集出来る他、遺伝子をノックアウトして特定の機能を欠失させられる。このCRISPR-Cas3を、脳室内に届けるベクターの開発も必須である。

治療のタイミングも重要であり、胎児期は、DYRK1A遺伝子の影響で、神経幹細胞から過剰なアストロサイトを発現する時期で、最も望ましいのではないかと検討されている。一方、出生後の治療でも有用な可能性も有る。

未だ超えるべき壁は多いが、ダウン症候群の神経細胞に於けるDYRK1Aの調節を通じて、知的障害が改善される日を期待したい。

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