原田 義昭氏 「日本の医療の未来を考える会」最高顧問(元環境大臣、弁護士)本日はオックスフォード大学の副学長を務めるロジャー・グッドマン教授をお招きしました。この勉強会も発足から、ほぼ毎月1回定期的に開催し、今回が78回目となりました。外国から講師をお招きするのは2回目です。日本と英国の文化等の違いを踏まえ、大学の改革や医療制度についてご講演頂けるとの事ですので、しっかり勉強したいと思います。
尾尻 佳津典 「日本の医療の未来を考える会」代表(『集中』発行人)本日はロジャー教授に、日本の医療制度やオックスフォード大学がNo.1の大学である秘訣についてお話し頂きます。ロジャー教授は約1年日本で調査をされて来ましたが、今夏に帰国し、取材結果をまとめた著書を出版されます。教授は「日本の医療制医療制度は素晴らしい」と仰っておられますが、どの様に日本の医療を見ているのかをお聞きしたいと思います。
講演採録
■硬直化していた学内体制
オックスフォード大学は900年もの間、世界のトップクラスの大学で在り続けています。特に医学分野では、様々なランキングに於いて13年間もNo.1です。何故医学分野で競争力が高いのかと言えば、25年前にオックスフォード大学でビッグバンと呼ばれる大きな変化が起こったのが理由です。2000年代以前、オックスフォードとケンブリッジは最も民主的な運営体制を取っている大学でした。運営統治者は毎年、全ての教授が参加する大学総会で、経営協議会のメンバー24人が教授による選挙によって毎年選ばれていました。そして、経営協議会が全ての財務を司り、引いては大学の意思決定を担う、とても中央集権的なシステムでもありました。
しかし、こうしたシステムによって、教員や学生の意欲や動機付けの低下が起きました。2000年代迄、予算の分配は過去実績とインフレ率に基づいて毎年決定されていました。外部から研究者が莫大な研究費を持ち込んでも、大学運営側によって研究費が一旦吸い上げられ、全学科に再分配される為、自分の手元に残りませんでした。研究の推進や学生の確保に努め、多くの学生を集めても、メリットが無ければ消極的にならざるを得ません。そして、奇妙な事に研究室が広ければ広い程、多くの予算が分配されていました。この為、教授らは毎年、より広いスペースの必要性を主張する様になりました。これでは、精力的に活動する意欲や動機が低下した状態に陥ってしまいます。この様な状況の下、大学は既存の研究プロジェクトを中断する事が出来なくなり、新たな研究を推進する事に否定的になりました。
1990年代、私は経営協議会の一員でしたが、大学は硬直して何も新しい活動を行っていませんでした。そこで、ピーター・ノース学長は1994年、ノース調査委員会と呼ばれる改革委員会を発足させ、新たな運営モデルの検討を始めました。委員の半数はケンブリッジ大学、インペリアル大学等学外から招かれました。著名な経済学者や数学者も含まれ、私はこの2人が改革方針に最も影響を与えたのではないかと思っています。委員会は3年後に、オックスフォード大学の新たな原理原則を打ち立てました。これが後にビッグバンと呼ばれる、新たな予算管理システムでした。
■予算管理を改め、学部の裁量権を認める
新たに予算管理システムが導入されたのは、2000年です。そのシステムには「原収入部門使用の原則」「分権予算制」「各部局は大学中央からサービスを好きなだけ購入出来る」の3つの原則が有りました。「原収入部門使用の原則」とは、収入には明確な理由が有り、収入を得た学部が、本来の目的に沿って使用すべきだという事です。これによって収入は直接各部門に入る事になりました。「分権予算制」は各部門が自らの収支に責任を持つという事です。もし、利益が得られれば、それは自分達のものになり、損失が生じれば穴埋めしなければなりません。新たなポストを埋められなければ、契約を断念しなければなりません。「各部局は大学中央からサービスを好きなだけ購入出来る」というのは、学部・学科は大学中枢から受けるサービスの量を自由に決められ、学内のサービスに満足出来なければ、民間業者から購入しても良いと言う事です。つまり自由競争を導入した訳で、この変革によって、大学中央のサービスが劇的に変わりました。学科が何かを購入しようと考えると、直ぐに向こうからやって来てくれる様になったのです。そうしなければ、大学中央は収入を得られません。そして、サービスの運営には、2つの重要な要素が必要になりました。1つは財務面の透明性です。財務情報への信頼が無ければならない。そこで古い財務チームが一掃され、新しい財務担当者が採用されました。財務レポートのシステムも導入され、全てが透明化されました。2つ目は、各部門の業務を管理する教員のマネジメント力の教育・強化です。大規模なトレーニングプログラムが導入されました。
又、大学の規模が大き過ぎる為、学科を医学、社会科学、人文科学、数理・物理・生命科学の4部門に再編しました。私は、約1000人の教授が在籍し、経営学や法学、教育学、公共政策等の学部・学科が在る社会科学部門の責任者を10年間務めましたが、こうした改革により4部門はそれぞれ独立し、予算は各部門が完全にコントロールする様になりました。
これにより各部門はどの様に収入を増やせばいいのかを考える様になりました。例えば、大学運営側のパフォーマンスマネージメントプロセス評価(REF)によって、6年毎に政府から研究資金が交付されるので、パフォーマンスを向上させる事で収入を増やせます。更により競争力の高い研究プロジェクトの推進も重要です。又、院生の学費を各部門で自由に決められ、慈善団体や卒業生から義援金も得られる様になりました。そこで、全ての学部が義援金を募りました。研究をスピンアウトしたり、講演会議を行ったり、スペースを貸し出したり、エグゼクティブ教育を行ったりして収入を得るという事も始まりました。これらは「Sweat Assets(汗を流す資産)」と呼ばれています。
こうした改革の結果、予想通り研究収入が増えました。現在では大学の収入の67%は研究によるものが占めています。2000年当時は25%でした。
研究収入が増えると、雇用形態も変わりました。研究収入は3〜5年のショートタームなので、正規雇用から有期雇用へとシフトして行きました。2000年代には殆どの職員が正規雇用でしたが、現在は有期契約が79%となりました。又、約10年後、院生の総数が2倍になりました。これは大学中央に院生を増やすという意図が有った訳ではなく、研究に対する意欲・動機に関わる仕組みが変わり、各部門が自由に物事を決められる様になった為、院生の数が増えたのです。
経費の計上も変わりました。これ迄経費は大学中央から割り当てられるものでしたが、施設の管理費等の経費を予算の中から大学中央に支払わなければならなくなりました。すると、各学部・学科は広すぎるスペースを返す事を望む様になりました。そして、予算の用途もそれぞれの部門で異なる様になり、学術的なポストの獲得に充てたり、奨学金や図書館の資金等に充てたりする様になりました。最も興味深いのは給与で、学部は教授の給与を自由に決める事が可能になりました。法学や開発学等いくつかの学部では、教授の給与を固定する一方、経営学部は、世界の教授ランキングの順位に応じて決める事にしました。この様に、各学部が独自の文化を築いて行ったのです。
そして、教授らに対しアカデミアのマネジメント力を教育しなければなりませんでした。例えばセンシティブで複雑な男女平等についての考え方や振る舞い等です。各学部の学部長が財務や人的資源の統率について1年間トレーニングプログラムを受け、学生の事は顧客と見なし、同僚に対しては対等の立場で接する事を学びました。
■異常な程行き届いた日本の医療
この様な改革に取り組んだ経験を踏まえ、日本の医療をどう見るのかと言う点について、お話しします。日本のヘルスケアシステムは世界でもトップクラスです。英国とは2点異なる特徴が有ると思います。健康面では、日本の平均寿命は長く、乳児死亡率や傷病による労働損失は低い水準です。健康管理システムでは、健康診断料が安く、国民皆保険には所得連動型の保険料が導入され、貧富に関係なく、誰でも平等に同等の医療が受けられます。これは素晴らしい事です。更に診察を受ける迄、何日も待たされる事は殆ど有りません。これらは全て日本人には当たり前ですが、英国人から見ると本当に素晴らしい。しかし、異常とも言える程です。
2つ例を挙げます。私が坐骨神経痛で治療を受けた時の事ですが、先ず内科医院へ行くと「内科ではなく、整形外科に行った方が良いですね」とアドバイスされました。そして、そのまま整形外科に行くと、新規患者として12分後に医師の問診を受け、レントゲンを撮りました。5分後、医師に呼ばれ「加齢によって椎間板が動いている」と説明を受けると、ステロイド注射と電気治療等を受け、処方箋を貰って医院を出ました。医院に入ってから出る迄1時間8分でした。その後、向かいの薬局で薬を受け取る迄5分です。治療費や薬代も安い。しかし、その後、毎日電気治療を受けましたが、5週間経っても痛みが続きます。そこで、医師は「MRIを受けましょう」と言いました。
英国のGP(かかりつけ医)2人に一連の流れを話すと、彼らは「英国では問診迄に3日掛かり、鎮痛剤を処方して1週間経過を確認し、未だ痛む場合はレントゲンを撮る。レントゲンは1週間の予約待ち。レントゲン結果を病院から医師へ送付し、再度医師の問診を受けて結果を確認し、コンサルタント(専門医)を予約する」と口を揃えました。コンサルタントでは日本と同じ治療を受けられますが、上手く行って8〜10週間待ちが現状です。そして、英国では、直ぐに病院へ行かず、自然治癒するのを待つのが普通です。又、私がめまいで受診した時の事です。大学の保健センターへ行くと、直ぐにMRI検査室へ送られ、1時間後「異常無し」と伝えられました。そこで、首の専門家の下へ送られ、2回目のMRIを受けると「恐らく耳が原因でしょう」と言われ、耳鼻科に行き、ようやく耳石が原因だと判明しました。医師によると「5〜6週間で自然治癒する」との事でした。一方、英国では耳石は定期的に診察して貰え、見つかっても「自然に治りますよ」と言われます。
日英を比べると、第1に日本の医療は検査が多い。MRIの検査件数はOECD加盟国平均の5倍です。第2に医師の問診頻度はOECD平均の2倍です。一方で、医師の数はOECD平均の0.7倍。従って日本の医師1人が問診する患者数はOECD平均の3倍となります。診療に対して課金される制度となっている為、病院は治療と称して毎月の診察を勧めます。より多くの検査や治療、処方を行い、手術を勧めます。逆に英国では、診察の待ち時間や高い診療費を嫌って、患者は医療を受ける意欲に乏しく、医師も積極的に治療を勧めません。
■生き残りに懸命な同族経営
日本の医療システムで他に特徴的なのは、同族経営の病院の多さです。国外から見るととても興味深い。日本の病院の7〜8割は民間経営で、その内75%は同族経営です。同族経営の病院は異彩を放っていますが、これ迄研究された事が有りませんでした。
日本では同族経営に関する文化が根付いています。同族経営では次世代へ経営を引き継ぐ事が最優先事項で、経営を引き継ぐ為に行われる養子縁組は非常に興味深く感じます。日本では年間8万件もの養子縁組の事例が有りますが、血縁に絶対的な重きを置く中国や韓国では、この様な継承方法は見られません。養子縁組は医療法人のマネジメントや文化、習慣に大きな影響を与えました。私は、日本の社会福祉法人や大学法人の同族経営についての著書を出版しています。子供の数が激減した際、同族経営での養護施設では、児童虐待への意識を社会に芽生えさせて養護する児童を増やし、同族経営の大学では、学生数や職員数、学費等を削減して生き残る例を取材しました。同族経営の医療法人ではどうでしょうか。私は、医療法人も存続すると思います。何故なら、同族経営の医療法人は、一族の為に生き残らなければならないからです。24年6月に生活習慣病の診療報酬が大幅に引き下げられますが、病院側は検査や診察回数を増やす事で対応するでしょう。何故なら生き残らなければならないからです。これは当然のリアクションです。
日本の医療システムは細分化され過ぎていると批判を受ける事が有ります。病院数は8000以上、診療所は10万を超えており、患者は病院を選べ、複数の医師による受診が可能です。クリニックが気に入らなければ他へ行けば良い。そして、同じ検査や診察を受けても奇妙な事に保険が利きます。一方、医療設備等の質や効果については、居住地域、受診する医師の数等で差が生じます。何故高知県には埼玉県の2倍の医師がいるのか。地域によって健康管理システムが異なれば、結果も別のものになる筈です。特に都会では、病院は競争に晒されます。患者に選ばれる為、どの病院もMRIを置くのは当然です。そして、競争によって医療サービスの質やレベルは向上します。
英国では、大規模かつ中央集権的な医療システムNHSが有り、欧州で最大の雇用を生み出しています。そのシステムの中では、個人や各部門に、与えられた以上の仕事をして役割を果たす意欲は無く、動機付けの仕組みも有りません。NHSは2000年代以前のオックスフォード大学に似ています。硬直化して変わる事も出来ません。古い慣習を捨てられず、新しいものを導入出来ない。しかし、日本のシステムは英国のシステムより、強いインセンティブと管理構造を持っています。日本人はよく「NHSから何を学べますか」と聞きますが、逆に我々こそが日本のヘルスケアシステムから学ぶべきです。競争の有る日本の医療システムは大変素晴らしいものです。
質疑応答
尾尻 大学のランキングを気にしていますか。
グッドマン 全く興味が無い振りをしていても、非常に気にしています。只、そこには大きな問題が有り、No.1になると何も変えられなくなる。何故なら、周囲から「何故変える必要が有るのか。今、No.1なのに」と言われるからです。しかし、それは5年前、10年前にやった事の結果であり、今、改革をしなければ、いずれNo.1の座から転落してしまいます。
本田宏・NPO法人医療制度研究会理事長 日本の医療費のコスト管理が素晴らしいとの話でしたが、日本ではその為に医師の数を抑制している。実際、臨床現場で医師が疲弊し、研究論文の数も減っているのが実状です。こうした点をどう見ますか。
グッドマン 東大病院の医師からも話を聞きましたが、労働環境の酷さに驚きました。ごく軽症の患者を始め、1日に大勢の患者を診なければならない。それなのに給料が低い。中には他の病院と掛け持ちで働いている人もいる。それでは研究どころではありません。しかし、この様な状況の中でも、日本の医師は素晴らしい研究をしていると思います。
土屋了介・公益財団法人ときわ会顧問 ビッグバンの改革は、株式会社の経営に近いものだとすると、米国の大学の様に特許料収入が増えたのでしょうか。又、日本の医療は平均寿命が長く、乳幼児の死亡率が低いとしてWHOからも評価されています。只、これは日本の母子手帳による管理や、進んだ公衆衛生によるところが大きいと思っています。
グッドマン 最初は文科系を中心に「我々は学者だ、お金に興味は無い」と新たなモデルを拒絶する教授もいましたが、医学部や経済学部、政治学の教授らは直ぐに、自由がもたらされ、意欲が向上するものと理解しました。次第に多くの人が新たな事が出来る様になると理解し、受け入れました。特許の収入は現在、大学の収入の約15%以上です。最も有名なのは、オックスフォード大学が開発したアストラゼネカの新型コロナワクチンです。他の会社が25ドルのところ、先進国へは3ドル、発展途上国へはほぼ無料で提供しました。稼ぐ事より世界中の最高の研究者を惹き付ける事を優先しました。日本の医療と、母子手帳や優れた公衆衛生といった点との関係は分かりません。只、日本は検査をし過ぎると思います。例えばMRIで病気が見つかっても、それを治せるとは限らない。私は英国で1度もMRIを受けた事が無いし、今後も受ける事は無いでしょう。しかし、日本では7カ月の滞在中に3回もMRI検査を受けました。却って不安に駆られ、自分は病気だと思ってしまいました。
駒形朋子・東京女子医科大学看護学部准教授 私達の大学も長い歴史が有り、硬直化している様に感じます。多くのスタッフが環境の変化や改善を望んでいますが、どうすればビッグバンを起こせるのでしょうか。
グッドマン 最初にこれが始まった時にはビッグバンとは呼ばれていませんでした。大変革と呼ばれる様になったのはそれから10年後です。当初は組織再編成と呼ばれ、予算システムについても、ただ変えようという程度でした。しかし、徐々にシステムが変わる事で、突然収入が増え始め、教授らは「研究費が増えた」と喜び、多くの院生を雇用出来る様になった。決して最初から「ビッグバン」と呼ばれた訳ではありませんでした。
葦沢龍人・地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター保険指導専門部長 先生が患者個人の立場から見た時に、英国と日本の医療のどちらを受けたいと感じられるのでしょうか。
グッドマン 患者の立場で考えれば、明らかに日本です。整形外科を受診した時は1時間で診てもらえ、治療費も安かった。英国のNHSを無料だと思っている人もいるかも知れませんが、1回2000円程度掛かります。しかし、この素晴らしい医療制度を、どうすれば次世代へ引き継げるのか私には分かりません。劇的な改革が必要ではないでしょうか。
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