3%の医師を待つ300人以上の待機患者
ユニセフとWHOの調査によれば、世界の児童及び青年の内、約20%が何らかの精神障害を抱えているという。更に昨今のコロナ禍では、休校や外出機会の減少に伴い、スマホ等の使用時間の増加等が見られたが、子供のメンタルヘルスに及ぼす影響が懸念されており、その予防策が強く求められている。
日本の精神科医療は「児童思春期」と「成人期」がある。児童思春期専門の医師(以下、児童精神科医)は子供の精神疾患に於いてキーパーソンとなるが、その存在は深刻に不足している。和歌山県では、障害児を持つ保護者らが児童精神科医療の体制充実を求め、又岐阜大学では子供の心に携わる医師や専門家の養成機関の早期設立を求め、其々署名活動等を行っている。
子供のメンタルヘルス事情と児童精神科ニーズ
2023年10月に文部科学省が公表した資料では、小中学生の不登校が過去最多の約30万人、中学生に至っては20人に1人が不登校であるという結果になった。又、子供の自殺は512人、児童虐待の対応件数も約21万件と、何れも過去最多を更新しており、子供のメンタルヘルス事情は深刻な状況に陥っている。
文部科学省は不登校の増加要因について、ここ数年のあらゆる制限によって生じた交友関係の変化から登校意欲が湧き難くなった為だと分析しており、自殺や虐待についても、コロナ禍での生活が親子関係の不和や学業、進学に関する不安を増幅させた事等を挙げ、これら3つの問題が深刻化した要因をコロナの弊害とする見方を強めている。
特にコロナ禍では子供の摂食障害の増加が見られ、聖マリアンナ医科大学の発表によれば、外部との交流が減り1人の時間が増加した事や、日常生活のタイムテーブルが無くなり「縛られない事の不安=指標の喪失」が大きくなった事等が、患者の増加に繋がったと考えられている。
日本精神神経学会の10年以上に亘る研究では、摂食障害患者の予後は約80%が寛解又は改善しているが、13%は慢性化し、9%が死亡という結果になっている。摂食障害は医療機関の早期介入が重要となるが、児童精神科医が不足している上に特定分野の専門医を見つけるとなると、治療開始迄に時間が掛かる。その結果、早期介入が困難となり、成人期に受診する頃には既に慢性化、難治化し、治療期間が長期化するという悪循環に陥る。
児童精神科医の需要と不足
摂食障害に限らず、児童精神科医の不足は子供の精神疾患全般に共通する課題だ。児童精神科医は不登校、自殺、虐待等の問題に介入するケースも多く、その役割は幅広い。
例えば児童精神科を持つ駒木野病院の報告によると、不登校は学校生活や家庭内問題、虐待等の外的要因だけではなく、起立性調節障害等の身体疾患、統合失調症やうつ病等の精神疾患、注意欠陥多動性障害や自閉症スペクトラム等の発達障害等の内的要因が関係している場合も有るとしている。これらの直接的な原因を早期に特定し、解決を図る為にも児童精神科医の存在は不可欠となる。
しかし児童精神科医の数は561名(24年4月現在、精神科医全体の約3%)と不足している現状から、児童精神科の初診待機日数は3カ月〜10カ月という例も有り、約4割の医療機関で50人〜300人以上の待機者がいるとの結果も有る。高需要でありながら児童精神科医が不足しているのは何故か。
多くの専門医を育成して来た国立国際医療研究センター国府台病院は23年10月、小倉將信・内閣府特命担当大臣との意見交換会に於いてエビデンスに基づく政策立案(EBPM)として『子どものメンタルヘルスの現状とEBPM』をこども家庭庁に提出。専門医不足を招く一因として児童精神科医になる迄の長いキャリア問題について指摘している。
児童精神科医になる為には、医学部を卒業後、2年間の臨床研修と精神科及び小児科で3年以上の実務経験を経て精神保健指定医資格を取得することが望まれる。しかし、児童精神科は女性医師が全体の65%を占めている為、この期間が結婚や出産等のライフイベントと重なる事や、男女共に医局には属さず開業医となるケースも多い事等から、所謂児童精神科医の数は一向に増えず、高まる患者ニーズに応え難い状況となっているのだ。
又、同EBPMでは今後予定される「子どものメンタルヘルス向上に向けたナッジ事業」にも触れ、これ迄課題となっていた専門家の育成や医師の業務過多問題、母子保健・教育・司法・児童福祉領域との連携、統計システムの不統一等の課題を解決するべく、児童精神科医や心理士、ソーシャルワーカー、看護師等の専門職の養成や、医師負担軽減のための専門家同士の連携強化、既存の児童精神科医療に於ける診療情報データの蓄積、医療や福祉各所との情報統合等を実行する事を提案している。
しかし医師の育成については、特化した予算が無く個々の病院の運営状況に左右されてしまう事、児童精神科医の養成機関となる施設が38カ所のみとなっている事等から、医師以外の専門家を増やしチーム体制にて医師不足をカバーする旨を補足している。
医師不足の解消に向けた養成機関の展開
日本小児心身医学会、日本小児精神神経学会、日本児童青年精神医学会、日本思春期青年期精神医学会の4学会が共同し「子どもの心の専門制度委員会」として14年に設立した、一般社団法人子どものこころ専門医機構では現在、41都道府県で小児系・精神系合わせて84の研修施設郡を連ねているが、その数は未だ潤沢とは言えない。
一例として、先のEBPMを提出した国立国際医療研究センター国府台病院の取り組みを見てみよう。同院は児童精神科として長い歴史が有り、現在は医学生や研修医の他にも心理系の大学院生等を対象にあらゆるセミナーや講習会を実施している。児童精神科医の不足を解消する為、22年から子どものこころ専門医機構が定める「子どものこころ専門医」の資格取得に向けたコースを設け、同院にてレジデントと呼ばれる後期臨床研修を受ける際には、同資格の取得に向けた3年間の研修も同時にスタートさせる事が出来るという。
研修プログラム「児童精神科コース」は、児童精神科医として各地で独立した活動が出来る事を目標としており、児童精神科医療の基本知識や臨床医としての実践的な診療技能を習得し、日本児童青年精神医学会認定医等の資格取得を支援する、国内有数の実績を持つ研修コースである。この様に、日本全体に目を向けた養成機関が各地に展開されれば児童精神科医の不足も解消し、子供の精神疾患を早期発見・治療に繋げる事が出来る他、疾患に移行する前段階で食い止める「精神疾患の予防医療」の発展も期待が出来る。
児童期から精神疾患を患うと、医療費だけではなく20歳以降に受給可能な障害年金が支給される可能性も有り、医療費予算が含まれる社会保障関係費を更に圧迫する事も懸念される。そして、子供の精神疾患が長期化しそのまま成人期に入ると、社会との隔絶が長く続き、引きこもり状態となる恐れも有る。それは、超高齢社会にある現在の日本では、8050問題を拡大、加速化させることにもなり得る。
未来を担う子供達が健やかに過ごせる社会を実現する為に、今後児童精神科医療領域に於ける協力体制、専門医育成機関の充実、又、医師の児童精神科への転科を望める様な柔軟な受け入れ態勢の拡充が待たれる。
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