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未来の会

iPS細胞を用いた心筋再生医療の現在地

iPS細胞を用いた心筋再生医療の現在地
日本が先陣を切った心筋シートの実用化への道筋とは

2007年、京都大学の山中伸弥氏が、ヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立を発表して16年余り。12年には山中氏がノーベル賞生理学・医学賞を受賞すると、世界中でiPS細胞由来の医薬品の開発が加速された。大阪大学発のスタートアップ企業であるクオリプスは、24年中にもiPS細胞から作製した心筋シートについて厚生労働省に製造販売承認の申請を予定しており、認められれば、iPS細胞の実用化に af於いて日本が先陣を切る事になる。

再生医療を進展させた医師主導治験

皮膚や血液由来のiPS細胞から、体を構成する様々な種類の細胞に分化させる技術が確立する中で、14年には、iPS細胞を用いた臨床研究が世界で初めて実施された。理化学研究所等のチームが、網膜の難病である加齢黄斑変性の患者に対して、iPS細胞由来の細胞を移植する手術を実施した。18年には神経難病であるパーキンソン病の治験が京都大学でスタート。19年には阪大で、角膜上皮幹細胞疲弊症の患者に角膜組織の移植手術を行う等、続々と研究が始まっている。

今回の心筋シートは、大阪大学名誉教授で心臓血管外科医である澤芳樹氏(現・大阪警察病院院長)の技術を核とするもので、重症心不全に対してiPS細胞由来の心筋シートを移植する医師主導治験は、19年から実施されている。

重症の心不全を根治するには、現状では心臓移植しかないが、慢性的にドナーが不足しており、治療を受けられない場合が少なくない。澤氏は、外科治療では叶わない心不全の克服に長らく取り組んでおり、心筋再生治療の開発に於いても20年以上の歩みが有る。

先ず、自己筋芽細胞シートを用いた再生医療を試みた。これは、患者自身の大腿内側広筋から骨格筋を採取して筋芽細胞を単離培養し、直径約4cmのシート状に加工したものだ。作製には、東京女子医科大学の岡野光夫氏らが長年手掛けて来た細胞シート工学の技術が応用されている。

岡野氏らは1999年から、心筋細胞を3次元的に構築し、自律拍動能を有する心筋組織を創生する研究を、ラットを用いて行っている。心筋組織体である細胞シートは、温度応答性を持つポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)(PNIPAM)を塗布した特殊な培養皿を用いて作製される。37℃の状態ではPNIPAMは疎水性であり細胞と接着するが、温度を21℃に落とすとPNIPAMが親水性となり、細胞と接着しなくなる。37℃の条件下で細胞を培養し、細胞が増殖して組織体となった時点で培養温度を落とせば、細胞を組織体のまま回収出来る。これを培養皿外で重ね合わせ、より厚い組織体を作製するこのシート化により、細胞生着率を高める事が出来る。

澤氏らは、前臨床試験により、心機能の回復と有害事象が無い事を確認。2007年には、補助人工心臓を装着して1年間移植を待機していた拡張型心筋症の患者を装置から離脱させる事に成功した。その後、50例以上の臨床研究を実施した結果を踏まえて、テルモ社が虚血性心筋症に対する企業治験を実施した。15年には、心不全に対する再生医療製品として早期承認を得て、世界初の心不全に対する再生医療製品「ハートシート®」として市販化された。自己細胞を用いた再生医療法は、倫理性を担保しながら、患者に受け入れられていてる。しかし、自己細胞には、細胞の不均一性や緊急時に使用出来ないといった欠点も有り、他家細胞を用いた再生医療製品も待望されている。

澤氏らは08年から山中氏との共同研究によりiPS由来心筋細胞シートに開発に着手しており、大型動物の心不全モデルを用いて、Proof of Conceptを検証した。同様のシート工学技術でiPS細胞由来心筋細胞シートを作製し、レシピエント心臓と同期して拍動し、心機能の改善を報告した。又、iPS細胞由来の心筋細胞シートからは、アンジオポエチンやVEGF、HGFを始めとしたサイトカインが分泌されて、移植した臓器に血管新生を起こし、血流の改善が起こる事も示して来た。大型放射光施設(SPring-8)の高輝度放射光を用いたイメージングでは、iPS細胞由来の心筋細胞内で、収縮タンパク質分子であるアクチンとミオシンが宿主心筋と電気的、機能的に結合して同期拍動する事も証明した。

この心筋細胞シートには、1人当たり約1億個という大量のiPS細胞が用いられる。この為培養とその後の品質チェックに時間を要する。幹細胞は、自己と同一の細胞を生み出す自己複製能と同時に、自己と異なる細胞への分化能を兼ね備えている。その中でもiPS細胞は、多能性を持つナイーブ(未分化)な細胞である為、体性幹細胞に比べて大量培養は難しかったが、産業化の為に、iPS細胞培養の効率化も達成した。

薬事承認に向けての安全性の確保

一連の研究で最も懸念されていたのは、iPS細胞の造腫瘍性(がん化)である。安全性を検証する為、未分化細胞のマーカー、及びヒト化マウスを用いて、造腫瘍性に関わる安全性の検証システムを確立した。又、分化誘導後にがん化を促す遺伝子異常が発生していないか検証するシステムも構築された。臨床用のiPS細胞株の大量培養、高効率分化誘導と共に、造腫瘍性、遺伝子に於ける安全性が検証された事で、医師主導治験に至った。

医師主導治験では、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)が13年からストックしている健常ボランティア由来のiPS細胞を阪大で大量培養した後、心筋細胞へと分化させた。これを直径数cm、厚さ約0.1mmのシート状に加工して、心臓表面に複数枚張り付ける。重症虚血性心筋症の患者(18〜79歳)を対象として、20年1月に1例目の移植手術を阪大病院で実施した後、予定していた8例の試験を完遂した。移植後は1年間の経観察を行った。主要評価項目は安全性で、iPS心筋細胞シート移植術の実施可能性、移植に伴う有害事象の有無を観察し、副次的評価項目として心機能に与える有効性も確認した。

この薬事申請が承認されれば、近く世界初のiPS細胞由来心筋再生治療製品の市販が開始され、重症心不全で苦しむ世界中の患者を救う事が出来ると期待されている。

今後の再生医療の成長を担う大学発ベンチャー

大学発のベンチャーが、治験まで手掛ける例は実は世界でも珍しい。大阪大学では02年に未来医療センターを設置しており、大学が開発した難治性疾患に対する新規の医療技術をヒトで初めて実施するトランスレーショナルリサーチの拠点となっている。日本屈指の橋渡しセンターであり、iPS心筋シートを始めとして、様々な新しい医療の開発に取り組んで来た。万策尽きた患者に対する治療法の開発を、製薬企業ではなく大学が本気になって担う事で、早期実用化を目指して突き進み、ゴールを目前に確実に捉えている。

iPS細胞を用いた心臓の再生医療では、慶應義塾大学の福田恵一氏も、医師主導治験を実施している。福田氏は1999年に世界で初めて、骨髄間葉系幹細胞に心筋分化能が有る事を報告している。治験では、iPS細胞由来の心筋細胞を約1000個の細胞塊(心筋球)にして、注射針で直接心臓の中に移植する治療を行っている。

一方、ドイツのゲッティンゲン大学では、心表面に「engineered heart tissue(EHT)」と呼ばれる3次元に配列した人工心筋組織を貼付する治療法を開発中である。どの移植法が最も効果的に心臓を再生するかは今後解明が進んで行く筈であり、更に治療法が深化して行く事が期待されている。

難治性疾患を真剣に克服しようとすれば、イノベーションによる新しい技術への挑戦は不可欠である。患者に最大限の倫理的な配慮を行い、万全な医療安全対策を講じた上で、リスクとベネフィットのバランスを考慮した医療を推進する体制が必要であり、未来の医療を育んで行く為に社会の理解も重要になる。

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