医師や看護師が自らも病になり、患者と医療従事者双方の視点から手記を書く。そういう闘病記はいくつもあるが、またひとつの力作が世に出た。関西圏の看護部長として長らく勤務した佐野綾子さんの『がんになった看護部長——病と向き合ながら生きる』(看護の科学新社)だ。
佐野さんはコロナ禍の真っ只中、激務に追われる中、体調が急激に悪化し、心配した上司の勧めで内科クリニックを受診する。そこでがんの可能性を指摘され、県のがんセンターを受診、卵巣がんとの疑いで入院、手術。最初の内科受診からわずか1か月以内の出来事だった。
本書には告知から確定診断、手術、抗がん剤の投与、復職、さらには再発や緩和ケアへの移行までのことが率直につづられているのだが、非常に特徴的なのは、それらの経験とその時の感情の記載にとどまらず、客観的な分析や看護学や心理学的な解説、さらには文化的考察から必要な制度の提言までがしっかり行われていることだ。自身の闘病を症例とした秀逸なケースレポートになっている、と言ってもよい。
医療のサポートから切り離されたくない
読んでいて、医療従事者としてハッとさせられるところが何カ所もあった。ここではその中でひとつだけ紹介しよう。
緊急入院でない限り、ほとんどのがん患者は、告知から手術までの間を在宅で過ごす。佐野さんも同様で、看護部長としての管理業務や大学での講義を続けていたのだが、医療のサポートから切り離されていたのは不安だったという。佐野さんの言葉を引用させてもらおう。
「告知のときこそ、患者側に立つ専門職が必要だと思いました。告知を受ける場に同席し、医師の側ではなく、医療人でありつつ患者側に寄り添う存在が求められるのではないでしょうか。」
身内が同席するのはたしかに心の支えにはなるが、「家族や友人がいたとしても、医療やがんについて十分な知識や経験があることはまず期待できません」とも言う。これまで看護職として告知の場にいたはずの佐野さんは、患者の立場になってはじめてこう感じる。
「診察室で孤独であることが、どれほど苦痛を増加させるか。どれほど生きようとする力を減衰させるか。」
その孤独、孤立感は、告知後にさらに増強する。とくに症状があまり深刻でないが検査でがんが見つかったという場合、告知後も入院までは日常の生活を続ける人が多いだろう。入院や手術前の検査はあるが、ほとんどは外来かごく短期間の入院で済む。そうなると当然、仕事や育児、介護を続けながら、検査の時だけ病院へ、となる。「その方が病気を忘れられてよい」という人もいるだろうが、いくら忙しい日常に追われても、「告知を受けたがん患者」であることは変わりない。
佐野さんも前述のように、日常生活を営みながら多忙な業務を続けていたのだが、その中で「医療機関からのサポートを痛切に求めている自分に気づいた」という。せめて気がかりなことについてどこにアクセスすればよいか選択肢がほしい、と思ったのだそうだ。
こう思うのは、告知から手術までだけではない。2003年に出版され、著名人のがん体験記の草分けとしてベストセラーとなったエッセイスト・岸本葉子さんの『がんから始まる』(文春文庫)には、手術が終わりめでたく退院となって自宅に戻った瞬間、大きな不安に襲われたといったエピソードが記されていた。入院していれば生活の世話から必要な手当てまですべて医療機関にゆだねることができるが、退院すれば当然だがもはや“入院患者”ではない。だからといって、手術のダメージが完全に消えて健康体に戻ったわけではない。「今日の食事はどうしよう」というところからすべて自分で考え、なんとかしなければならないのである。体調に変化があったとしてもすぐにナースコール、というわけにはいかない。
では、多くのがん患者はこの戸惑いや不安にどう対処しているのだろう。おそらく「ただ耐えている」か、あるいは同じ経験をした知人を探して助言を求めたり必死にネット検索をしたりしているのだろう。ただ、その中には、不安につけ込む悪徳業者に高額の健康食品などを買わされたりしているケースもあると思う。
佐野さんは抗がん剤治療を続けた後、再発の告知を受けて在宅緩和ケアに切り替える。多職種がチームを作ってサポートしてくれる仕組みの中で、これなら孤独、孤立を感じずに済む、と安心した矢先に、新たな問題が持ち上がる。それは、「訪問診療・訪問看護・訪問投薬管理・訪問栄養指導・訪問リハビリ」といった多職種の訪問ケアのための「確認、説明、意思決定、連絡」があまりに煩雑で、疲労困憊に陥ったというのだ。さらにはその人たちがやって来るのは昼間であり、夜は逆に心細くなったり家族である夫に大きな負担をかけてしまったりする。現在の在宅ケアは、「24時間いつでも医療とつながれる」というシステムではないのである。
「医療ではない医療」こそが求められている
どうだろう。ここまで読んでくださったドクターたちはこう思うのではないか。「患者が“医療のすき間”に置かれるのを不安に思うのはわかる。でも、その解消のために医療機関が動いてもそれは点数化されない。それは医療ではないよ。多忙な業務の間に持ち出しでそういうサービスを提供するわけにはいかない。」実は私もそう思う。いま勤務している診療所でも「ここでできる限り」と納得してくれたがん患者のケアを行うことがあるが、退院後の孤独、孤立にも十分対応できているかといえば、その自信はない。またそれに対応できるよう新たな仕組みを構築する余力もない。
ただ、私がいるところは極端な過疎地で、周囲60キロ四方、医療機関はひとつもないので、基本的にはどんな患者もいつでも受け入れるということになっている。それにほとんどの患者は、医師や看護師、事務職員、誰かの顔見知りでもある。在宅でがん療養中の患者が「先生、なんだか具合が悪いんだけど」と夜間帯にやって来れば、「今できるのは点滴くらいですよ」などと言いながらオーバーナイトベッドで朝まで過してもらうことはできる。過疎地だからこその医療機関へのアクセスの良さが、「何かあればいつでも行ける」と患者の安心感を担保しているのだ。
都市部ではそんなことはありえない、と言われるかもしれない。ただ、現在も各地の医師会が作る休日・夜間急病センターは、24時間、医師が常駐して地域のケアにあたる過疎地の診療所と似た役割を果たしていると思う。そこが「急病ではないが、在宅療養中のがん患者が休日や夜間に体調不良を感じた時の相談や対応にもあたる」とちょっと間口を広げるだけでも、かなり違うのではないだろうか。「医療ではない医療」こそが必要なのだ。
いやいや、それにしてもマンパワーが必要だ、今は発熱や子どもの腹痛などへの対応で精いっぱいだ、という声がすぐに聴こえてきそうだ。それでも、2人に1人はがんになるこの時代、「がんであっても自分らしく生きられるためのサポート」は、社会の最重要課題であることは間違いない。
この本の著者の佐野さんは、気づきと学びが詰まった本著のあとがきまでを書き終えて、この2月、世を去った。享年60歳。ぜひ多くの医療従事者に読んでもらいたい一冊だ。
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