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未来の会

DMAT結成から20年目の現在地
~オールハザードに対応する災害医療チームへ~

DMAT結成から20年目の現在地 ~オールハザードに対応する災害医療チームへ~
小井土 雄一(こいど・ゆういち)1957年静岡県生まれ。84年埼玉医科大学卒業。同年日本医科大学救急医学教室入局。87年同大学付属病院救命救急センター助手。88年豪州クイーンズランド肝移植機構留学。97年同大学付属病院高度救命救急センター医局長・講師。08年国立病院機構災害医療センター臨床研究部長。09年同救命救急センター長(併任)。10年厚生労働省医政局災害医療対策室DMAT事務局長に就任。16年〜19年国際緊急援助隊支援委員長。15年〜19年日本災害医学会代表理事。20年独立行政法人国立病院機構本部DMAT事務局長・厚生労働省DMAT事務局長(現職)。

1995年の阪神・淡路大震災を始め、この30年間に数々の災害が日本を襲った。海外に遅れを取りながらも2010年にDMAT(Disaster Medical Assistance Team:災害派遣医療チーム)が誕生し、その熱い志によって日本の災害医療は発展を遂げて来た。新型コロナウイルス感染拡大時のDMATの出動も記憶に新しく、今年起きた能登半島地震でも被災者支援に奔走した。南海トラフ地震や首都直下地震の発生が予測される中、DMATの事務局長を務める小井土雄一氏に、日本の災害医療の現状と課題について話を伺った。

——救急医となり災害医療に携わる様になった経緯をお聞かせ下さい。

小井土 「小児から大人迄、あらゆる人を助けられる救急医になりたい」という志を抱いて、大学卒業後は日本医科大学救急医学教室に入局しました。しかし10年もするとハードワークで疲れが出始め、目標を見失いがちになっていました。その頃、インドネシアのムラピ山の噴火が発生し、国際緊急援助隊(JDR)の熱傷の専門家として派遣され、そこで見ず知らずの人達が同じ目標に向かって突き進む連帯感や緊張感から稲妻に打たれた様な衝撃を受けたのです。このミッションを切っ掛けに災害医療をライフワークにしたいと思い、帰国後直ぐにJDRの医療チームに入りました。そして、1995年の阪神・淡路大震災からは国内災害にも携わる様になりました。

——DMATの初代事務局長に就任されました。

小井土 東京・立川の災害医療センターでDMATの立ち上げに携わられて来た辺見弘院長が2008年に退官される際、後任として私が呼ばれました。辺見先生は日本医科大学の救急医学教室の先輩に当たります。当初は臨床研究部長として就任し、10年に厚生労働省がDMAT事務局を設置するに当たり、初代事務局長を併任する事になりました。DMATの隊員養成研修は05年からスタートしており、既に事務局の機能を果たす部署は院内に在った為、正式に厚労省が認めたのが10年という事になります。

海外のノウハウを学び日本DMATが誕生

——現在の隊員数と組織構成についてお教え下さい。

小井土 24年3月末時点で約1800チーム、約1万7700名が登録しています。医師や看護師に限らず、薬剤師、臨床検査技師、臨床工学技士、事務職員等、あらゆる職種が含まれます。大体は1チーム4〜5名で、医師1名、看護師2名、ロジスティクスと呼ばれる業務調整員1名で構成されています。隊員全体では医師が3割、看護師が4割、業務調整員が3割という内訳です。就任当初は事務局職員の常勤が不在でしたが、今では常勤31名、非常勤も含めて52名体制になりました。13年には大阪医療センター内に西日本事務局が開設され、立川の東日本事務局と2拠点でバックアップ体制を取っています。

——DMAT隊員になる為の要件と資質とは。

小井土 先ずはDMAT指定医療機関に勤めている必要が有ります。その多くは災害拠点病院です。これらの機関の職員が厚生労働省が実施する隊員養成研修を受講し試験に合格する事で隊員資格を得られます。残念ながら、指定以外の機関に異動になると隊員資格が外されてしまいます。研修の受講要件は幾つか有りますが、被災者を救済したいという意思が有るかどうかが一番大切です。もう1つは指揮命令系統に沿って組織的な活動が出来る事です。

——海外のDMATと比べて、日本のDMATの良いところはどの様な点でしょうか?

小井土 日本DMATは辺見先生が率いる研究班が米国に渡って調査を行い、米国のDMATを手本に作られました。米国は1チームが約40名なのに対し、日本は4〜5名とチームの構成人数が少ない事が特徴です。超急性期に迅速に現場に入って医療を行うには、小回りが利くチームの方が良いだろうと辺見先生が考えられたのです。1つ1つのチームは小さくても、被災地に入れば複数のチームが集合し、一体化して組織的な活動をする事が出来るというのが日本DMATの優れた点です。

——指揮命令系統について伺います。

小井土 それぞれのチームが別々の考えを持っていては纏まりません。そこで、我々は方向性を一致させる為に「CSCATTT」という共通言語を持っています。Cは「コマンド(指揮)」と「コントロール(連携・調整)」、Sが「セーフティー(安全)」、2つ目のCは「コミュニケーション(情報共有)」、Aが「アセスメント(評価)」、続くTTTは「トリアージ」「トリートメント(処置)」「トランスポーテーション(搬送)」です。CSCAは医療のマネジメント、TTTは医療の実践の部分に当たります。日本DMATでは特にCSCAに力を入れています。災害が起きた時はTTTから取り掛かるのではなく、先ずはCSCAを確立してから医療を実践するという順番になっています。

——これは世界共通なのでしょうか?

小井土 CSCATTTという考え方は英国の災害医療研修の「MIMMS(ミムス)」がオリジナルで、これを日本の状況に合わせたものです。DMATだけではなく、日本赤十字社や日本医師会、全日本病院協会等、全国でCSCATTTを災害医療の基本としています。災害は地震や洪水だけでなく、多重交通事故や土砂災害と様々なものが有りますが、これらは毎回千差万別に違う形で襲って来ます。我々はあらゆるハザードに対し、CSCATTTを基準とした共通のアプローチを取る事にしています。

阪神・淡路大震災の教訓で災害医療が発展

——日本の災害医療はどの様に進歩して来ましたか?

小井土 日本の災害医療は海外への救援を機に始まったと言われ、その原点は1979年のカンボジア難民に対する国際災害救援です。そこで初めて日本政府が医療チームを派遣したのを契機として、87年にJDR法という国際緊急援助隊の派遣に関する法律が作られ、その為の医療チーム「Japan Disaster Relief」が結成され順調に進歩しました。一方、国内の災害対応については、災害対策基本法や災害救助法を作っていた為、ある程度の自負が有りましたが、日本では59年の伊勢湾台風から阪神・淡路迄の36年間で千人以上が亡くなった災害が起こらなかった事から、実際には医療体制に関しては何の整備もされていませんでした。それが露呈したのが阪神・淡路大震災です。


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