私の両親はイギリス生まれ、父方の祖父はエストニア、祖母はポーランド、母方の祖父母はドイツ生まれです。祖父のポール・グッドマンは、シオニストのリーダーの1人として知られています。父は弁護士、母は未だ女性医師が少ない時代に、スコットランドのセント・アンドリューズ大学で学び、医師をしていました。
私は6人きょうだいの5番目として、イングランド東部エセックス州のバーナム・オン・クラウチという町で生まれました。1番上の姉は母と同じ医師で、かかりつけ医(GP)をしていました。その下の長兄は、日本で言えば保護司でしたが、今はアルコール依存症や薬物依存症の人達の支援グループを運営しています。2番目の兄はユダヤ研究者で、私と同じオックスフォード大学の教授です。私は2008年から大学の社会科学部門責任者を務めていますが、兄は人文学部門の所属ですので、上司として兄に接しなければならない事だけは避けられました。3番目の兄は仏教家で、仏教徒の国際親睦団体「トリラトナ仏教団」の会長、下の弟は父と同じく弁護士です。
名門私立から公立学校に転校し社会階級を実感
両親は教育熱心で、私は英国の名門パブリックスクールの1つ、ラグビー校に入学します。しかし父のビジネスパートナーが資金を持ち逃げしてしまい、授業料を支払えなくなってしまった為、公立学校に転校しました。英国ではパブリックスクールの生徒はエリート階級と見なされ、生徒自身も自分達は特別だという意識が有る。公立学校の生徒と比較すると、例え同程度の学力でも、エリート意識や自分への自信という点で明らかに異なっていました。
また英国社会では、社会的階級で言葉のアクセントが異なる為、学校では家族と話す時とはアクセントを変えて、周囲から浮かない様にしていました。そうした経験が社会階級や文化の違いに興味を持つ切っ掛けとなりました。
子供の頃はスポーツが好きで、特にグラスホッケーが得意でした。今もオックスフォードで少年チームのコーチをしています。子供の頃の憧れの職業は警察官で、学生の頃はジャーナリストを目指していました。人に質問するのが好きな性格だったのかも知れません。当時は学者になるとは思ってもいませんでしたが、人類学者の道を選んだのもそうした性格が関係有るのでしょう。
高校卒業後は、オックスフォード、ケンブリッジに次ぐ名門大学の1つ、ダラム大学に進学しましたが、入学迄のギャップイヤーを利用して、イスラエルのディモナという街で英語を教えていました。
その頃、突然腹痛を起こした事が有りました。激痛でしたが、病院はバスで1時間掛かるベエルシェバにしか無い。仕方なくバスに乗ったものの、結局倒れてしまいました。後から聞くと、盲腸が破裂して命に関わる状況でした。結局2週間入院する羽目になり、たまたま手術の出来る医師がベエルシェバの病院にいた事で一命を取り留めました。これが私にとっての最初の医療体験です。
恩師の勧めで日本社会の研究へ
私を学者の道へと導いたのは、大学時代に教わったオックスフォード出身の2人の人類学の教授です。1人はデイヴィッド・ブルックス教授、もう1人は有名なフェミニストの人類学者、ジュディス・オークリー教授です。彼女が人類学者になる様勧めてくれたのが切っ掛けでオックスフォードの大学院に進学しました。今でも定期的に会いますが、彼女には感謝しか有りません。
オックスフォードではラテンアメリカを研究するつもりでしたが、ギャップイヤーの期間に山口県宇部市で英語の講師をする事になり、日本との縁が出来ました。その後、大学院で「これからは日本が注目を集める時代だ」とアドバイスを受け、日本社会を研究テーマにする事にしました。
丁度その頃、日産自動車の寄付でオックスフォード大学に日産日本問題研究所が設立され、日本への関心が高まっていました。03年には、私も研究所の所長を務めました。その後、オックスフォード大学社会科学部門責任者を経て、17年にセント・アントニーズ・カレッジの学長及びオックスフォード大学の副学長に就任しました。
大学時代の同級生である妻はソーシャルワーカーで、児童養護を研究していました。調査の為、夫婦で日本に滞在していた事もあり、妻は日本で出産しました。日本では痛み止めを余り使わずに「我慢して、頑張れ」等と言います。又、出産後も約1週間入院する。英国では病床数が少ないという事情も有り、大抵は1日で子供と帰宅します。こうしたところに英国と日本の出産文化の大きな違いを感じました。
独特な日本の医療システムや医療経営
これ迄私は、帰国子女や児童虐待、私立大学の同族経営等に焦点を当て、日本社会を研究して来ました。今回は同族経営の私立病院を研究する為、昨年秋に東京大学の「東京カレッジ」の招きで来日しました。東京カレッジとは、東大と海外の研究者の共同研究を推進する組織です。今年6月迄滞在する予定で、今は日本各地の病院経営者へインタビューをしたり、東大図書館で日本の文献を繙読したりしています。この研究では、日本の医療制度の中で同族経営の医療機関がどの様に発展し、どの様な役割を果たして来たのかを明らかにするのが目的です。その結果が英国の国民保険サービス(NHS)にとっても教訓になる事を期待しています。
先日も千葉県鴨川市の亀田家が設立した亀田総合病院を中心とする亀田グループでインタビューを行いました。地元の医療だけでなく、雇用や経済まで支えている医療グループです。医療サービスもユニークで、病院内にはコンシェルジュがいて、買い物代行等のサービス、レストランやカフェ、美容院の他、ユニクロ迄在る。「天国に一番近いから」という理由で、霊安室が最上階に在るのも素晴らしい発想だと思いました。
日本では、この様な大きな病院が幾つも有る一方で、1人で経営する開業医も多い。英国では4〜5人のGPが共同で経営する病院が多いのですが、そうした形態の病院は、日本では殆ど見られない事をとても興味深く感じています。
帰国後は本の出版に取り組みますが、大学の副学長としての仕事も有ります。オックスフォード大学では10億ドルの基金を基にした投資計画が有り、私は施設建設の責任者です。そうした仕事が一段落したら、又日本に戻って来るかも知れません。暮らし易い日本が、私は大好きなのです。
インタビューを終えて
64歳の年齢とは思えないエナジーと若い風貌を持つ英国紳士だ。父親が金融トラブルに遭い大きな負債を受け、上流階級の子弟が通うパブリックスクールから突如として公立学校へ転校を余儀なくされた。この様な転校話は階級社会の英国では滅多に無い話だが、賢明な少年は階級社会の現実を見聞出来たと前向きに受け止めた。兄弟が多かった事もその一助になったに違いない。言葉のアクセントも変える技も学んだ少年はその後、名門大学に学び、恩師の言葉で来日する。筆者が驚く程に幅広く日本の知識を吸収している。オックスフォード大学内では日本通の学長として人気を博す。兄弟揃って同大学の教授と言うもの珍しい。彼を見ていると両親の教育が如何に大切かを改めて知る。(OJ)
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