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未来の会

外国人の視点から日本社会を分析 日本の医療制度の実情と課題とは

外国人の視点から日本社会を分析 日本の医療制度の実情と課題とは
Roger Goodman(ロジャー・グッドマン)1960年英・エセックス州生まれ。オックスフォード大セント・アントニーズ・カレッジで社会人類学の立場から日本を研究。しばしば来日し、フィールドワークを行っている。2003年からオックスフォード大日産現代日本研究所長。17年からオックスフォード大副学長。

嘗てルース・ベネディクトの『菊と刀』やエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになった様に、外国人研究者による日本人論は、しばしば私達日本人に大きな影響を与える。日本の帰国子女や児童虐待を社会人類学の視点から論じて来たオックスフォード大学副学長のロジャー・グッドマン教授もその1人だ。そのグッドマン教授が昨年秋から、日本の病院の同族経営を研究する為、日本に滞在している。日本の同族経営は、戦後の日本が復興、発展して行く中で重要な役割を果たしたという。長年、日本社会を見つめて来た研究者として、日本の医療制度の実情や課題をどう見ているのか、グッドマン教授に話を聞いた。

——日本について研究を始めた切っ掛けは?

グッドマン 大学で社会学と社会人類学を学び始めた当初は、ラテンアメリカに興味が有り、インカの宗教について研究していました。日本との関わりが出来たのは21歳の時です。大学院に進学する前のギャップイヤーで、山口県宇部市の中学校9校で1年間、英語を教えました。丁度、教育委員会が英語の講師を探していたのを知り、応募したのです。その後、ラテンアメリカの研究を続ける為にオックスフォードに戻りましたが、担当教官に「これからは日本に注目が集まるだろう、日本について研究したらどうだ」と勧められました。実は私が山口にいた1981年に、日産自動車がオックスフォードに寄付をして「日産日本問題研究所」が出来たのです。そこで私も研究対象を日本に変える事を決めました。

——日本について、どの様な研究を?

グッドマン 博士課程で、最初に研究したのは帰国子女についてでした。1年間、茨城県つくば市に有る私立の中高一貫校で、教員をしながら研究をしました。帰国子女や留学生を積極的に受け入れている学校で、私は親元を離れて暮らす生徒の為の学生寮の学寮長も務めていました。この時以来、私は一貫して私立の役割や戦略に関心を寄せて来ました。

——具体的に何を取り上げたのですか。

グッドマン 当時、高校は帰国子女の受け入れによってドラスティックに変わって行く時期でした。「帰国子女は格好良い、トレンディだ」というイメージが社会に広がり、帰国子女を受け入れる学校は国際的であるという印象が高まり、帰国子女に対する対応も徐々に改善されました。例えば大学受験では、国公立大学を含めて帰国子女の特別枠が出来、企業も採用時に帰国子女枠を設ける様になった。その中で、私は日本社会での「階級」に着目しました。帰国子女の親の職業は大抵、外交官やメディアの海外特派員、大企業の駐在員等です。その為、帰国子女はソーシャルステータスの高い家庭で育った子供だと社会から認識される様になった。それによって帰国子女を受け入れる学校が増え、更に待遇が良くなるという好循環を生み出しました。この様な帰国子女を新たな階級と捉えて社会の変化を分析した本を90年にオックスフォード大学出版局から出版しました。日本の階級制度について、初めて社会人類学的に分析した著作として注目を集め、2年後に岩波書店から『帰国子女  新しい特権層の出現』とのタイトルで日本語訳も出版されました。

——その後、オックスフォード大学の社会科学ディビジョンの責任者に就任しました。

グッドマン オックスフォード大学は2000年にビッグバンと呼ばれる大きな変革を行いました。その1つがディビジョン制で、学部を社会科学、人文科学、数学・物理学・生命科学、医学の4つに分け、各ディビジョン(部門)に予算と教員数の権限を持たせました。私は08年から社会科学ディビジョンの責任者を10年務めましたが、各カレッジの学部に学費や教員数を決める権限を与え、独自に生き残りを図る様促しました。又、複数の学科にまたがる研究も積極的に進め、その結果、10年間で研究費の予算が4倍に増えました。学生も増加し、1年コースの修士課程が急激に増加した他、修士課程の学生も6年間で2倍になりました。

同族経営を取り上げ注目される

——日本について、帰国子女以外にはどの様な研究をされたのですか。

グッドマン 児童養護施設の研究です。私はその社会を分析する時に、最も声の小さい人、声が出し難いグループの人達がどう扱われているかを見る事で、社会の全体像が見えて来ると考えています。そこで、私は8カ月間、東京都立川市の養護施設で働きました。児童養護施設には親から虐待を受けた子供達がいます。しかし1980年迄、日本に児童虐待という言葉は有りませんでした。その頃、マスコミや専門家は「日本に児童虐待は無い。それは日本の家庭制度や学校制度や警察制度が上手く機能しているからだ」と言っていたのです。ところが90年代に、児童養護施設によって児童虐待の存在が突如明らかになり、社会はパニックに陥りました。


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