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未来の会

第102回「日本の医療」を展望する 世界目線

第102回「日本の医療」を展望する 世界目線
産科医療に公的保険適応はふさわしいか

医療分野において平等性は極めて重要である。近年では経済面での格差が広がってきているためか、 公的保険がカバーする範囲を拡大し、不平等性を改善しようという動きが見られる。不妊治療の保険適用もその1つの流れである。

日本の社会保障制度では、医療費財源に4割ほどの税金が投入されている。被保険者にとって、医療費財源の確保については日頃あまり意識しないと思われるが、そもそも医療における費用保証は保険制度が担うのがこの国の方針であった。しかしながら筆者は、全ての医療行為を保険適用にすれば問題が解決するとは考えない立場だ。そこで今回は臨時で、この『集中』でも取り上げられている、産科医療に公的保険適応はふさわしいか、特に正常分娩の保険適用について考えてみたい。

日本での出産と保険を巡る状況

本題に入る前に、日本での産科医療の状況を確認しておこう。まず、なぜ現物給付ではなく現金給付なのか。これは、健康保険法(法律第70号)が1922(大正11)年に公布され、26(大正15)年に施行された時点まで遡る。保険とは、個々が掛け金を出し合うことによって不測の事態に備えるもので、リスク対策と再分配(相互扶助)の2本柱で形成されているものだが、その後、46(昭和21)年に、標準報酬月額の半分を支給する方法が導入され、経済的に安定した54(昭和29)年に広くこの方式がとられるようになり、出産一時金として定着した。

すなわち、日本では「正常分娩は疾病ではない」という理由から、正常分娩は自由診療で現金給付となったのである。ただし、妊娠・分娩に関して異常があり、医療行為を必要とする場合は「疾病」として療養の給付が行われる。要するに、正常妊娠・正常分娩は疾病として扱われないという仕組みで今日に至っており、もし正常分娩も公的保険で、ということになればきわめて大きな変化といえよう。逆に言えば、今まで保険適応されてこなかったのには理由があるはずだ。

1つの理由は、保険というものの目的が何か、である。Oxford Languagesによれば保険とは、「火災・死亡・病気等の偶然の事故による損害を補償するため、多数者が一定の資金(=保険料)を出し合い、実際に事故があった時その者に一定金額(=保険金)を与える制度」である。詳しくは後述していくが、出産はどこまで広義にとらえても「事故」ではない。妊娠・出産による経済的負担は事故とは言えず、月単位で予測でき、あるいは数年前から計画し十分に対応できる余裕がある。この点から現行の医療保険制度では、出産費用への支援は傷病に対する療養の給付(現物給付)ではなく、現金給付として対応されている。また、日本はこの保険制度を社会保障の中核と捉えているが、保険財政面の厳しさから近年では別の財布である税金投入等で保険制度の安定を維持しているのが現状である。

産科医療のアウトカム

そのような体制で行ってきた日本の産科医療であるが、アウトカムを見てみると、日本の周産期死亡率と妊産婦死亡率は世界でもトップクラスに低く、さらに低下する傾向にある。ところが出生数の減少に伴い、下図が示すように産婦人科施設の数は減少している。これは日本の医療機関が民間中心であり、採算が取れなくなれば退出を迫られるという厳しい現実を示しているといえる。

図:地域で安心して分娩ができる医療施設の存続を目指す議員連盟発足の意義(日本産婦人科医会会長 木下勝之)より
満足度の視点

近年のIT化あるいはネット社会の進歩に伴い、医療に関して個人が様々な決定をする、あるいはしたいという状況が増えてきている。客観的に見れば、膨大な情報の中で、患者側に正確な決定ができるのか、といった問題はもちろんあるが、間違いないのは、医療においても患者が必ずしも「正しい判断」を望んでいるわけではない、という場合が増えてきていることであろう。

このような意識の変化を受けて、医療に最も重要かつ必要となるのは、医療者は「医療的に見て正しい」という客観的な評価と、本人の「こうありたい」とする主観による思いの2つの視点を持つべきだということである。これまでの日本は前者重視の志向であった。そのために、日本医療では客観的なアウトカムが高いのに、患者の満足度が米国より低い、といった歪なことが起きていたのである。

そしてこの2つの視点は、二者択一ではない。「疾患による」と言った方がいいであろう。例えば、若年者の骨折といったものは、治癒という客観的な評価が最大の目的になるが、生活習慣病や高齢者の癌といったものは、客観的な指標だけでなく、本人の主観に基づく意思決定が重要とされてきている。

 そして、これらはあくまで受動的な疾患と言っていいであろう。すなわち本人がその病気を選択するということはありえない。しかしながら出産に関しては、極めて能動的な意思決定の結果である。これを「事故」を前提とした医療保険制度で賄うことは極めて歪であり、さらには産科医療に対しての満足度を下げる可能性があるのではなかろうか。

現金給付の良さ

現金給付の良さも、選択肢の点、ひいては満足度の視点から強調してもいいかもしれない。繰り返しになるが、突発的な不測の事態、すなわち事故においては急な金銭の蓄えは難しいので、診療については現物給付になっているし、平等性の点で混合診療(健康保険範囲内の分は健康保険で賄い、範囲外の分を患者自身が支払うことで、費用が混合すること)も禁止されている。しかし、産科医療の場合は事前の準備で金額を多く支払い、より快適な分娩を行うことが可能になっている。

先述のようにお産は事故ではない。しかし、正常ではない分娩は事故なので保険給付の対象になる。あらかじめ計画できるものを保険に入れることは、妊娠・出産にまつわる計画性(ひいてはそれに関連したリテラシー)や選択の余地が失われる可能性が高いとも言えるのではないか。

医療機関の立場

医療機関の立場も考えねばならない。日本の医療は、産科医療に限らず民間に支えられている。ここには2つの民間的な立場がある。1つは経営母体が民間なのか、そうでないかという点である。日本の場合は、2018(平成30)年の調査では医療機関の69%が民間である医療法人であった。

もう1つは、医療機関への支払いの仕組みである。税金が原資かつ予算性で支払いが行われている国の場合には、医療費は完全な公といえるが、日本の場合は行った行為に対して利用者側から支払いが起きる。このような状況では、医療機関といえども経営を考えなければならない。赤字になる、つまり採算が取れない医療は提供できない。

まとめ

述べてきたことを総合すると、今までの産科医療は、患者が納得してその対価を払っているものであり、お産が明確な「事故」でない以上、患者の納得度は人それぞれである。だが、旧来個々人の満足度を追求し、高い成果をおさめてきた産科医療に、今さら混合診療を禁じる医療保険での支払いを入れることは、却って患者の選択の幅を狭めてしまい、納得感が減るのではなかろうか。

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