SHUCHU PUBLISHING

病院経営者のための会員制情報紙/集中出版株式会社

未来の会

第172回 患者のキモチ医師のココロ 命の危険、その時あなたは逃げますか?

第172回 患者のキモチ医師のココロ 命の危険、その時あなたは逃げますか?

 今回は具体的な「現場のコミュニケーション」の話から離れて、ちょっとした“空想ゲーム”をしてみてほしい。もしあなたが、いま混乱の中にあるパレスチナ・ガザ地区の病院に勤務する医師で、すぐそばまで空爆やイスラエルの戦車が迫ってきていたとしたら、あなたはどうするだろう。重症で避難できない患者とともに病院に残るか、それとも病院を出て少しでも安全が確保できそうな場所に避難するか。それを考えてほしいのだ。

ガザ地区の現実は他人事ではない

 世界では戦乱が続き、イスラエルとパレスチナで激しい衝突が起きた。とくに壁で囲まれ封鎖されているパレスチナ・ガザ地区への空爆は、日本でも大きく報道されている。

 日本にいるとなかなか想像がむずかしいのだが、ガザ地区には200万人もの住民が住み、病院もあれば店もある。小中学校はもちろん、高校、大学、ちょっとしたレストランやホテルもある。農業を中心とした産業も営まれている。しかし、水や食糧、燃料、資材や日用品まですべてを外部に依存しなければならず、それらや人の出入りは検問所で激しく規制されているため、すべてが慢性的に不足し停滞している状況が続いているのだ。当然、働き口もなく、失業率は50%近くにもなる。地区内の人々の努力だけではどうにもならないし、域外に出て行くこともできないという状況に絶望し、自ら命を絶つ若者も少なくない。かなり大規模な病院もあり、厳しい検問を経て域外から国連や赤十字社、国際NGOなどの医師が従事しているが、とにかく医療機器や医薬品が圧倒的に足りないという状況が続いている。

 今回はそこにかつてない規模での空爆が行われているのだが、医療従事者として気になるのは同地区の医療施設までが被害を受けていることだ。患者や家族、「病院なら安全だろう」と避難してきていた人たちに加え、医師や看護師などのスタッフも命を落としている。意気高く「何があっても患者を置いては逃げない」とSNSで発信する医師もいるが、あまりに多くの死傷者が運び込まれてきて、治療のための医薬品などもないため、泣きながらケアにあたるスタッフの姿も拡散されている。

 いまは遠い地域での出来事として見ているが、私たち医療従事者にとっては他人事とは言い切れない。空爆などは受けなくても、思わぬ災害が起きて自分のいる地区が孤立し、医薬品や燃料、資材の供給がストップする限界状況の中、医療にあたらなければならない場面がいつ訪れるかわからない。

 実際に東日本大震災では、石巻市の市立雄勝病院が津波に呑み込まれ、40人の入院患者とともに医師や看護師などの職員24人が命を失っている。医師らは事務職員に避難を促してから、寝たきりの患者をシーツにくるむなどして屋上まで上げようとし、そこに海水が押し寄せた。

 また、院内でテロや無差別殺傷事件が起きて、犯人が確保されない段階から負傷者の治療にあたらなければならない状況もないとはいえない。医師向けサイトが2021年に行った意識調査では、「医療機関における無差別殺傷事件で、患者の命を守る義務があると思うか?」という設問には医師の過半数が「ある」と回答したが、「医師として救命に全力を尽くす」以外にも「自分の身の安全を図った上で患者の安全を確保する」「警察や消防に任せたい」「冷静に対応できる自信がない」といった率直な意見も少なくなかったようだ。

 医師に課せられている「応召義務」には「正当な理由があれば診療を拒むことができる」という但し書きがあり、おそらくは空爆などの攻撃、災害で命の危険が迫る場面、無差別殺傷事件などに遭遇し、患者を置いていち早く避難したとしても、応召義務違反を問われることはないだろう。「自分や家族のために」という理由のみならず、生き延びて医師や看護師の資格をまた別の場面で生かす方が、多くの人のために役立つという考え方もある。

職員に伝えたい、「逃げてもいい」の言葉

 とはいえ、とくに医療従事者としての生活も患者とのつき合いも長くなっているベテラン医師の場合、こういった状況でおいそれと患者を置いてでも自分の命を確保する、という行動には出にくいのではないだろうか。深く悩まなくても、「まず患者の安全を」と考えて条件反射的にそのための行動に出る、という医師や看護師も多いだろう。「患者第一」という価値観は、いまでも医学・看護学教育を通して医療従事者の骨身にしみ込んでいる、と研修医や若手看護師を見ていて気づかされることがある。災害看護を専門とする教員は授業などで「患者さんの命も自分の命も危機にさらされる場面では、迷わず自分の命を優先してください」と教えることもあるようだが、逆に考えればそうはっきり伝えておかなければ、多くの看護師は自分が犠牲になっても「まず患者さんを」と考え、そのための行動を選択してしまいがち、ということだ。

 さて、私自身はどうするだろう、と我が身を振り返る。もし院内の災害時などの非常用マニュアルを作るとなれば、いちばん先に「自分の命を守ることをためらわないで」と書くだろう。そう書いておかないと、献身的に日常業務を行っている看護師や理学療法士らは、何も指示しなくても患者最優先で行動してしまうと考えられるからだ。彼らにはせめて「逃げてもいいんだ」という選択肢を提供したい。

 そして、私自身に関しては、正直言ってよくわからない。ふだんの自分はどちらかというと「職務より自分」という姿勢で医療にのめり込みすぎないようにしながら生きており、周囲にも「何かあったら真っ先に逃げるから」と公言している。ただ、あるとき友人に言われた。「でも、東京での大学教授の職を捨てて、誰かのために役立ちたいからとへき地に転身したんでしょう。その時点でもう、“患者を置いては逃げません”って言ってるようなものじゃないの。」たしかに、そうかもしれない。

 いまいる診療所で、患者とも「災害のときにどうするか」という話をしたことがある。「ここは5年前、大きな地震に見舞われたんだよね(注・2018年の北海道胆振東部地震で、むかわ町穂別は震度6強を経験)。次に地震が起きたらどうしよう」「先生、こわいでしょう。でも、だいじょうぶ。私が診療所まで迎えに来ていっしょに逃げてあげるから。待っててね」。

 「患者を残して避難するかどうか」どころか、「患者が救助に来てくれる」というのだ。なんだか逆だろう、という気もしたが、「ありがとう。そのときは待ってるからよろしくね」と答えた。

 災害、戦乱、テロや犯罪などに見舞われたとき、医師は医療機関にとどまるべきか。それとも命の危険が迫ったときは、ためらわずに避難するべきか。そんな話を同僚たちと、あるいは時間があるときは外来診療のついでに患者と話題にしてみてはどうだろう。今ならおそらく「そんなありえない話をしても仕方ない」と言う人はおらず、誰もが真剣に自分の意見を話してくれるに違いない。

 今回、記したガザ地区の医療についてさらにくわしく知りたい人は、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の保健局長を務める清田明宏医師の『天井のない監獄 ガザの声を聴け! 』(集英社新書、2019)をぜひ読んでほしい。そして、命懸けで仕事を続ける同地区の医師や看護師たちの命がこれ以上、喪われることがないよう、読者の方々とともに祈りたいと思う。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top